セクシー、暴力的、でも一歩引いて〜松本俊夫回顧上映『薔薇の葬列』

 イメージフォーラム松本俊夫回顧上映で『薔薇の葬列』(1969)を見てきた。十代のピーターを主演に迎え、60年代末のゲイカルチャーや政治を背景に主人公のゲイボーイ、エディの青春を描いた物語である。

 基本的には『オイディプス王』を下敷きにしており、母親を殺してゲイバーで働くようになったエディ(ピーター)が付き合うようになった相手が実の父親だった…という物語である。一方、この過程でエディは父親の恋人であるバーのママ、レダ(小笠原修)を追い落とすのだが、ここは鏡がモチーフとして使われていて『白雪姫』である。非常に綺麗に古典を下敷きにしているのだが、インタビューなどドキュメンタリー的な撮影を取り込みつつ、60年代末のゲイバーの様子や政治運動、ドラッグカルチャーを生々しく描いてもいる。神話や民話を題材にしつつ、この時期の東京の街をリアルにとらえているという点ではジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』にも似ているかもしれない。

 全くそういうつもりはないのかもしれないが、とにかくクィアな作品だ。ゲイカルチャーをあまり偏見なく撮っているのだが(ちょっと古いところもあるのかもしれないが、現代のたいがいの映像作品よりずっとちゃんとしてる)、ドラッグとか左翼運動とかも同じテンションで撮っていて、エディがケガした左翼青年を介抱してあげるところとかはとてもよく撮れてると思った。主演のピーターがとにかく美しいのだが、一方でラブシーンの後に突然カメラが引いて撮影している周りの人たちを映し、「これは撮影現場です」ということを見せていて、エロティシズムや被写体の美しさを相対化する視線がある。さらに最後のエディが恋人の自殺を発見して自分の目をつぶす場面はかなりショッキングなのだが、これまた突然淀川長治さんによる笑える解説が入り、暴力を美しく撮りつつそれを相対化する視線もある。こういうとにかくセクシーで暴力的なのに、それをどこか冷静に引きで見つめる視線があるところが実にクィアというか転覆的だと思う。ナラティヴは直線的ではなく、けっこう入り組んでいるし前衛的なのだが、そこにまたなんともいえないクィアな雰囲気がある。