クリスティのアンフェアな世界〜『オリエント急行殺人事件』

 ケネス・ブラナー監督『オリエント急行殺人事件』を見てきた。オールスターキャストでアガサ・クリスティの古典的ミステリを映画化したものである。

 けっこう面白いところもあり、オリエント急行というインターナショナルな空間を演出するためにちょっとキャストの民族をいじったりしているところも良かった。原作のオリエント急行車内は1930年代のヨーロッパ及びアメリカの民族の縮図だったのだろうと思うのだが、おそらく今だともっと民族のヴァリエーションを増やさないとあまりインターナショナルに感じられないので、アーバスノット医師をアフリカ系にしたり、原作ではイタリア系(口がうまくて信用できない、みたいな偏見を持たれている民族)のアントニオをキューバ系のマルケスにしたりしているところはけっこううまくアップデートしていると思う。とくに、この設定だとアーバスノットとメアリ(デイジー・リドリー演じる白人女性)がロマンスをひた隠しにしているというのも自然に見えるようになる。ただ、オリエント急行でここまでするなら「帝国」感を出すためにアラブ系か南アジア系をひとり乗せたほうがいいんじゃないかと思ったのだが…ドラゴミロフ公爵夫人を演じるジュディ・デンチ(メイドとの料理に関する会話でベクデル・テストをパスする)やマスターマンを演じるデレク・ジャコビはブラナー一座のメンバーで、相変わらずたいへん芸達者で演技は見応えがある。ちなみにカメオみたいなちょっとだけの扱いで(クレジットはあり)、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの『ハムレット』のハムレット役で話題をさらったパーパ・エシエドゥが出てたようで、このあたりにはちょっとケネス・ブラナーのこだわりを感じた

 とはいえちょっとやりすぎと思うところもたくさんある。最初のポアロ(ケネス・ブラナー)がエルサレムで宗教紛争絡みの事件を解決するところは正直いらない気がする。あと、アンドレニ伯爵役のセルゲイ・ポルーニンはめちゃくちゃカッコいいがあんなサービスカットみたいなアクションシーンは要るのかなと思った(いくらカッコいいからって、相手がパパラッチとはいえ外交官がいきなり人を殴ったらスキャンダルになるし…)。全体的にアクションを増やしていて、ポアロが杖で実力行使したりするのも別に要らないのではと思った。ポアロはいつも余裕があって落ち着いたキャラだと思うので、まあアクションはなくすべきだというわけではないのだが、ちょっと行動を派手に取り過ぎているように思った。

 この映画を見て思ったのは、我々がエルキュール・ポアロミス・マープルに求めてるものというのは、シャーロック・ホームズに求めてるのとは相当違うということだ。ホームズとワトソンについてはキャラクターを見に行っている感じが強いが、ポアロやマープルについては、視聴者はアガサ・クリスティのトリッキーでアンフェアな世界を見に行くんだと思う。ポアロミス・マープルは忘れがたい個性的な探偵だが、クリスティ特有のアンフェアなトリックがあるからこそ生き生きして見えるように思う。とくにポアロはアンフェアな世界で確かなものを探るのことで魅力が倍増するキャラクターであり、『オリエント急行殺人事件』のオチの付け方なんかはまさにそうである。皆、「あのオリエント急行」とか「あのABC」だから見に行くのであって、たとえばポアロを出して完全オリジナルストーリーで翻案を作るのはホームズよりはるかに難しいだろう。