オールフィメールで「女の芝居」をやる陥穽〜女体シェイクスピア『迷走クレオパトラ』

 柿喰う客の女体シェイクスピア006『迷走クレオパトラ』を見た。

 セットは同時上演の『暴走ジュリエット』とほぼ同じで、背景が上下逆になっているだけ。台本も、普通にやると相当長い『アントニークレオパトラ』を一時間半に満たないくらいまでカットしており、大変スピーディになっている。ただ、見ていてかなり疑問がある、というか、はっきり言って私は面白くなかった。

 とりあえず、クレオパトラほかエジプトの女性陣の衣装が良くない。クレオパトラは真っ赤、侍女たちは青系のスリムなドレスを着ているのだが、『暴走ジュリエット』もそうだがこういうオールフィメールの上演で女性の性をいかにも記号的にわかりやすく表現するようなものを着せるっていうのはあまりにも安易だし、見ていて面白みがないと思う。で、こうした衣装の選択のせいでクレオパトラが非常にナチュラルに女っぽい女になっていて、これが非常に面白くない。『アントニークレオパトラ』のクレオパトラというのは意識的に過剰な「女らしさ」を作っている、ドラァグとしての「女」を大げさに演じている女であって、着るものにも身のこなしにもそうした芝居がかった部分が表れていないといけないと思う。オールフィメールでこの作品をやるっていうのはそういう女であることのわざとらしさをこれでもかと強調できる機会だと思うのだが、この上演のクレオパトラは主演の高部あいのもともとの個性を強調しようとしすぎたせいか、あまりにもナチュラルに女っぽいクレオパトラが作られており、オールフィメールでこの作品をやる意味があまりないように思えた。

 一方、原作の政治劇としての側面が薄くなっているのもあまりよくない。『迷走クレオパトラ』は台本をばっつりカットしたのもあって政治劇としての側面がかなり失われており、クレオパトラがセクシーな中年美女であるだけではなく、強力な政治家でもあるということがあまりよくわからなくなっていると思う。『アントニークレオパトラ』の政治劇としての側面をきちんと出して演出するのは大変だろうとは思うのだが、オールフィメールならいくらでもやりようがあるだろうと思うので、こういう女性キャストでなくてもたいして変わらないような「セクシー美女と中年男の恋」の話にしてしまうのはかなり安易だと思った。一方でクレオパトラアントニーが初めて出会う場面の描写の台詞をカットしてしまったため、クレオパトラの美を称える台詞が少なくなっているところも…恋愛劇にしたいのに、なぜあの台詞を削ったの?

 こういうのは、もともと女性が支配的である戯曲をオールフィメールで上演する場合の陥穽と言えるかもしれない。『アントニークレオパトラ』はヒロイン(しかも色気むんむん)の役柄が大変大きく重要な芝居なので、オールフィメールでやる場合はできるだけいかにも女性っぽいヒロインの魅力を強調する一方、女役の恋の相手である男役は過剰に「男」らしく作らないといけないという描き分けがあるのだろうが、この上演では男役は皆過剰に男、ドラァグキング的な男であるのに、女性たちはあまりにも自分が女を演じていることに無自覚であるように見える。そう考えると、『ジュリアス・シーザー』とか『ヘンリー五世』みたいに男ばかりの戯曲のほうがかえってオールフィメールでやりやすいんじゃないだろうか…と思った。