国が企業のイノベーションを阻害する~『ある町の高い煙突』(ネタバレあり)

 『ある町の高い煙突』を試写で見てきた。原作は新田次郎の小説だが、ウィキペディアの有名記事[[日立鉱山の大煙突]]と同じ題材を扱っている。煙害対策のために日立鉱山が大煙突を建てることになるまでの過程を描いたものである。

 

 主人公は日立鉱山の近くの村の地主の跡取りである、まだ十代の関根三郎(井手麻渡)である。三郎は祖父亡き後、進学を断念して日立鉱山の煙害対策に取り組むことになる。対策がなかなか進まない一方、三郎は日立の職員で煙害担当である加屋(渡辺大)の妹、千穂(小島梨里杏)と恋に落ちるが…

 

 この話のポイントは、公害対策で問題になるのが企業対地域住民だけではなく、企業対国家とか企業対株主の対立になることがあるというところだ。日立鉱山はまあ大企業らしく儲け優先で融通が利かないところもあるのだが、一方でかなりイノベーション志向でもあり、公害について先端的な研究をしたいと考えている技術者もけっこう抱えている。ところが国や株主がイノベーションの重要性をちゃんと理解していないので、近視眼的な目先の収支ばかり考えていて、あまり開発が進まない。国がしょうもない開発プランを押しつけてくるとかいう話は、最近のIT政策や大学政策にダイレクトにつながってくるところで、このへんの話がかなり面白い。ちょっと企業をよく描きすぎで手ぬるいと思う人もいるかもしれないが、私はむしろこのへんの国がイノベーションを邪魔するという悪い傾向を強調すべきだと思う。

 

 ただ、まあ新田次郎の小説が原作なので、この映画はそんなに鋭い科学技術政策批判とかにはならず、市民と企業の協力で環境破壊に対する対策が成功しました、という感動的な落とし方になってしまうところはちょっと予定調和的ではある。もっとこのへんのイノベーション阻害問題が描かれていたら、かなり斬新な作品になっていただろうに…とは思う。なお、ベクデル・テストはパスしない…というか、原作小説に出てきた三郎の許嫁(三郎は関根家の養子で、養家の娘と結婚する予定になっている)は完全に削られており、女性の登場人物は原作より減っている。

 

国産ハイブリッドは静かだけど必殺~『シンプル・フェイバー』(ネタバレあり)

 ポール・フェイグ監督の新作『シンプル・フェイバー』を見てきた。

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 寡婦で主婦ブロガーのステファニー(アナ・ケンドリック)は、同じ学校に息子を通わせていた縁でファッション会社のPR担当であるおしゃれなエミリー(ブレイク・ライヴリー)と親友になる。ある日、ステファニーはエミリーから、急な仕事が入ったので息子ニッキーを迎えに行ってもらえないかという電話を受ける。快く引き受けてニッキーを自分の息子マイルズと遊ばせていたステファニーだが、エミリーはそれっきり失踪してしまう。エミリーを心配したステファニーは自ら捜査に乗り出すが…

 

 これ、宣伝ではヒッチコック風と言われていたが、むしろ50-60年代のフランス映画、とくにスリラーを意識しているんじゃないかという感じで、作中でも『悪魔のような女』についての言及があるし、オフビートなコメディ感もちょっと『女は女である』とか『男性・女性』みたいな感じだし、全体にセルジュ・ゲンズブールなんかのフレンチポップスがガンガンかかっている。エミリーは大音量でフレンチポップスを聴くのが好きなのだが、アメリカ映画でフレンチポップスを聴く女なんていうのはふつうではないわけであって、途中からいろいろエミリーの正体がわかってくる。一方でオールアメリカンガールのステファニーは最初はエミリーにのせられてフレンチポップスを聴いているわけだが、途中から攻勢に転じるところで、車に乗ってM.O.Pのヒップホップ、"Ante Up"を聴くようになる(ステファニーはまあいろいろヤバいこともしているのだがエミリーほどファム・ファタルではないというのもあり、アメリカ映画では悪い女はフレンチポップスを、いい女はラップを聴くのである)。さらに最後にいいところを持っていくパパ友のダレン(アンドルー・レイノルズ)がエミリーを車ではねるときの決め台詞が「国産ハイブリッドは静かだけど必殺」である。この「静かだけど必殺」というのはオールアメリカンガールであるステファニーを形容するのにピッタリな言葉でもあるわけで、なかなか気が利いている。途中まではフランスのノワール風なのに最後はラップと国産ハイブリッドが支配するアメリカンコメディになってしまうあたり、いかにもアメリカ映画という感じだ。

 

 全体的にはスリラーとコメディのオフビートなバランスが面白く、着ているもののお洒落だし、主演の2人はもちろんエミリーの夫役のヘンリー・ゴールディングなどもよくハマっていて、好き嫌いはわかれそうだがとても楽しめた。ベクデル・テストはもちろんパスする。

MIDWEEK BURLESQUE vol.68 -The Enchanted April-

 「MIDWEEK BURLESQUE vol.68 -The Enchanted April-」に行ってきた。出演者はMECAV、Baby Le Strange、Fifi Gfrast、RINGO☆凛子、Chloe the Sweetheart、Violet Eva、虹だった。Chloe the Sweetheartのマリリン・モンロー風のショー、Fifi Gfrastのミスコンで2位になって落ち込んでる人のショー、Baby Le Strangeの"I Want Candy"が早くなったり遅くなったりするのにあわせて動きのテンションが変わるショーなど、なかなか個性的なラインナップで良かった。ミッドウィーク・バーレスクはもう68回目だそうで、ずいぶん長くやってるし、これからもどんどんやってほしいなと思った。

大好きなおばさんについてのホームムービー~『ビリーブ 未来への大逆転』

 ミミ・レダー監督の新作『ビリーブ 未来への大逆転』を見てきた。現役のアメリ最高裁判事であるルース・ベイダー・ギンズバーグのキャリア初期の史実を映画化したものである。

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 ユダヤ系で女性で子持ちのルース(フェリシティ・ジョーンズ)は夫のマーティン(アーミー・ハマー)と同じくハーバードの法科大学院に入り、その後コロンビア大学への転入を経て優秀な成績で卒業するが、女性のルースを雇う事務所がどこにもなく、結局ラトガース大学の法科教員として働くことになる。法律と性差別を研究していたルースのところに、ある日マーティンが独身男性であるため介護控除を受けられなかったチャールズの案件を持ち込んでくる。ルースは税法が専門のマーティンと組んでこの性差別案件を法廷に持ち込む計画を立てるが…

 

 これ、脚本を書いたダニエル・スティールマンがルースの甥っ子である。つまりは家族の中で尊敬されてるおばさんの話を親戚が映画化、ということで、『グリーンブック』とか、ことによると『ボヘミアン・ラプソディ』と同じく、思い入れのある親しい人について作られた映画だ。しかしながら私は『ビリーブ』のほうがはるかに好きである。別にすごくよくできた映画というわけではないかもしれないし、おばさんの業績を称えたいという気持ちがあるらしいことはわかるが、上にあげた2作に比べるとはるかにイヤな感じとか大仰に盛っている感じがしなくて、イラつくと失敗もするけど家族の中では愛され、頼られているらしい頑固なおばさんの姿が自然に浮かび上がってくる。この映画は、愛情に満ちた心あたたまるホームムービーだ。

 

 ヒロインのルースは融通がきかなくて怒ったり、不機嫌になってしまったりすることもあるが、不屈の精神を持った女性で、その態度が家族を含めて周りを動かすことになる。フェリシティ・ジョーンズの演技が非常に生き生きしており、ルースが奥行きのある人物として浮かび上がってくるようになっているし、脇を固める役者陣も良い。ルースが職場で直面する差別の描き方がかなりリアルで、個人的に覚えのあるようなことがたくさんあった。とくにアメリカ自由人権協会につとめていて旧友であるメルですら、ルースにもっと微笑めとか、良かれと思って性差別的なアドバイスをしてくるあたり、性差別というのは悪い意図を持って行われるばかりじゃないということをうまく描き出している(これは全体の主要プロットである、介護控除の性差別の話でもそうで、悪い意図を持って書かれた法律ではないのだが性差別だというところがポイントだ)。ルースがいつもやりあっていた娘のジェーンからインスピレーションを得て互いに尊重しあえるようになるあたりもぐっとくる(ベクデル・テストはもちろんパスする)。

 

 うちにもこんなおばさんがいたらいいのに…と思って見たい映画だ。ルース・ベイダー・ギンズバーグドキュメンタリー映画である『RBG 最強の85才』も来月公開なので、楽しみである。

 

悪くはないが、あまり史実には基づいていない~『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』

 『ふたりの女王 メアリーとエリザベス』を見てきた。ウェストエンドの演出で有名なジョージー・ルークの監督作で、スコットランド女王メアリ(サーシャ・ローナン)とイングランド女王エリザベス(マーゴ・ロビー)の友情と確執を描いている。

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 普通なら恋多き女メアリをマーゴ・ロビー、永遠の処女ということになっているエリザベスをサーシャ・ローナンにするところだが、キャスティングを逆にしたのがうまくいっており、とくに愛に走って失敗したダメ女王みたいなイメージになりやすいメアリをちゃんと政治的に考えて行動する女王として描くことに成功している。メアリとエリザベスを、お互いに女王という立場を理解しあい、友情を感じているが最大のライバルでもある相手として奥行きをもって描いており、単なる女の敵は…みたいにしていないところも良い。ベクデル・テストはメアリと侍女の服に関する会話でパスする。舞台のノリで人種の点で自由なキャスティングをしているところもよく、エイドリアン・レスターを大使のランドルフの役にしたのは良かったと思う。役者陣の演技をはじめとして良いところはたくさんあり、つまらない映画というわけではない。

 

 一方で史実の裏付けがないところもたくさんあり、さらにそれがあんまりうまく話に貢献していない(このへんはニュース記事などでもいろいろ指摘されている)。まず、メアリとエリザベスは直接対面していないので、クライマックスの対面は史実ではないのだが、まあこれは盛り上げるために必要なのでいいとしよう。それからメアリのスコットランド英語がなんかちょっと変だと思ったのだが、フランス育ちなのでフランス訛りの英語を話したんじゃないのか…と思ったらやはりスコットランド訛りではないはずだという指摘が既になされていた。あと、メアリがたまに"Queen of Scotland"と名乗ることがあるのだが、この時代の正式な言い方は"Queen of Scots"だと思う。

 

 史実にそっているところでも、描き込みが足りないように見えるところがいくつかある。ダーンリーやリッチオが同性愛者だという説はたしかに存在するのだが、リッチオがメアリのステレオタイプなゲイ友、ダーンリーが無能なのに野心だけはあり、色気しか使えない同性愛者…というのはかなり型にはまった描き方で、新鮮さに欠けると思う(『ブーリン家の姉妹』や『ゲーム・オブ・スローンズ』でもこんなのを見たような…)。あと、ボスウェルがメアリをレイプして結婚を迫ったというのも歴史研究で言われている説のひとつにあり(このへんはあまりよくわかっておらず、メアリとボスウェルが共謀したという仮説も一応ある)、この映画はそれにそっているのだが、メアリが暴力で結婚させられたにもかかわらず、あまりショックがちゃんと描かれていない。一番ぱっとしないと思ったのはメアリとエリザベスの会見からメアリの死まで時間が飛ぶことで、なんでエリザベスがメアリの処刑を決断したのかが描かれていないのでクライマックスが妙に不消化である。このへんはもっといくらでもうまくできただろうにと思う。

電話の向こうにある欲望を読む~『ブラック・クランズマン』(ネタバレあり)

 スパイク・リーの新作『ブラック・クランズマン』を見てきた。

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 主人公は1970年代に初めてコロラドスプリングス警察の黒人捜査官となったロン・ストールワース(ジョン・デヴィッド・ワシントン)である。ロンはKKKに電話をかけ、声の演技で自分が白人至上主義者だということを地元のKKKメンバーに信じさせてしまう。ロンは同僚のフリップ(アダム・ドライヴァー)を影武者に立て、電話は自分、会合出席が必要な時はフリップという役割分担でKKKへの潜入捜査を行うが…

 

 ウソみたいな話だが実話がもとになっているそうで、原作はロン・ストールワースの回想録である(未読)。ご本人は存命で、証拠としてKKKの会員証を手元にとっておいているそうだ。ただし派手に脚色してあるようで、実際は映画みたいにロンのガールフレンドだった活動家が命を狙われるというようなドラマティックなことはなく、人脈を探るのが中心のわりと地味な捜査だったらしい(最後の事件はおそらくリーが以前にドキュメンタリーの題材にした1963年の教会爆破事件や、またひょっとしたら1979年に近くのデンヴァーでジャーナリストがKKKに襲われた事件とかがヒントかも)。あと、これは映画監督でミュージシャンのブーツ・ライリーが言っていることだが、そもそもストールワースは公民権運動の潜入捜査を長くやっており、また当時のKKKへの潜入捜査は白人至上主義者を警戒するというよりは様子を見ながら左派との対立を煽る方向性で行われた場合もあるので、ストールワースがアフリカ系アメリカ人の権利や安全を守るために捜査活動をしていたとは言えないのではないかという指摘もある(ここまで言えるかはともかく、たしかに『グリーンブック』同様ストールワースが過去の捜査をちょっとカッコよく盛っていてもおかしくはない)。

 

 そういうわけで潜入捜査を主題とする娯楽作として派手に脚色されているおかげで、この映画は大変に面白い。ブラックスプロイテーション映画みたいなテンポのいい演出や、リーの映画にしては善悪がはっきりしていて娯楽に徹した構成、ロンやガールフレンドのパトリス(パトリスとオデッタの会話でどうにかベクデル・テストがパスか?)の70年代ファッションなどなど、見ていて楽しい映画だ。とはいえスパイク・リーなので、最初と最後にはお得意の作品を歴史的に位置づけるためのプロローグとエピローグがついていて、人種差別がアメリカにおいてはるか昔から今現在まで続く深刻な問題であり、映画の中ではロンがKKKに一杯食わせたからといって社会の構造じたいは変わっていないのだということが突きつけられる。エピローグではシャーロッツヴィルユナイト・ザ・ライト・ラリーでのテロドナルド・トランプの映像が出てくるのだが、この最後のシークエンスが表現していることは映画の中でもブラックジョークとして再三ほのめかされているので、別にこんなにはっきりやらなくてもわかりそうなものなのだが、過剰さが作家性であるスパイク・リーはここまでやるのである。

 

 実は今スパイク・リーについて大きい原稿を用意しているところで、『ブラック・クランズマン』についても書く予定なのでそれに盛り込んだことはブログには書かないようにしようと思うのだが、ひとつだけ指摘しておきたいのは、リーのフィルモグラフィでは失敗作扱いの『ガール6』と『ブラック・クランズマン』はそっくりなテーマを扱っているということだ。『ガール6』のジュディはテレフォンセックスの顧客、『ブラック・クランズマン』のロンはKKKと電話をするわけだが、どちらも相手の手前勝手な欲望を推測し、それに付き合ってやることが仕事である。この映画は警察の描き方が甘いと言われているが、実はリーのフィルモグラフィを考えると、テレフォンセックス産業も警察もあまり変わらないもので、多数派の欲望に従わざるを得ない腐った機構の中で、マイノリティがどうやって少しでも状況を良くするかということがテーマなんじゃないかと思う。ジュディはアフリカ系の女性であり、アメリカ社会の多数派である白人男性の性欲のコードにのっとった演技を要求されるし、ロンもやはり白人男性の支配欲のコードにのっとった演技を要求されている。ここで大事なのは媒体が電話だということで、顔が見えないため、通話している相手の思い込みを読めばうまく会話で自分がどんな人間なのかを偽り、こっちのペースに巻き込むことができる。ただ、仕事中毒になった末にクズ客に脅迫されたジュディよりも、なんとかテロで人が死ぬのを防ぐことができ、KKKに一杯食わせたロンのほうが少しだけラッキーで、少しだけ力をうまく使っていた。『ブラック・クランズマン』は『ガール6』にそっくりだが、ずっとよく出来ていて、少しだけ希望がある。

 

スミスとリック・アストリーなんかぶっ飛ばそう~『バンブルビー』

 『バンブルビー』を見てきた。

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 舞台は1987年のカリフォルニア州である。18歳の誕生日を目前に控えたチャーリー(ヘイリー・スタインフェルド)は父親をなくしたショックからなかなか立ち直れずに鬱々とした日々を送っていた。車好きのチャーリーは、誕生日にハンクおじさんの修理工場で見つけたボロボロの黄色いフォルクスワーゲンビートルをもらうことになり、うまく修理して動かせるようになる。ところが、そのフォルクスワーゲンビートルはサイバトロンでの戦いを逃れて地球にやってきたが、戦闘で負傷して記憶を失ったオートボットB-127だった。愛車がロボットであることに気付いたチャーリーは驚くが、B-127をバンブルビーと名づけて大切にし、やがてお互いなくてはならない存在になる。ところが、バンブルビーは敵であるディセプティコンに狙われていた。

 

 全体的に、悪名高い『トランスフォーマーフランチャイズとは思えないほとちゃんとした面白い映画である。私の考えでは2007年の『トランスフォーマー』はそこまでひどい映画ではなく、主人公のサム(シャイア・ラブーフ)もミカエラ(ミーガン・フォックス)も人好きのするキャラで、とくにイヤな感じはしない高校生の青春アクションものだったのだが、その後のシリーズはどんどんひどくなる一方だった。アクションは撮り方が意味不明で流れがよくわからないわ(アクション映画なのに…)、脚本はめちゃくちゃだわ、ギャグは寒くて笑えないわ(くだらない人種差別ネタも批判された)、ラジー賞常連も当然という感じである。内容以外にもいろいろ問題があり、撮影中に事故が起こるわ、マイケル・ベイとケンカしてミーガン・フォックスが出て行くわ(別の映画で協働したケイト・ベッキンセールベイの態度がひどかったと言っていて、どうもあんまり付き合いやすいボスじゃないのではと思う)、史跡を借りて撮影した時の不適切な使用で批判されるわ、この職場環境は大丈夫なのかという感じだった。

 

 ところが前日譚の『バンブルビー』は監督がトラヴィス・ナイトに変わり、Birds of Preyの脚本家であるクリスティーナ・ハドソンが台本を書いて、大変まともな映画になった。まず、アクション映画としてはロボット同士が戦う流れがちゃんとよくわかるように撮影・編集されているのが大きい。さらに脚本が圧倒的にまともで、高校生の青春ものという点では第1作の雰囲気に近いところに戻った一方、『アイアン・ジャイアント』とかジョン・ヒューズの高校映画とかの要素を取り入れて、チャーリーが父の死を乗り越えるまでの過程をじっくり描くようにしている。寒いギャグもなくなり、ちゃんとしたユーモアのあるノスタルジックな雰囲気で全体のトーンが統一されている。ヒロインのチャーリーは魅力的だし(ベクデル・テストは母親との会話でパスする)、バンブルビーは可愛くて、感じていることや考えていることがちゃんとわかるように描かれている。軍人のバーンズ(ジョン・シナ)やチャーリーのボーイフレンドであるメモ(ジョージ・レンデボーグ・Jr)など、脇を固める登場人物も芸達者を揃えており、とくにデセプティコンのシャッターの声をあてているアンジェラ・バセットはものすごく上手で、声だけなのに威厳とカリスマと悪役らしい恐ろしさを感じさせる。80年代の時代考証もしっかりしている。 ちょっと展開がゆっくりしているように見えるところが少しだけあるとか、チャーリーに女友だちがいなくて孤立しすぎなのになぜかメモだけはチャーリーにぞっこんだというあたりの説明が足りていない感じがするとか、ツッコむところがないわけではないのだが、全体的には笑うところと切ないところのメリハリが効いた演出で、不覚にも涙を誘われてしまうような感動的なところもある。今までのシリーズではなんでこれができなかったのか…

 

 個人的にはスミスとリック・アストリーがほのかにディスられているところが良かった。発声機能を失ってしまったバンブルビーが、チャーリーに直してもらったテープデッキやラジオを使って感情を表現しようとするのだが、チャーリーがスミスの"Girlfriend in a Coma"やリック・アストリーの"Never Gonna Give You Up"(リックロールで有名で、『シュガー・ラッシュ:オンライン』でも使われてた曲)をかけるとバンブルビーがテープを吐き出すのである。私もスミスは嫌いだしリック・アストリーもあまり好きじゃないので、バンブルビーの音楽の趣味を高く評価する。