過激ぶった、ただの学芸会〜シアターシャイン『サロメ』

 シアターシャインでトレメンドスサーカス『サロメ』を見てきた。本当にひどかった…

 滑舌がかなりイマイチでまるで学芸会みたいに見えるというのはさておき、なんか一応ワイルドの『サロメ』を下敷きにしているらしいのだが、全然ワイルドとは別物である。なんてったってダンスもないし誰も脱がない(ダンスのない『サロメ』なんて、独白のない『ハムレット』みたいなもんだろう…)。そしてのこの「誰も脱がない」というのが大事なところで、全く肉体性の欠如した舞台だった。

 サロメが実父に強姦されて子どもを産んでたり、ヨカナーンと以前から知り合って恋心を抱いていたり、ヘロディアスがクレオパトラの娘だったり、ヨカナーンがイエスに恋心を抱いてたり、まあなんだかごてごてとした昼メロみたいな安っぽい設定がたくさんついており、台本は全く筋が通っていない。まあ筋が通っていない程度ならいいのだが、最後の挨拶によるとどうもワイルドの原作を「過激」にしたつもりだそうで、どこが過激なんだかさっぱりわからなかったのでビックリした。全裸が飛び交うイギリス式の演出に慣れすぎてるせいかもしれないのだが、むしろ見ていてずいぶん大人しいと思った。

 原作の『サロメ』(生の舞台は去年、RSCで初めて見た)は元来、非常に過激な芝居だ。既に連載記事でも書いたが、この作品は「美を求める者はいかに社会から認められず、冷たい仕打ちを受けるか」ということに関する芝居であり、美を求める者は道徳どころか生命にすら背いて美を求めるしかないのだという極めて反社会的、ラディカルなテーマを追究している。一方でこの作品のテーマは肉体性であり、美しい肉体を求める者(サロメ)が自分の美しい肉体(ダンス)を使ってそれを手に入れようとするという、肉体を用いた究極的な取引に関する物語だ。理想化された台詞と生々しい肉体がぶつかるところにこの芝居の醍醐味がある。そういうわけなので、この芝居は気品のある台詞回しだが半裸の肉体がうろちょろしているような演出にしないとダメだと思うのだが、今回の上演は異常に多くてしかもやたら下品な台詞回しなのに(ナラボートがサロメを「エロい」とか言うのだが、手の届かない女を理想化してるナラボートがそんな台詞言うとかあり得ないだろ)、ダンスもなければ肉体を問題化するような演出も一切ないので(露出度が少ないとか以前に、動きじたいが少なくてなんかダサい)、まるで頭だけで考えた生命のない芝居に見える。

 よく考えたのだが、たぶんゴスっぽい衣装でやったのが間違いのもとなのかもしれないと思う。ワイルドの世界とゴス的美意識は一見、よくあうように思えるのだが、実のところ日本のゴスロリってはっきり言って肉体を消去するファッションなので、肉体を問題化するこの芝居には合わないと思う。イスラーム女性が肌の露出のないロリータファッションをしたりゴスロリ風味のヒジャブを着たりすることもあるらしいのだが、よく考えると日本のファッションのうち、ロリータファッションとかヤマンバとかは肉体をなくす方向に向かってると思う。

 ちなみに『サロメ』といえばこのパチーノとジェシカ・チャスティンの映画(舞台を撮ったもの+パチーノがワイルドについて調査をするメイキング)がとても良かったのだが、日本語版が出てないのは残念だ。