ヴェルレーヌとランボー、泥沼不倫劇〜『皆既食』

 クリストファー・ハンプトン作、蜷川幸雄演出『皆既食』を見てきた。原作は1967年の作品で、1995年にレオナルド・ディカプリオ主演で『太陽と月に背いて』として映画化されている。象徴主義の詩人アルチュール・ランボーポール・ヴェルレーヌの泥沼不倫を、史実を脚色しつつ描いたものである。

 戯曲としては、いろいろと面白いところもあるのだが基本的にとんでもねえDVダメ男であるヴェルレーヌと、若く美しいランボーがくっついたり離れたり喧嘩したり、しょうもない腐れ縁に陥る様子をえんえんと描いた作品で、そんなに盛り上がりはないと思う。ヴェルレーヌが亡くなった兄と姉の話をするところをはじめとしていろいろと盛り上がる台詞などはあるのだが、そんなに起伏のある芝居ではない。とはいえ、まあカップルの腐れ縁とえんえんと描くというジャンルの芝居はないわけではないし、その手の芝居は見ていてつらい傾向があるものではあるので、そういうジャンルのものとしてはとくに話がつまらないというわけではないと思う。もっとがっつり台詞が文学的でもいいと思うのだが、そうはいっても台詞に象徴派の詩の雰囲気を残した表現も多数取り入れられている。


 しかしながら、映画版の『太陽と月に背いて』でもそうだったと思うのだが、これは主にランボーを中心とした役者の演技を見せる映画である。この上演でもランボー役の岡田将生があまりにもしなやかで可愛らしく、それに目を奪われてしまって正直あんまり演出に気をつけることができなかった(それが狙いか?)。屋根裏の寝室でヴェルレーヌを誘惑するあたりは見ていてドキドキしてしまった(←よこしまな情欲に阻まれて芝居がちゃんと分析できないよ!)。ヴェルレーヌ役の生瀬勝久もみじめなDV男役で悪くないのだが、ただ台詞が噛み気味だったのが残念である(岡田将生の台詞回しが、まあ完璧というわけではないのだが舞台初主演にしては思いのほかナチュラルだったので、相手役のヴェルレーヌが噛むと目立つのかも)。


 全体的には、ぼーっと暗い中にキラキラと光を散らした床やろうそくが照るという光の演出が面白かった。最初の場面が終わった後、使用人がろうそくを消して回るのに次の場面までなぜか一本だけ火が残っていたりとか、ちょっと不思議な光の使い方をしている。おそらくこういうぼーっと暗い中に光るあかりの演出は、芝居の中でランボーがひたすら太陽を求めているのに、その光は舞台上では与えられないということを暗示しているのだろうと思う。