白人至上主義的ヴァイキング像を皮肉ろうとしつつ、誤って受け取られそうな作品~『ノースマン 導かれし復讐者』

 ロバート・エガース監督『ノースマン 導かれし復讐者』を見てきた。『ハムレット』のもともとの伝説を映画化した作品である。脚本にはエガースの他、アイスランドの著名な作家であるショーンが参加している。なお、監督はシェイクスピア研究者のウォルター・エガースの息子である(私も今回、初めて知った)。

www.youtube.com

 北欧の小国の王オーヴァンディル(イーサン・ホーク)が異母弟フィヨルニル(クレス・バング)に殺され、王妃グートルン(ニコール・キッドマン)を奪って王位を簒奪する。父と同様、命を狙われた小さな息子アムレート(オスカー・ノヴァク)は復讐を誓って逃亡し、長じてヴァイキングの戦士となる。幻影のような予言者(ビョーク)のお告げにより、復讐の時が来たと感じたアムレート(アレクサンダー・スカルスガルド)は奴隷のふりをし、フィヨルニル夫妻が亡命しているというアイスランドに向かう。アムレートは同じく奴隷にされたスラブ系の女呪術師オルガ(アニャ・テイラー=ジョイ)の助けを借り、復讐に邁進する。

 全編、かなり暴力的で残酷な作品である。白人ばかりのキャストで、屈強な男子が雄大で美しい北欧の風景の中、現代人からすると倫理的にどうかと思うような様子で暴れまくるのだが、主人公のアムレートも含めてあんまり複雑ではなく、さらに別にすごく賢いわけでもない…というか、「もうちょっと合理的に行動しては?」と思うようなところもけっこうある(シェイクスピアの『ハムレット』のほうがずいぶん人間の行動が複雑だ)。終盤でアムレートの実父オーヴァンディルもどうやらやばい人だったらしいことがわかる(序盤からなんか子どもの目を通して完璧すぎる人として描かれており、怪しい感じはあった)。狡猾さとか知性のほうは女性陣がもっぱら担当しており、ビョークは一瞬しか出てこないがいつもどおりのビョークで最強だし、グートルンがいろいろ後ろで糸を引いている少しワルな賢女(ただしグートルンはもともと被害者であり、行動は完全に合理的で、尊厳を取り戻そうとして自身が復讐にとらわれてしまっている複雑なキャラクターである)、オルガが治療や植物などの知識もあってアムレートよりもいろいろ合理性のある行動をとる善の賢女である。とにかく「白人って残酷だよな!」みたいな展開だし、男性は道化ヘイミル(ウィレム・デフォー)周り以外、ワルいか単純か暴力的かである。マッチョな映画だが、マッチョなものを賛美している映画ではない。

 全体としては、これまでのエクスプロイテーション映画では非白人の「野蛮な原住民」がやらされていたような行動をキラキラ白人キャストにやらせることにより、これまでのエクスプロイテーション映画の人種描写を相対化しようとしているように思える。ヴァイキングは白人至上主義者に好かれやすいのだが、この映画のスタッフ陣はそういう風潮に抗うべく本作を作ったそうで、白人をこれでもかと「野蛮」に描くことで白人至上主義をやんわりと皮肉っているように見える。プロットの中核である復讐についても、全面的に肯定できない問題含みな行動であり、結局はやるほうもやられるほうも死んでしまう、あまり賢いとは言えない暴力的な行動として描かれている。

 ざっくり言えば、単純な人間がたくさん出てくるあまり単純に見てはいけない話なのだが、ただ全体的に映像の完成度が高いので、フェティシズムだけで見てしまうとあんまりそういうことは気付かれないかもと思う。とくに最後の場面なんかはちょっと『スター・ウォーズ』っぽい残酷だが凝った映像になっていて、「キレイだったなー」で終わってしまうことも考えられる。さらに「ヴァイキングって残酷だよな!」というステレオタイプは昔からあるので、単なるそうしたヴァイキング像の再生産として受容される可能性もある。案の定、このへんの微妙な描写を読み取れない白人至上主義者の観客には喜ばれているそうだ。『マトリックス』や『ファイト・クラブ』同様、(少々注意深く見ていれば完全に理解できるはずの)コンセプトと全く違う受け取られ方をしてしまっている映画と言える気がする。解釈は自由なのであまり「誤って」受け取られている、というような言い方はしたくないし、ちょっとキレイさにこだわりすぎているところはある気がするので作品自体に内在する問題点もなくはないのだが、少なくともこれとか『ファイト・クラブ』などを白人至上主義者などがマッチョ礼賛映画として受け取るのは「誤って」いるだろうと思う。