一種の妊娠ホラー~『透明人間』(ネタバレあり)

 『透明人間』を見てきた。古典ホラーのリブートである。

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 ヒロインのセシリア(エリザベス・モス)は科学者で抑圧的な恋人であるエイドリアン・グリフィン(オリヴァー・ジャクソン=コーエン)のもとを逃げ出して友人である警官のジェイムズ(オルディス・ホッジ)親子のところに身を寄せる。ある日突然、エイドリアンが自殺したという知らせが入り、セシリアにはエイドリアンの遺産が転がり込むことになった。その頃からセシリアの身の回りで不審な事故が起きるようになり…

 

 セシリアが透明人間の存在を感じ始めるが、周りに信じてもらえず、DVのトラウマよるストレスだと思われ、どんどん追い詰められていくあたりが描写のキモになっている。あまり予算をかけずに演出で怖がらせるタイプの映画で、既にいろいろなところで言われているが非常に『ガス燈』の影響を強く受けており、また『レベッカ』とか『キャット・ピープル』みたいな古典的女性映画ホラーを思わせるところもある、上品なホラー作品である。罪を犯しておらず、病気でもないのに女性が施設に入れられてしまうあたりは『チェンジリング』などに少し似ているし、怖がらせ演出は『エイリアン』などの影響もうかがえる。様々な古典を研究し、もともとの原作はもちろん、ホラーというジャンルに敬意を払いつつアップデートしている映画だ。

 ちょっと現代的な工夫と思ったのは、妊娠をめぐる伏線の張り方である。できるだけ台詞での説明を減らして映像や音で雰囲気を盛り上げたり、情報を伝えたりしようとする作品なのだが、冒頭、観客にはほぼ情報が与えられていない状態でセシリアが夜中に屋敷から逃げだそうとする場面で、セシリアのバッグに睡眠薬ジアゼパムと一緒に避妊薬が入っているのが見えるところがある。ContraceptionだかContraceptiveだかどちらの文字が薬のパッケージに書かれているのがあえて映されているのだが、これはおそらくセシリアが避妊に非協力的なパートナーから逃げようとしていることを暗示するものだ。別に協力的なパートナーがいる女性が避妊薬をのんでることは普通にあるのだが、わざわざ映すというのは明らかにここでセシリアが怯えている理由をほのめかすためにやっている。このチェーホフの銃的な使い方をされている避妊薬だが、あとで重要なポイントとしてプロットに絡んできて、妊娠に関するかなり怖い展開がある。この作品は一種の妊娠ホラー…というか、最後の場面になってもセシリアのお腹にはたぶんエイドリアンの子供がいるわけであって、一見いろいろ解決したような終わり方ではあるものの、実は全然解決していないのではという引っかかりがあるところが恐ろしい。

 全体的に説明的にならないよう気をつけてカットしているのはいいのだが、ひとつちょっと省略しすぎかもと思ったのは、セシリアがジェイムズのところに引き取ってもらえることになった経緯である。見ているうちにだんだんジェイムズが警官でストーカーの扱いとかに比較的慣れており、おそらくセシリアと昔からきょうだい同然に親しい(しかしながらきょうだいではないのですぐエイドリアンにバレない)からだろうということが推測できるのだが、たぶんこの情報はもっと早く出したほうがいいのではと思う。DV被害を描いた作品としては古典的な作品である『ワイルドフェル・ホールの住人 』から既にそういうところがあるのだが、しつこい恋人に追われている被害者をどこに隠すかというのはけっこう設定として詰めておいたほうがいいものだと思う。ジェイムズだって自分に娘がいるのにストーキングされているかもしれない人を預かるのはあんまり楽ではないだろうし、最初のほうはけっこう都合良く助けてくれる人みたいに見えるので、もう少しこのへんの設定の説明が欲しかった。