ウィレム・デフォーに尋ねないで自分で続き書けよ〜『きっと、星のせいじゃない』

 『きっと、星のせいじゃない』を見た。

 ヒロインのヘイゼル(シャイリーン・ウッドリー)は17歳だが末期ガンに苦しんでおり、毎日鬱々とお気に入りの小説『大いなる痛み』を読み返す日々。心配した両親に無理矢理サポートグループに連れて行かれるが、そこで出会った骨肉腫のガス(アンセル・エルゴート)と恋に落ちる。ガンの女性を扱った『大いなる痛み』の続きが気になるヘイゼルを見て、ガスは難病の若者の願いを叶えてくれるジーニー財団(たぶんこちらの財団をもとにしている)の願い事企画を使って二人でアムステルダムに行き、作者であるピーター・ヴァン・ホーテン(ウィレム・デフォー)に直接物語の続きをきいてみようと提案する。病気が悪化しつつあるヘイゼルの体調に留意しつつ、二人はヘイゼルの母フラニー(ローラ・ダーン)とアムステルダムに向かうが…

 全体的に難病ものなのだが全くベタベタしておらず、若い2人とその友人で病気のため失明してしまうアイザック(ナット・ウルフ)の軽妙な演技もあってかなり笑うところもある。とくにウッドリーの存在感はすごく印象的で、これからどんどんロマンチックコメディに出て欲しいと思った。一方で痛みや苦しみなどの描写はかなりきちんとしており、子どもの頃から病気と付き合っていた若者たちの文化を、言い方は悪いが全く特別視せずにごく「ふつう」のものとして提示しているところが良いと思った。全体的に「難病の若者の最後の願い」というテーマや星ネタは『ぼくが星になるまえに』に似ており、またまた軽妙なタッチは『50/50』を思わせるところもある。若干センチメンタルではあるのだが、若者向けのロマンチックコメディとしては十分見応えのある作品だ。


 しかしながらちょっと感傷に流れすぎだと思ったのは、この2人が小説の続きを知るためにわざわざアムステルダムに小説家を訪ねるというくだりである。アムステルダムでロマンチックなハネムーン…という描写はたしかに魅力があるし、訪ねてみたら小説家が飲んだくれでまともに話もできないくらいグレてるウィレム・デフォーだったり、アンネの家でヘイゼルがアンネと自分の生き方を重ね合わせて覚醒(?)したり、展開としては面白いのだが、英文学者的には「そんなもんわざわざ小説家にたずねないで自分たちで続きを書けばいいじゃんか」と思ってしまった。小説は世に出た時点で著者の手を離れるものだし、小説に感動し共感した若者2人が勝手に続きを決めたって何も悪いことはあるまい。どっちかというと続きをきかれて怒るピーターのほうがトラウマを掘り出されてるみたいでちょっとお気の毒な感じすらしてしまった。ヘイゼルはコミュニティカレッジに通っているらしいが、コミュニティカレッジの先生に小説の読み方をきいてみたらどうかねぇ…

補足:この映画はベクデル・テストをパスする。ヘイゼルとお母さんが病気とかの話をするからである。

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日本語版ウィキペディアで「ハート・クレイン」の項目に大幅追加しました

 アメリカ文学関係のスタブを日本語版ウィキペディアに乱造していたアカウント(今はブロック中)が作成した記事「ハート・クレーン」を普通アメリカ文学研究で使われている表記「ハート・クレイン」に改名し、英語版からの翻訳で大幅追加しました。クレインは同性愛者で、クィア批評などでとても注目されている著名詩人ですが、すっごく難解です。私もモダニズムセミナーで読んだことありますが、よくわからなかったです。

 しかし、他にも同アカウントにより名前だけ程度のアメリカの詩人記事が乱造されていて、きいたこともないような詩人もいるのでさすがに私一人でメンテナンスするのは無理ですわ…

アマゾンで各種文献・映画リストを作りました

 アマゾンで学生指導用などのためいろいろな文献リストを作って公開しました。

イスラームについて知るブックリスト…これは他の方のオススメ本を集めたもの。
シェイクスピアをこれから読む人向けの研究書20冊 …以前にやったこちらのエントリのリスト
英文学者が個人的にオススメする歴史映画10作+おまけ…こちらのエントリのリスト
食品の歴史…随時更新予定
異民族間恋愛を扱った映画
ミュージカルの基本図書
バーレスクの基本図書

働かないための冬休みのブラックリスト10点(書籍+映画)

 夏休みに「英語圏文化について知りたい人向けの、夏休みのブラックリスト10点(書籍+映像作品)」を実施したところ好評で「またやれ」というご意見があったので、冬休みもやろうと思う。しかしながらただやるだけでは面白くないので、冬休みらしく休むためのブックリストを作ろうと思う。

 冬は寒い。雪も降るし風も吹く。外になんか出たくはない。さらにクリスマスと正月もあるので、にぎやかなことが好きな人は仕事なんかしないで遊びたいし、鬱気味の人は祭りなんかほっといて引きこもりたいところだ。遊ぶにしても引きこもるにしても、やはり働きたくない。

 なんといっても世の中の人はあまりにも勤勉すぎる。政治的立場に関わらず、保守派だろうがリバタリアンだろうが社会主義者だろうがフェミニストだろうが、我々は働くことで自己実現でき、全てがよくなるかのような幻想にとらわれているように見える。どこを見てもやれビジネスだ、やれ実用性のなんたらだのと、とにかく皆働いて金を稼ぐことが好きだ。政治家の経済政策は常に労働者をこき使うことを考えているし、一方で労働者のほうも働く権利とか、失業者に仕事をとか、やりがいのある仕事をとか訴えている。

 しかしながら本当にそれでいいのだろうか。こんなに景気が悪くて労働も不安定な世の中だが、冬に休める時くらいは大声で「仕事なんかクズで害悪だ!」「本当は人間皆働きたくなんかない!!」と叫んで、働かないことの重要性、労働がいかに害悪で人間の精神と身体をむしばむかについて真面目に考えてもいいのではないか。常々思っていることだが、私は心から労働が嫌いであるし、労働による自己実現とかちゃんちゃらおかしい話にしか聞こえない。しかしながらその労働に対する反感をきちんと解明し、人に説明するためには勉強がいる。そう、仕事をサボるのにも先行研究調査が必要なのだ。仕事をサボることについて勤勉に考えよう。そんな時のためのブラックリストを作った。


・ポール・ラファルグ『怠ける権利』田淵晋也訳、平凡社、2008。
 ラファルグはフランスのマルクス主義者で、マルクスの娘と結婚している。原著は1880年に出たそうで、働くことの害悪を指摘した古典的名著である。我々の労働幻想を機知に富んだ手法でブチ壊してくれる。この本の労働拒否的観点からの売春批判はフェミニストも必読だ。

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バートランド・ラッセル「怠惰への讃歌」、堀秀彦・柿村峻訳『怠惰への讃歌』(平凡社、2009)収録。
 短い文章だが、これも哲学者による労働排撃論である。ラファルグ同様、労働嫌いの観点からの売春批判が入っていている。


・ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』金森誠也訳、講談社学術文庫、2000。
 原著は1912年に出ている。今読むと古くなっているところもあり、また女性史的観点からの批判が必要だと思うのだが、とはいっても恋愛と贅沢によって資本主義が発展したっていう話である!働くなんておこがましくなってくるね!!

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・ソースティン・ヴェブレン『有閑階級の理論』高哲男訳、ちくま学芸文庫、1998。
 1899年に出たようだ。もうちょっとまじめなゾンバルトって感じである。衒示的消費についてワケわからないまましゃべってボロが出る前に、有閑気分で読んでおいたほうがいい。

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ボリス・ヴィアン『うたかたの日々』(1947、邦訳多数)&ミシェル・ゴンドリー監督『ムード・インディゴ〜うたかたの日々』(2013)
 労働することのみじめさ、つらさを如実に描いた小説&映画である。

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・アーヴィン・ウェルシュトレインスポッティング』(1993)&ダニー・ボイル監督『トレインスポッティング』(1996)
 働きたくないけど、でも働かざるを得ない…という複雑な心境に関する物語だと言って良かろう。そしてサッチャーはクズだ。

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ウィリアム・シェイクスピア『ヘンリー四世』第一部&第二部(16世紀末頃、翻訳多数)
 この二作で最も魅力があるのはフォルスタッフである。フォルスタッフはとにかく怠け者でこずるくて遊んでばっかりだが、際限ない機知を持っており、おそらく英国で最も愛されているフィクションの登場人物の一人だ。我々が怠けることに対して感じる魅力の全てがこの酔っ払いのデブのおっさんに詰まっている。


ジョエル・コーエン監督『ビッグ・リボウスキ』(1998)
 ロサンゼルス最強の不精者であるリボウスキの活躍があまりにも素晴らしいため、最近この映画はアメリカ国立フィルム登録簿に登録された。この映画にインスパイアされたスラッカーなライフスタイルのことをDudeismといい、英語圏には多数の信奉者がいる。

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 本来はここで全体に関する分析などをすべきなのだろうが、怠けたくてたまらないのでかわりにオアシスの怠けソング'The Importance of Being Idle'のビデオを貼って終わりにする(ちなみに一点だけ。フェミニスト的労働批判で日本で手に入りやすいものがあまり見つからなかったんだが、誰かいいの知りません?)。

ヴェルレーヌとランボー、泥沼不倫劇〜『皆既食』

 クリストファー・ハンプトン作、蜷川幸雄演出『皆既食』を見てきた。原作は1967年の作品で、1995年にレオナルド・ディカプリオ主演で『太陽と月に背いて』として映画化されている。象徴主義の詩人アルチュール・ランボーポール・ヴェルレーヌの泥沼不倫を、史実を脚色しつつ描いたものである。

 戯曲としては、いろいろと面白いところもあるのだが基本的にとんでもねえDVダメ男であるヴェルレーヌと、若く美しいランボーがくっついたり離れたり喧嘩したり、しょうもない腐れ縁に陥る様子をえんえんと描いた作品で、そんなに盛り上がりはないと思う。ヴェルレーヌが亡くなった兄と姉の話をするところをはじめとしていろいろと盛り上がる台詞などはあるのだが、そんなに起伏のある芝居ではない。とはいえ、まあカップルの腐れ縁とえんえんと描くというジャンルの芝居はないわけではないし、その手の芝居は見ていてつらい傾向があるものではあるので、そういうジャンルのものとしてはとくに話がつまらないというわけではないと思う。もっとがっつり台詞が文学的でもいいと思うのだが、そうはいっても台詞に象徴派の詩の雰囲気を残した表現も多数取り入れられている。


 しかしながら、映画版の『太陽と月に背いて』でもそうだったと思うのだが、これは主にランボーを中心とした役者の演技を見せる映画である。この上演でもランボー役の岡田将生があまりにもしなやかで可愛らしく、それに目を奪われてしまって正直あんまり演出に気をつけることができなかった(それが狙いか?)。屋根裏の寝室でヴェルレーヌを誘惑するあたりは見ていてドキドキしてしまった(←よこしまな情欲に阻まれて芝居がちゃんと分析できないよ!)。ヴェルレーヌ役の生瀬勝久もみじめなDV男役で悪くないのだが、ただ台詞が噛み気味だったのが残念である(岡田将生の台詞回しが、まあ完璧というわけではないのだが舞台初主演にしては思いのほかナチュラルだったので、相手役のヴェルレーヌが噛むと目立つのかも)。


 全体的には、ぼーっと暗い中にキラキラと光を散らした床やろうそくが照るという光の演出が面白かった。最初の場面が終わった後、使用人がろうそくを消して回るのに次の場面までなぜか一本だけ火が残っていたりとか、ちょっと不思議な光の使い方をしている。おそらくこういうぼーっと暗い中に光るあかりの演出は、芝居の中でランボーがひたすら太陽を求めているのに、その光は舞台上では与えられないということを暗示しているのだろうと思う。

女性名で執筆活動を行った男性作家をリストしてみた

 アイルランドの作家、フラン・オブライエンの新訳が出るということなのだが、私、最近友人にすすめられるまでこの作家のことを全く知らず、女性だと思って検索したら(これ、なんかキレイな感じの名前なんで私の隠れた性的偏見が活動してしまってケルト美女を想像していた)、オッサンの写真が出てきて、なんとこの方は男性であることがわかった。女性が差別を避けるため男性名で活動するというのはよく聞くが、公職についているのがバレたら困る、女のフリをしたほうが売れるなどの理由で男性作家が女性名を使って書く場合もある。今日はそういう中で有名な例をリストしておきたい。


フラン・オブライエン…本名ブライアン・オノーラン。アイルランドの公務員だったので、本職を隠すため女性名を使っていたらしい。新訳が出るので要注意。


フィオナ・マクラウド…本名ウィリアム・シャープ。両方の名前で著作を書いており、イェーツはマクラウドは認めてたがシャープの作品は好きでなかった(!)そうな。

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ヤスミナ・カドラ…本名ムハマド・ムルセフール。アルジェリアの現役有名作家。これも検閲を避けるためこういうペンネームにしたらしい。

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・18世紀の娼婦回想録モノの作家たち
 これは特殊な例だが、18世紀には娼婦の回想録と呼ばれるものがけっこう出版されていた。実際にいたのかいなかったのかもわからないような娼婦の回想録から、ファニー・マリィみたいな実在の有名な高級娼婦の自伝だと称するものまでいろいろある。早い話がポルノグラフィなわけだが、そういうものは「娼婦が書いた」として宣伝されているけれども実際は男性作家が娼婦のフリをして書いたものであることがかなり多かったと推測されている。ヤバい出版物であるので作家の身元が割れてない場合のほうが多いのだが、かなりのものは男性作家によって書かれたと推測されている。そこそこ教養のあるオッサンが美女のフリをして大嘘のエロばなしを語るというなんだかいやらしいジャンルだが、いつの時代でも「美女が性生活を赤裸々告白!」みたいなゲスい宣伝方式のほうが売れたのだろう。

参考文献:Alistaire Tallent, 'Listening to the Prostitute's Body: Subjectivity and Subversion in the Erotic Memoir Novels of Eighteenth-Century France', Proceedings of the Western Society of French History, 33 (2005):211-23 (pdf無料)

ポルノグラフィの発明―猥褻と近代の起源、一五〇〇年から一八〇〇年へ
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ベンジャミン・フランクリン
 寡婦Silence Dogoodをはじめとして男女多数の筆名を使い分けていたらしい。こちらのイリノイ大学で公開されてる論文も参照。


少女探偵ナンシー・ドルーの著者たち
 このシリーズはキャロリン・キーン名義で刊行されているが、ご長寿シリーズなのもあって男女含めて多数の人が著者となっている。多人数でひとつの筆名を共有しているのに近い。


ジェニファー・ワイルド…本名トム・E・ハフ。女性名でロマンス小説を執筆しているらしい。


紀貫之 まあ、言うまでもなかろう。

 この他にもかなりたくさんいるのだが、理由としては既に業績があってそれと同一人物だと思われたくなかったとか、女性向けのものを書くので女性名のほうが好都合だとか、いろいろあるようだ。

すばらしい生き方をする、できる限りお近づきになりたくない人々〜エミリー・マッチャー『ハウスワイフ2.0』

 エミリー・マッチャー『ハウスワイフ2.0』森嶋マリ訳(文藝春秋、2014)を読んだ。

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 アメリカにおける、高学歴女性・キャリアのある女性の家庭回帰を扱ったルポである。最近、学歴あるミドルクラスあたりの女性が仕事を辞めて専業主婦になったり、農家になったり、家庭で小さいビジネスをやったりする傾向があり、これについていろいろ取材したい、というのがテーマだ。

 とはいえ、これはかなり一筋縄ではいかない本である。いかにも「ハウスワイフ2.0」という言葉から想像しやすいような、外であくせく働くのに疲れたミドルクラスで、家で料理や農業や子育てを満喫し、手芸で小金を稼ぎつつその様子をブログにアップ…みたいな穏健な女性だけではなく、ヒッピーくずれのエコフェミ的な農業をやってる人とかDIY路線の編み物アクティヴィズムやってる活動家みたいな相当とんがった人から、レズビアンやゲイのカップルとか専業主夫、はては敬虔なモルモン教徒で昔から神の教えに従った家庭生活に驀進しています…みたいな「どこが2.0なんじゃ」というような人までいろんな家庭重視の動きを取材しているので、これむしろタイトルは『ハウスワイフ2.0』じゃなく原題のHomeward Boundのほうが良かったんじゃないかという気がしてくる。またまた出てくる事例1/3くらいはおそらくは厳密に言うと専業の「ハウスワイフ」としてすぐ思いつくのとはけっこう違う、つまり農業やってたりマイクロ起業みたいなことしてておそらく税金も申告しないといけないのであろう兼業主婦っぽい人が多い(本人が自分の職業はハウスワイフと自認してるんならまあこのタイトルで正しいと思うのだが、いったいこの人たち税金とかどうしてるんだろう、とは思ってしまった)。まあ、保守派から相当尖った革新派まで、アメリカでは非常に不思議な超党派の家庭回帰的動きがある、ということを取材したいというのがこの本のコンセプトなのだろうから、この一見とっちらかった感じもしょうがないのだとは思う。

 全体的によく取材されたルポではあり、またフェミニズムを経験したライターとして、家庭回帰は個人がそれが一番良いと思って選択したものならいいことだと思うがいろいろ批判すべきところはたくさんある、という視点で書かれているのはバランスがとれている。とくに英語圏の保守派の歴史修正主義的アンチフェミニズムをきちんと批判しているところは高く評価できる。英語圏、とくにアメリカでは「アメリカ人の食生活が不健康なファストフードばかりになったのはフェミニズムのせいだ」という馬鹿げた陰謀論が流通しているらしいのだが、アメリカで缶詰その他のインスタント食品が普及した主要因は、第二次世界大戦に行われた軍人用レーションの開発事業によって食品加工技術が大幅に進歩したことだそうだ(p. 185)。戦争が終わってレーションを作らなくなった食品会社は、1940年代の末から60年代にかけて一般市場に活路を見いだし、新しい技術を使った缶詰などのイメージアップキャンペーンを行ったらしい。こうしたことはベティ・フリーダンが郊外の主婦の憂鬱を分析するはるか前に工業的要因で起こっていたことなのである(というか、そうやって家事が省力化されていったせいでフリーダンみたいな女性が家事の合間にものを書いたりする時間が増えたんではないかと思うんだが)。このあたりのアメリカにおける食品加工技術と戦争の関わりはむしろ本論より面白いかもしれないのだが、まあそんなに詳しく触れられているわけではない。こういう歴史的背景などをきちんと紹介しているのがこのルポのいいところだが、ただ惜しむらくは統計などの使用が少ない。シェリル・サンドバーグの『リーン・イン』がこれでもかと統計や新しい研究論文を使って説得的な議論を繰り出していたのに比べると、この本は統計の使用などが少なく、家庭回帰の動きが本当に大きなものなのか、それとも熱狂的な人々によって担われているが小規模な動きなのかがイマイチ見えてこない。

 しかしながらこの本、書き手の技術とかとか全く関係ないところで、かなりヤバいと思えるところがたくさんあった。というのも、出てくる人の半分くらいはあらゆるものを一から手作りするTOKIOレベルのびっくり人間か、「私の考える変なアメリカ人」みたいな人ばっかりで、全然うらやましいとは思えないし正直どん引き…あまりにもアメリカの労働環境が悪いので(なんてったってこの国、国民皆保険もないんだからさ!日本よりむしろ労働環境が悪いよ!)、企業に仕えるより田舎にひっこんで子育てをしたいというのは無理もないことに見えるし、外で働きたくないから家庭生活に邁進するっていうのはそれは別に尊敬できる生き方の一種ではあると思う。中にはかなりフェミニスト的な意識を持っている人もおり、賛同するしないにかかわらず、フェミニズム的に家庭回帰をとらえる考え方があるっていうのは知的好奇心をそそるし、またフェミニズムの多様さを示すものでもある。しかしながら、どういうわけだか自分の生き方を肯定したいあまりにうざいまでの宣教モードに入っていたり、健康に問題が起こりそうなことをしている例がいくつか紹介されており、そういう人たちははっきり言ってできるかぎり個人的にお付き合いしたくない感じだ。

 まず、220ページ前後で紹介されているシャノン。「仕事が好きだとかいう女性はそう思い込んでるだけだ」とか「フェミニストたるもの家庭に入るべきだ」的なことを言っており、余計なお世話としか言いようがない。仕事をやめて農業をやったり家庭に入ったりするであなたは幸せなんだろうが、他人も自分と同じことをしたら幸せになるに違いないと思うのは是非おやめいただきたいものだ。人間、男にも女にも向き不向きというのもがあり、料理を作って幸せな人もいればできるだけ家事なんかしないで学問や仕事をしてたほうが幸せだという人もいる。幸せは人によって違うのに、この調子で「他のヤツも家庭に入って農業やれば幸せなはずだ!」的に自分の生き方を押しつけてくるのは全く迷惑この上ない。ちょっと狂信じみてる。

 しかしながらシャノンみたいなのは押しつけがましくてウザいだけで他人の健康に害を及ぼしていないからまだいいほうだ。とにかく市場に売ってるものが信用できないから全部一から手作りする、鶏やらヤギやら飼って徹底的に自給自足する、という人たちのことがこの本では紹介されていて、大部分はまともなのだが一部すごくヤバそうな人がいる。こういう人は日本にもいると思うのだが、この本に登場している人たちの特徴はとにかく政府を信用していないということだ。こういう政府も医者も信用できないから全部自分でやるっていうのは『ダラス・バイヤーズ・クラブ』なんかのテーマでもあって、アメリカの地方では昔からある政治的立場で、読んでいて日本の健康オタクとかなり違うという印象を受けた。とはいえ見た目はわりと日本にもいるような感じのフードファディズムが多く、息子のアスペルガー症の原因が食べ物だと信じて手作り料理をしている母親とか(p. 178。これ、ちゃんと療育やってんのかな?心配だよね?)、風呂場で自宅出産してる母親とか、自給自足にハマりすぎて低収入で無保険の一家とか、なんかともかく死ぬんなら自分だけにしてくれ、子どもの健康にはもう少し気を遣ってくれ、というような一家が時々出てくる。ううー…

 と、いうことで、淡々と冷静に続く取材の中からアメリカの素っ頓狂なフードファディズム、反政府的自立心、他人に自分の生き方を押しつけないと死ぬ病気、などが垣間見える本であった。こういうすばらしい生き方をしている人たちとはできる限りお近づきになりたくないものである(一応補足しておくと、ここまで変な人はそう多く紹介されているわけではなくて、ほとんどはただ料理にハマってるとか手芸が好きとかいう善女善男である)。