Manushag N. Powell, Performing Authorship in Eighteenth-Century English Periodicals

 Manushag N. Powell, Performing Authorship in Eighteenth-Century English Periodicals『18世紀イングランドの定期刊行物において書き手を演じること』 (Bucknell University Press, 2012)を読んだ。

 これは18世紀イングランドで一気に興隆した雑誌の出版における「書き手(author)ってなあに?」という問題を扱った研究書である。いきなりWorld of Warcraftの話から始まってびびるのだが、全体としてはストレートなようでつかみ所がないauthorの概念を18世紀の人がどうとらえていたか、という話である。18世紀の雑誌のauthorのpersonaを示す専門用語としてeidolonっていう言い方があるらしいのだが、日本語にすると「書記人格」あるいは「編集子」だよね?これ、オンラインにも適用できる概念なのかな?

 あまり雑誌については詳しくないので自分の興味あるところだけ精読する感じで読んでいたのだが、18世紀には女性の書き手が飛躍的に増えたため、書き物とジェンダーにまつわる議論も雑誌上でたくさんあったらしい。女性作家たちが「書くこと」を女性の特性と結びつけることで自分たちの権利を守ろうとする一方、女性作家の急激な増加に対してミソジニー的な攻撃をする男性作家もいた。女性作家の発話をオウムに喩えてバカにするとかがよくある中傷だったらしいのだが、ジョン・ケネディの'those Menstrual Eruptions from the Press, called Magazines'「印刷に爆発的生理がくる現象、つまり雑誌」(1752)という批判とか、これは下品とかいうレベルじゃないミソジニーだな。また、女性作家が男のふりをするのは今でもよくあるが、男性作家が女のふりをすることもあって、18世紀英国だと「お金がない」と男性作家が言うのはなんか恥ずかしいけど女性作家なら「お金のためにやむなく書いているレディです」というのがまだOKだった、という事情があるそうだ。