『コペンハーゲン』

 科学史学会メンバーシスカンパニーの『コペンハーゲン』を見てきたのだが、これについてはちょっと依頼劇評を書く可能性があるので、劇評を準備するためのメモ程度に。
・第一幕でできあがった物語を第二幕でブチ壊す構造→歴史記述に対する批判、『ゴドーを待ちながら』の影響。
・人生はつらい。いったい何が起こったのか、その時何を考えていたのかすらわからないようなはっきり定義できないあやふやな出来事により、人が死んだりひどい良心の呵責を抱えたり友と決別したりすることになる。生きることはマジ不条理だ。この芝居は歴史劇だが、限りなくベケットハロルド・ピンターの世界に近いものを描いている。
・左前の電球、右奥の燭台+マルガレーテのタバコ(電球が粒子で燭台が波動という解釈が科学史学会メンバーから提示されたほか、電球が理性で燭台が感性という解釈も)
宮沢りえ美しすぎる。マルガレーテの役には知性は必要だが美貌は必要ではないし、他の学者ふたりが地味なおっさんなのにマルガレーテだけこんなに美しく若々しい作りなのはちょっとよくないのではないか。マルガレーテだけ、暗いところにいても周りが輝いているみたいに見えるので、バランスとしてあまりよくない。年長男性に20歳も年下の女性を妻としてキャスティングするような習慣はやめたほうが。
・マルガレーテのシャドウワーク、及びジェンダーによる生息領域の分離。宮沢りえがあまりにもキラッキラの知的美女なのでこのシャドウワークの問題が明確に見えてくる。