意図的にアップデートを拒否した19世紀ホラー〜『クリムゾン・ピーク』(ネタバレあり)

 ギレルモ・デル・トロ監督の新作『クリムゾン・ピーク』を見てきた。

 1880年代末、ヒロインであるイーディス(ミア・ワシコウスカ)はワーキングクラスから一代で成功した実業家の父とふたりでニューヨーク州バッファローで暮らしていた。イーディスは子どもの頃に「クリムゾン・ピーク」に注意するよう警告する幽霊に悩まされ、大人になってからは小説家志望で幽霊物語を書いていた。眼科医であるアラン(チャーリー・ハナム)はイーディスに惚れていたが、イーディスはイギリスからやってきた準男爵、トーマス・シャープ(トム・ヒドルストン)に夢中になってしまう。父を突然亡くした女相続人イーディスはトーマスと結婚して英国に渡り、トーマスとその姉ルシール(ジェシカ・チャステイン)とともにシャープ家の屋敷であるアラーデイル・ホールで暮らし始めるが、イーディスの身辺に奇妙な出来事が起こるようになり…

 ビックリするほど正統的なゴシックふうの19世紀ホラーである。イギリスの田舎のお屋敷に気丈なヒロインに…という展開がもうゴシックロマンスの王道だが、19世紀英国の古典への目配りがたっぷりある。高貴な身分の夫が実は既婚者で…というのはミア・ワシコウスカが前に主演した『ジェーン・エア』を参考にしているとおぼしき展開だ。録音機が使われるのはブラム・ストーカーの『ドラキュラ』をヒントにしていると思われるし、小説家志望のイーディスが『フランケンシュタイン』のメアリ・シェリーに言及するというネタばらしもある。

 そして一番面白いと思うのは、この映画は19世紀イギリスの古典ホラーに対して現代っぽいひねりを全然加えていないことである。19世紀ならぼかして描くところ(近親相姦とか)を現代風に克明描写しているというところはアップデートと言えるだろうし、天井に穴があいて常に何か降っているお屋敷とか虫の描写なんかの独創的なヴィジュアルにはデル・トロらしい独特の作家性が感じられるが、この映画はそれ以外は一切、21世紀風の味付けをしていないと思う。ティム・バートンなんかに顕著だと思うのだが、この手の映画を今つくるとだいたいキッチュ方面にいくか、スチームパンクの影響が入ってくることが多いと思うのだが、この映画は全くそういう「現代風にアップデートしてますよ〜」という身ぶりを示さず、正統的にゴシックに突っ込んでいっている。お話がゆっくりしたペースで、怖さよりも人間の愛憎や冒険などに重点を置いているのもいかにも19世紀の古典ホラーらしい(最近の急展開やショッカー演出になれていると違和感あるかもしれないが、19世紀の古典ホラーってだいたいこういう感じだ)。美術の点でも、豪壮だがほとんどけれん味のない機械の描き方なんかは完全に『ドラキュラ』や『フランケンシュタイン』準拠のように思える。

 ここまでちゃんとした19世紀ホラーをやるかということで英文学者的にはすっごく感心してしまうのだが、お話についてはゴシック的なホラー/ロマンスの定型を非常にきちんと押さえている分、新しいと思えるところと定型にはまりすぎていると思うところが両方あり、これがゴシックロマンスの限界なのかなーと思った。ギレルモ・デル・トロは女性のキャラクターにすごい関心があるみたいで、この映画はベクデル・テストは完璧にパスする(イーディスとルシールが虫の話をする場面)。また、窮地に陥ったイーディスをアランが助けに来る…と思いきや、アランは失敗してしまって結局イーディスがアランを助ける、というような伝統的な性別役割分担をひっくり返すひねりがあったりして相当考えているとは思うのだが、それでもけっこう昔ながらのジェンダー定型にはまってしまっているところがあると思う。ゴシック的なロマンスというのは、ブロンテ姉妹を考えてもわかるようにジェンダーセクシュアリティについて実験ができる分野だと思うのだが、一方でこのジャンルが流行った18-19世紀的な世界観を継承してしまうところがあるので、こういう完全に正統的な古典ホラーの再構築だと実験的な描き方にも限界があるように思う。

 ヒロインのイーディスは気丈な女性だが、最初に誤った選択をして自分の身を危険に陥れてしまう…ものの、その愛と人格によって邪悪であった夫を改心させる。自分が行った誤った選択の始末を自分でつけ、男性に頼らないイーディスは強さと知性を併せ持ったキャラクターで、また作中で世間知らずのお嬢さんから戦う女性に変化するというめざましい成長を見せる点で深みのある人物ではある。しかしながら、女性の愛と優しさが邪悪な男性を道徳的に改心させるというのはちょっと古くて型にはまりすぎている話にも思える。

 もっと古いと思えるのはトーマスの姉のルシールである。ルシールは弟と近親相姦関係にあり、美貌と狡知で弟を排他的な性愛関係に縛り付け、支配しているというキャラクターだ。こういう、セックスによって近しい男性を操り、死にまで追いやるモンスターのような美女というのは、19世紀末頃の女性嫌悪的なファム・ファタル像から強い影響を受けた女性像で、私にはかなり古典ホラーにありがちなミソジニーを受け継いでしまった人物造形に見える。ジェシカ・チャステインがあまり肉体を使わず理知的に演じているせいでそこまで鼻につかないのだが、かなり古めかしい女性像だろう(詳しくはブラム・ダイクストラ倒錯の偶像―世紀末幻想としての女性悪』などを参照)。

 おそらくふたりのヒロインがゴシックの定型をきちんと反映しようとしたせいでイマイチ古さから抜け出せていないのに比べると、男性キャラクターはわりと自由に描かれているように思う。青髯だったはずのトーマスがたった一度肉体関係を持っただけでイーディスに情が移ってしまうというのは、昔からよくある「女性は一度性交渉を持った相手を忘れられない」的なクリシェをひっくり返しているのではないかと思うのだが、こんなえらいセンチメンタルな展開をトム・ヒドルストンがかなり情念豊かに演じているので謎の説得力がある。一方でイーディスに真剣に惚れているアランを演じるチャーリー・ハナムトム・ヒドルストンと並ぶと、めちゃめちゃ好青年なのに乙女心をくすぐる色気に欠ける感じがあからさまになって実に気の毒だった…し、勇敢なわりにはイーディス救出で大失敗するなどのドジッ子ぶりでなかなかかわいそうなキャラなのだが、明るく感じが良い裏でこっそり心霊写真の研究などしているあたり、アランはかなりデルトロ監督に近いキャラなのではと思ってしまう。