女の世界に行きたい王子〜ケネス・ブラナー演出、トム・ヒドルストン主演『ハムレット』

 ケネス・ブラナー演出、トム・ヒドルストン主演でRADAで行われた『ハムレット』、非常に運良くチケットが当選したので行ってきた。

 RADAのジャーウッド・ヴァンブラ劇場は小さなブラックボックスシアターで、大がかりな舞台装置などはほとんど設置できない。三方を囲むようにパイプ椅子の座席(上の階にはもうちょっとちゃんとした椅子があるが、それでも簡易)が置かれ、奥には一応簡単な背景を置けるようなセッティングだった。役者はほとんどを三方から観客に囲まれた状態で演技することになり、さらに私は一階席だったので役者との距離が大変近い。手を伸ばせば届きそうなところにトム・ヒドルストンがいる。衣装は現代のもので、セットについては前半部分は執務室の壁と机などが使われ、後半はもうちょっと抽象的な感じになる。

 ケネス・ブラナートム・ヒドルストンが組んだということで、キャスティングがかなり工夫に富んだものになっている。ブラナーはもともとカラーブラインドキャスティングをよくやる人だが、今回の『ハムレット』はなんとホレイシオが女性「ホレイシア」(キャロライン・マーティン)だ。それどころかローゼンクランツとギルデンスターンはマーセラスとバーナードとダブルキャストでやはり女性であり、つまりハムレットと同年代の友人格の連中が全員女性ということになる。正直、ホレイシオを女性にするというのはあり得ないと思っていたので大変驚いたのだが、ヒドルストンを中心に組んだこともあって完全に機能しており、これまでの自分の不明を恥じまくりって感じだ。

 女性たちに取り巻かれているせいで、トム・ヒドルストン演じるハムレットは男の世界よりも優しく穏やかな伝統的に女性の美徳とされるものに溢れた世界に住みたがっているように見える。そもそも第一幕第一場が全部カットされ、ハムレットがピアノを弾く場面から始まっている。ローゼンクランツとギルデンスターンは賑やかな音楽やらダンスやらをハムレットにすすめる感じで入ってきてまるで女子会みたいなノリで、ハムレットナチュラルにこの女子会ノリに付き合っている。このハムレットは音楽とか詩とかダンスとかが好きな心の優しい男だ。ローゼンクランツとギルデンスターンはヴィッテンベルクのイベント好きなパーティ女子、ホレイシアは真面目で誠実な若い学究という感じである。ホレイシアとの台詞の"man"は全部"woman"に置き換えられ、ハムレットはホレイシアに対して君のように情念に動かされない女性がうらやましいとか、女性なのだから死んではいけないとか言うようになっているので、全体的にハムレットが女性の世界の安らぎと落ち着きを理想としていることが妙に際立ってきている。また、劇中で極めて男性らしい美徳を身につけているとされるフォーティンブラスが実際に舞台に登場しないのもこうした雰囲気作りに貢献している。

 この周りを優しい女性たちで固める布陣のため、ハムレットが勇敢、決断、武勇といった伝統的な男っぽさとなかなか折り合いをつけられていないことが強調される。トム・ヒドルストンってえらくハンサムでしかも背がデカいわりに妙に男性らしさと折り合いをつけられていないような役柄が多いのだが(以前の『コリオレイナス』はまさにそうだった)、このハムレットはまさにその延長線上にある。全体的に優しいオトメンチックな王子という感じのハムレットで、感情表現も豊かだ。ポローニアスをうっかり殺害してしまうところでは本気でショックを受けて一瞬再起不能になるし、「尼寺の場」でオフィーリアに「尼寺へ行け」という場面も、他のプロダクションに比べて暴力的な印象が少なく、オフィーリアに対して傷つけたくない、陰謀から遠ざけたいという感情を強く持っているのだがそれがうまく表現できないという印象を与える。

 しかしながら、ハムレットは優しく穏やかな女の世界に生きてはいられない。父親から受け継いだ怒りで復讐を遂げねばならないし、さらに母ガートルード(ロリータ・チャクラバルティ)はハムレットが理想とする穏やかな女とはかけ離れた一時の情熱に動かされやすいタイプで、ハムレットにも多いにそういうところがある。この葛藤の中で、優しく穏やかだったはずの女たちはどんどんハムレットを裏切る。母は再婚し、ローゼンクランツとギルデンスターンは陰謀に手を出して王の手先になり、優しさと穏やかさの化身のような女性だったはずのオフィーリアもポローニアスの立ち聞きに加担して、恋人である自分に対して誠実でない振る舞いをする。このプロダクションでは明らかにハムレットがポローニアスの立ち聞きに気付く場面があり、この前後でハムレットの態度ががらりと変わっていて、かなりショックを受けたことが明白だ。そして唯一最後まで誠実なホレイシアはハムレットにとって女性の美徳を体現する存在であり、ハムレットイングランドに出発する前の場面ではハムレットがホレイシアに対して友愛とも恋愛ともつかない強い抱擁をする…のだが、そこは情念に流されないのが美徳であるホレイシアなので、ハムレットと完全に恋愛関係になることはない(ちなみにホレイシアのセクシュアリティは明示されておらず、他の女性キャラクターに比べると服装が相当地味でレズビアンかAセクなのかもって気もするのだが、はっきりした表現は無い)。最後にハムレットは後のことを理想的な女の世界の体現者であるホレイシアにまかせて亡くなり、フォーティンブラスなどの台詞もほとんどホレイシアが引き受けて後始末をする。

 この演出のもうひとつの特徴としては、ポローニアス(ショーン・フォリー)がかなり優しいお父さんで、どうもこの一家はすごく愛し合ってるらしいというところがある。レアティーズは妹の貞操よりもハムレットに傷つけられることを心配しているみたいで、オフィーリアとセックスについて話しあいながらコンドームをちらつかせるというケッサクな演出がある。ポローニアスは本気で子どもたちのことを気にかけているがわりとさばけたところもある父親で、レアティーズがフランスに旅立つ前にはやたらデカいコンドームの箱を渡すし、オフィーリアに対してもハムレットが王子で自由にデートや結婚ができる身分ではないのだということを説いていて、女性の貞操などについてはそんなに強調していない。ポローニアスが乙女の慎みを尊ぶ台詞はかなりカットされており、そのぶん現代的になっている。このプロダクションではポローニアスもハムレットもオフィーリアがややこしい宮廷政治に巻き込まれることを心配しているのだが、それが全然かみ合わずに悲劇を招くところが悲しい。