長渕剛にご用心〜カクシンハン『オセロー』(Black)

 木村龍之介演出、カクシンハン『オセロー』のBlack初日を見てきた(出張のためWhiteは見られない予定)。

 ハコが池袋のシアターグリーンなので、前にカクシンハンが使っていた新宿Space雑遊とは少し違った感じである。真ん中に折り目がある、黒い移動式のついたてを使い、それを椅子にしたり、倒してベッドに見立てたりしながらアクションが展開するというもの。後ろには工事現場のような足場が設置され、それを使って上から入退場することもできる。衣装は軍服ふうなものも用いられているが、イアーゴーとキャシオーは白っぽい服にビニールみたいな透明のジャケットをはおっていたり、オセローは黒服だったり、デズデモーナは花嫁ふうのレースだったり。全部で三時間半あり、カットは少ない。オセローのブラックフェイスがなく、かわりにイアーゴーがちょっと『テンペスト』のキャリバンふうに作られている。

 全体的には迫力のある良いオセローだと思うし、笑いもあって良いのだが、初日ということもあってちょっと台詞がこなれていないところがあるのが気になった。オセロー役は前回のカクシンハン公演でハムレットを演じた河内大和が演じており、これはとっても正しい、というか、ハムレットもイアーゴーも自分より年長の人の結婚のせいで悩んでいるというキャラクターなので連続性がある。

 …しかしながら私がどうしてもこのオセローに乗れなかったのは、長渕剛の歌が使われているからである。私はもともとあの長渕剛のやたらに弱虫マッチョみたいな雰囲気がものすごく嫌いなので個人的な趣味によるところが多いのだが、この芝居での長渕剛の歌の使い方は我慢できない。前半、オセローが無事にキプロスに到着する場面でギターを持って皆とお祝いに「巡恋歌」を歌うところがあり、私はこの場面でこの歌がいったいどう機能しているのかさっぱりわからなかったのだが、なんと後半、オフィーリアが死ぬ前に「柳の歌」のかわりに「巡恋歌」を歌うのである!オセローはともかく、20歳にもならないような若い娘、しかもデズデモーナみたいな娘が長渕剛を歌うって根本的にいろいろ性格造形がおかしいと思うし、さらに「柳の歌」が果たす機能が「巡恋歌」ではまったく果たされないのでそこがきわめて不満であった。「柳の歌」はデズデモーナが、昔母のメイドで恋に苦しんだ女がいてその子が歌っていた歌だ、といって歌うのだが、ここで想起すべきなのはどこにでもあり、誰でも思い浮かべることができるような男に捨てられた女の悲しみであって、「柳の歌」の箇所で使われるのは基本的に女の世界に属する歌、ある意味普遍的とも言える感情を喚起するような女歌であるべきだと思う。ところが、前半で「巡恋歌」にオセロー色、つまりは男性が支配する世界の色がつけられてしまった後にデズデモーナがこの歌を歌うと、デズデモーナの苦痛が単にオセローとの関係だけに限られたものになってしまい、「普遍的な女の悲しみ」としてのデズデモーナの歌の意味が弱まってしまう。この後にエミリアとデズデモーナが男の女に対する不当な扱いについて話す台詞があることを考えれば、ここではもっと女の世界をクローズアップすべきだろう。さらに最後にエミリアが殺された時、また「巡恋歌」を歌いながらデズデモーナに近づいていくところは、私は正直非常に興ざめであった。クライマックスは演技自体は皆とても緊迫していて良かったので、残念だ。