記者がヒーローじゃない新聞映画〜『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(ネタバレあり)

 スピルバーグの新作『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』を見てきた。

 1966年、ペンタゴン・ペーパーズと呼ばれる機密文書が流出し、『ニューヨーク・タイムズ』によるスクープ報道がなされた。ライバル紙ではあるがかなり弱小である『ワシントン・ポスト』もこのペンタゴン・ペーパーズを入手して報道を準備するが、『ニューヨーク・タイムズ』の報道が差止命令を受けたという報が入る。このまま報道を行うと、株式が公開されたばかりの『ワシントン・ポスト』が国から訴えられ、つぶれるような事態になりかねない。社主のキャサリン(メリル・ストリープ)は悩んだ末、報道して戦う道を選ぶ。

 地味な歴史映画だが、ジャーナリズムの映画なのにヒーローが記者ではなく、それでもちゃんとまともな映画になっているところが凄い。もちろん、編集主幹のベン(トム・ハンクス)や記者のバグディキアン(ボブ・オーデンカーク)なども活躍はするのだが、この映画の実質的な主人公は、経営者である社主のキャサリンである。多くはメリル・ストリープの演技のおかげだと思うのだが、このキャサリンが非常に人間味のある良いキャラクターになっている。

 キャサリンは父と夫が亡くなったせいで家族経営だった『ワシントンポスト』を引き継ぐことになった女性で、それまでは一度も会社を経営することなど考えたことがなかった。口調を荒らげたりするようなこともない穏やかで上品な女性だが、そのせいで女だからということで業界の男たちからは軽く見られている。映画の冒頭では、事前に練習したにもかかわらず会議でろくに説明ができなくなってしまうなど、自信のなさゆえ男たちに発言の機会を奪われる描写がずいぶんある。男性記者たちが罵り言葉を吐きながらエネルギッシュに動き回る様子と、会議に出たり、社交をしたりしながら礼儀正しく振る舞うキャサリンの間には大きな対比がある。しかしながら、長年の友人だったマクナマラホワイトハウスで後ろ暗いことにかかわっていたと知り、正しいことをしなければならないと感じたキャサリンは、自分の声を遮ろうとする男たちを押さえて記事の公表に踏み切る。

 キャサリンがこういう決断に至った背景として、女性で経営者になることを期待されていたわけではないことが逆に良い方向に作用したというのがほのめかされていると思う。社主になる以前のキャサリンは、男たちのなれ合いの世界のルールを全く知らずに生きてきた。中盤のパーティの場面で、食事が終わると昔ながらのパーティ作法に従って男たちと女たちが別々の部屋に行ってくつろぐという描写があるのだが、男たちが政治談義に興じる一方、キャサリンは女たちと一緒にいる時のほうがリラックスした感じだ。キャサリンは世慣れた男同士の絆によって出来上がっている、ある意味では汚いところもある世界にうまくなじめない、ある種の清らかさを持った女性として描かれている。しかしながら、それは男の世界のルールを無視できるという強みにもなる。キャサリンがニュースの公表を決断する場面は、彼女が男たちの作ったルールに従わないと決めた重要な瞬間だ。キャサリンは天才的なスーパービジネスウーマンとかではなく、恵まれた家庭に生まれて会社経営者になるという幸運の中でしっかりした良心を忘れなかったというだけの、真面目な女性だ。自らの幸運に対して責任感を忘れず、その良心を少しだけ勇敢に使うことで、ヒーローになった。

 この映画は女性同士の会話はそんなにたくさんあるわけではなく、ベクデル・テストはパーティの女性同士の会話でなんとかパスするか(短いのでちょっと疑問があるが)という程度なのだが、キャサリンを評価するのが女性たちだというところにもポイントがある。ベンはキャサリンの決断を称賛する妻トニーの発言を聞いて、社主への尊敬を新たにし、そのことを率直にキャサリンに伝える。法廷から出てきたキャサリンは、無言で尊敬の目を向けてくる女性たちに囲まれる。静かな表現ではあるが、キャサリンの行為が立派で、他の女性たちから尊敬を受けるものであることがこうした描写によって示されている。

 この映画はフェイクニュースの時代に作られたわけだが、そこにはキャサリンのように最初から勇敢で英雄的だというわけではない一見平凡で真面目な人間が、少しだけ勇気を出して良心に従うことが社会を変えうるというメッセージが含まれていると思う。日本でも政府の文書改竄が話題になっている時期の公開で、大変タイムリーな映画になってしまった。スピルバーグが撮っただけあって、地味なところでもきちんと盛り上げているので普通に面白く見られる作品だし、非常にオススメだ。