孤独なブラックバードの最後の歌~『マリア』

 パブロ・ラライン監督新作『マリア』(Maria)を見てきた。『ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命』と『スペンサー ダイアナの決意』に続く、歴史上の女性をとりあげた伝記ものである。

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 舞台は1977年のパリで、マリア・カラスアンジェリーナ・ジョリー)の最期の数日間を描くものである。マリアの家には長年つとめている忠実なメイドのブルーナ(アルバ・ロルヴァーケル)と執事のフェルッチョ(ピエルフランチェスコ・ファヴィーノ)がいて、常用している薬などのせいでイマイチ意識もはっきりせず、幻覚を見ながらフラフラの状態で暮らしているマリアの面倒をみている。引退状態のマリアはそれでも劇場に歌のリハーサルに出かけるが…

 今までのララインの伝記映画と同様、直線的に人の業績などを描くのではなく、フラッシュバックなどを用いながらヒロインの孤独や苦労をあぶり出していく内容である。しかしながら『マリア』はこれまでの2作とちょっと違う…というか、ジャッキー・ケネディやダイアナ妃はもともとけっこういいとこのお嬢さんで、美貌により王子様みたいな相手と結婚するが心労がたえなくて…みたいな、いわゆるプリンセス幻想をブチ壊すみたいな内容なのだが、『マリア』は才能だけで出世した女性の話なのでだいぶ質感が違う。ヒロインであるマリア・カラスは貧しい生まれで、戦中の混乱期は母親にドイツ兵をあてこんだ売春まで強制されていたという大変な苦労人であったものの、才能によって音楽界で成功し、オペラのディーヴァとして君臨するようになった。生まれは庶民だが、見た感じは女王のような堂々たる気品の持ち主であり、非常に凝った画面の中で動き回るアンジェリーナ・ジョリーはとても美しいし、なんとも言えない迫力がある。これはおそらく3つの作品を通して「別に気品というのは生まれで身につくものではないんですよ」みたいなことを言いたいのだろうと思う。

 とはいえこの映画におけるマリアの人生はとても孤独だ。けっこう笑うところもあるのだが、全体的には暗い映画である。若い頃は母親に搾取され、やっと成功してから愛したアリストテレス・オナシスはマリアに対して抑圧的な恋人だった上、マリアを捨ててジャッキー・ケネディと再婚した。不摂生な暮らしとストレスでかつての美声も失われている。それでもマリアには音楽がある…というのがこの作品がこれまた『ジャッキー』や『スペンサー』と違うところだ。マリアは途中でブラックバードクロウタドリ)の歌の話をするが、ラストでマリアが歌う'Vissi d'arte'はまさに最後の力を振り絞って歌う小鳥のようだし、その声にパリの道行く人々が聞き惚れているというのも(この場面はかなり夢みたいな描き方ではあるが)、マリアが最後まで歌に生きる人だったことを若干ロマンチックでファンタジーっぽいやり方で示している。ここが前2作に比べて伝統的なオチがつけられているとも言えるし、甘すぎるとも言えるところだと思う。