こんなんうちが見たいロルカじゃない!ゲイト座『イェルマ』

 ゲイト座でフェデリコ・ガルシア・ロルカの有名な戯曲『イェルマ』を見てきた。ロルカは私のお気に入りの劇作家の一人なのだがお芝居を観るのは初めてだったので楽しみにしていた…ものの、全然ダメだったと思う。うちは古典の大胆な翻案は好きだしこの間同じゲイト座でやった『エレクトラ』の翻案とかは良かったと思うのだが、今回の翻案版『イェルマ』を見て初めて「完成された名作をいじるな!!」とブチキレそうになった。

 ロルカは日本でも一部熱狂的なファンがいるので本自体は読まれているはずだと思うのだが(一般受けはしない気がするけどオタクを惹きつけそうな作風)、戯曲はなんかやたら反リアリズム的でふつうの舞台ではかなり上演しづらい感じである。『イェルマ』は『血の婚礼』(←たぶんこれが一番上演されてると思う)と『ベルナルダ・アルバの家』とあわせてロルカの三大悲劇と呼ばれているもので、どれもスペイン(ロルカは「プロのアンダルシア人」と言われるくらい意識的に地方色を取り込もうとしてたらしい)の民俗をふんだんにとりこんだ血みどろの悲劇である。『イェルマ』はアンダルシアのどこともしれない田舎を舞台に、子供のできない女性イェルマ(「不毛」という意味らしい)が怨念積もり積もって夫を殺してしまうまでを描いた作品である。

 で、私はロルカの戯曲の現代人にとって非常に切実に感じられそうな政治的問題(『イェルマ』だとジェンダー、カトリシズム、村社会など)をまるっきり前近代的な神話ふうの枠組みでシンボリックに提示するところとか、あとわざとらしいまでに豊かなアンダルシアの地方色を盛り込んでいるわりにはそういう地方社会の伝統に基づく歪みに容赦なく切り込んでいるところなんかが好きなのだが、今回のアンソニー・ウェイによる翻案はもとのテキストの反リアリズム的な場面をばりばり刈り込んで一方で視覚的にショッキングな場面(舞台で妊婦が放尿したりつわりで吐いたりとか)や心理描写っぽい場面を増やしており、原作とは全然別物って感じがした。で、こういうわかりやすい芝居が好きな人もいる…とは思うのだが、私にとっては絶妙につまらんかった。原作の持っている、お行儀の良い近代劇の作法に従わないラディカルな様式美をなんか超ちゃんとした近代心理劇に落とし込んで矮小化している感じで、もとの戯曲にあるギリシア悲劇ふうな独特の雰囲気が全然なくなっている。あと地方色も半端で、スペインらしいところは全くないのだが別にイングランドの特定の田舎とかにしているわけでもないので(なぜかマリアがイェルマ夫妻に比べて異常に訛りが激しかったり、フアンが『欲望という名の電車』のスタンリーみたいだったり、まじない女のドロレスがブードゥー教っぽかったり、ちょっとどこを想定しているのかわからん)、非常に漠然とした話に見えたな…

 あと、視覚的にショッキングな描写も疑問。ゲイト座は額縁舞台じゃなくて平戸間を舞台にしてその三方を囲むように椅子を設置してあるのだが(小さいハコとしてはかなり素晴らしい設計)、うちは正面真ん中だったせいでどまん前で妊婦役の女優がバケツに放尿しはじめてびびった、まあびびったまではよかったものの、あまりにも距離が近かったせいでチューブに水を入れたパックを仕込んでるのが見えたのは興ざめだったかな…しかしながら『イェルマ』のラディカルさはこういう表層的なショッキング描写にはないはずだと思うので、かなりこういう演出は疑問。

 と、いうわけで、初めて見たロルカの芝居はなんか「久々にすげーつまらんかったな」という感じだったのでがっかり。しかしロルカの芝居は歌舞劇ふうに上演するほうがいいのではないかという気がするので、能とかでやったらどうかな…似合うと思うんだけどな…