すごく時代考証のしっかりした時代もの〜『薔薇と白鳥』(ネタバレあり)

 東京グローブ座でG2作・演出『薔薇と白鳥』を見てきた。「薔薇」ことクリストファー・マーロウ(八乙女光)と「白鳥」ウィリアム・シェイクスピア(髙木雄也)の友情を描く作品である。

 舞台装置はかなり大がかりで、けっこう高い位置に設置されており、さらに階段で登る上の部屋を使う場面などもある。回転してどんどん場面が変わるようになっており、割合複雑なセットだった。なんと私は一番前中央の席だったので舞台に近くてビックリした…のだが、この席はマーロウがバラ撒いた台本が飛んできたり、ニセ金を模したコインが降ってきたり、けっこういろいろなものが落ちてくる席だった。

 時代考証がずいぶんしっかりしており、ビックリした。序盤で若きシェイクスピアが台本を読んでいるところで、なぜかシェイクスピアがいろんな登場人物の台詞を覚えているので「?」と思ったのだが、その後でシェイクスピアが「ふだんは自分の役の台詞しかもらえないからつまらない」というようなことを言っており、ほほうと思った(この頃の役者は自分の台詞とどのきっかけでそれを言うかだけを書いた紙をもらうことになっており、完全な台本は通常もらわない)。シェイクスピアがずいぶん役者として活躍していたり、最後にテロ未遂が起きたりするのは脚色だが、そういうお話に必要なところ以外ではけっこう考証が正確だ。『ヘンリー六世』三部作の頃にマーロウがシェイクスピアと共作していたというのも最新の研究成果に基づいていて、私も薔薇戦争サイクルはかなりマーロウの影響が強いと思っているので、序盤の展開はかなり史実に忠実だ。確認したところ小田島恒志先生が監修しているそうで、それはまあ正確で当たり前か…と思った。ただ、前田文子による衣装はかなり豪華な方向に盛っていると思う(これはキレイなのでまあいい)。

 話はとても面白く、当時の宗教や政治、劇場の事情をいろいろリサーチして盛り込み、最後はマーロウがシェイクスピアのため身を犠牲にして尽くす波瀾万丈な展開で、メリハリもあって良く出来た台本だと思った。笑うところもたくさんある。細かい台詞にもリサーチの気配が感じられ、「劇作家」という言葉をできるだけ避けて「詩人」という言葉を使うなど(この頃はplaywrightという言葉がまだほとんど使われていなかった)、16世紀末の雰囲気をできるかぎり生き生きと出そうとしているのがうかがえた。マーロウがゲイだという説を取り入れて、それに対する偏見を日本の芝居にしてはちゃんと台詞で描いているのも悪くない(イギリスの芝居だったらもっとはっきりマーロウのボーイフレンドを出したりすると思うし、それくらいやってもいいかもとは思うが)。

 シェイクスピアを演じた髙木雄也はストレートプレイ初出演だそうなのだが、そうは思えないくらい堂々とした演技でちょっと驚いた。いくつか台詞がもたついているところはあったのだが、見ていてまだかなり伸びそうな気がしたし、生意気な新人シェイクスピアに個性が良くあっている。一方で八乙女光のクリストファー・マーロウはかなりミスキャストというか、若すぎるし個性もあってないと思った…史実ではシェイクスピアとマーロウはだいたい同じくらいの年齢なのだが、マーロウのほうが先にキャリアを築いており、またスパイだったという噂があるくらいで人生経験も豊富なはずだ。作風からしてもちょっとやさぐれてて成熟したお兄さんみたいなイメージがあり、この役もそういう感じで書かれているので、たぶん中年にさしかかったくらいの年の役者でようやく似合うんじゃないかと思う。それなのに演じている八乙女は年が髙木とほとんど同じで、しかもなんか爽やかなハンサムなのであまりマーロウっぽくなく、本人もかなり苦労しているようで台詞が噛みまくっていた。助演で武田真治(フライザー役)が出ていてこれがとても良かったのだが、たぶんマーロウは武田真治がやってもいいくらい成熟した役だと思う。やたら熊いじめが好きなヘンズロウ役の佐藤B作とか、ネッド・アレン役の本折最強さとしとか、ゲイのマーロウに惚れているジョーン役の町田マリーとか、脇を固める助演陣は皆とても芝居がしっかりしていた。

 ちなみに私は7月にドイツのヴィッテンベルクで開催される5年に一度の国際クリストファー・マーロウ大会で発表するのだが、マーロウ受容について話す予定なので、急遽この芝居のことをちょっとだけ盛り込もうと思った。日本でこういうことをやっているというのを学会でおさえておくのは有意義な気がする。