狂気の時のほうが、人間~NTライヴ『英国万歳!』

 NTライヴで『英国万歳!』を見てきた。アラン・ベネットの有名戯曲で、アダム・ペンフォード演出のノッティンガム・プレイハウスでの公演を収録したものだ。

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 実はこれはロンドンで一度見たことがあるのだが、戯曲の構成としてはけっこうゆるい作品なんじゃないか…と思っていて、そこは今回もあまり変わらなかった(アラン・ベネットの戯曲なら『ヒストリー・ボーイズ』のほうが好きだ)。冒頭についているメイキングでもアラン・ベネット自身が言っていたのだが、ベネットは構成を考えるのが一番苦手で、とくにかく史実に沿った展開にすることにしたらしい。そういうわけで、けっこう史実を淡々と追っているだけで、そんなに緊密に作られた台本ではないという印象を受ける。ものすごく笑えるところがたくさんあるから楽しく見られるが、なんかちょっとズルいなという気もする。

 ただ、今回見て気付いたのは、逆説的にジョージ(マーク・ゲイティス)は狂気に陥った時のほうがはるかに人間として扱われていて、治った後のほうが人間らしくなくなっているということだ。王というのはそもそも人間ではない地位なので、質問するとか気軽に話しかけるといった、人間同士の平等なコミュニケーションを許さない地位だ。狂気に陥ったジョージは、18世紀らしいトンチキな治療で虐待されまくっているのだが、これはつまり狂気が王の特権を剥いでしまったということである。狂気に陥ったジョージに対しては、医者もわりとフランクに話しかけているし、ジョージも王の前で気軽に話しかけるなとかいうような堅苦しいことを言わなくなる。しかしながら治ってしまうと、ジョージは王として他の人間の指示を一切、受けなくなる。実は王の地位こそ不自然で、人間としては狂ったものなのだ。

 なお、ニコラス・ピット演じる小ピットはいつもむっつりしていて暗そうで酒が手放せない男なのだが、ピットにひっかけたジョークが劇中にあり、これはかなり字幕が苦戦していた。ジョージが快方に向かったことを示す場面で、前の小便は青かったのに今回は黄色くなった、と召使いが溲瓶を比べて話すところがある(ジョージの尿が青かったとかいう噂があり、そのせいで原因としてポルフィリン症が疑われたが、今は躁病とか別の精神疾患のほうが有力候補らしい)。ここで召使いが"Piss the elder"と"Piss the younger"だと言うところがあるのだが、これは小ピットが"Pitt the Younger"、お父さんの大ピットが"Pitt the Elder"だということに引っかけた音のジョークで、めちゃくちゃ訳しにくい。耳で聞くとすごくおかしいのだが、字幕はふつうに意味をとっただけになっていた。

ホンモノのバッドボーイ~『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』

 レイフ・ファインズ監督作『ホワイト・クロウ 伝説のダンサー』を見てきた。バレエダンサーのルドルフ・ヌレエフの半生を描く伝記映画である。

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 普通の伝記映画ではなく、ヌレエフ(オレグ・イヴェンコ)の亡命をクライマックスとして、3つくらいの時間軸が入り交じって展開する。メインの時間軸はソ連のキーロフ・バレエのスターとして初めてパリでツアーをする時間軸で、それ以外にバシキールでの子供時代の時間軸と、バレエ学校に入って教師のプーシキン(レイフ・ファインズ)などと交流する学生時代の時間軸が並行して語られる。ただし、映画が始まるところは既に亡命後で、プーシキンが亡命したヌレエフのことで呼び出される場面から始まるので、ちょっと複雑だ。

 

 イギリス映画にしてはかなりホンモノっぽさにこだわった作りで、なんとレイフ・ファインズがロシア語をしゃべるところから始まる。主人公を演じるイヴェンコはウクライナ出身のプロのバレエダンサーで、ダンスは吹き替えていない。ヌレエフはパリでは片言の英語で意思疎通しており、ロシアの場面はたいがいロシア語だ。

 

 全体的に、ほとんどヌレエフを理想化しない、厳しい作りの映画になっている。イヴェンコはダンスも演技力も素晴らしいのだが、ここで提示されるヌレエフは才能に溢れているものの大変付き合いにくく、不人情なところもあり、行動をあまり制御できない人物だ。単にソ連に反抗的だとか不良っぽいというだけではなく、けっこう人格的に問題がありそうだという点でホンモノのバッドボーイである。ファインズやイヴェンコはこういうヌレエフをできるだけ知的であまり扇情的でない形で提示したかったようで、演出も演技も抑えたクールな感じになっている。

 

 そして、こういうアプローチは野心的で大変よいと思うのだが、問題はこの映画に実人生でバッドボーイである人物が出演しているということだ。セルゲイ・ポルーニンがヌレエフの同僚であるダンサー、ユーリ役で出演しているのだが、演技力の点ではイヴェンコに完敗…であるものの、なんかポルーニンは出てくるだけで変なカリスマがある。新宿武蔵野館で、ポルーニン演じるユーリがひとりでヌレエフを待ってるだけの場面で客席から変な笑いが漏れていたが、ひとりだけ画面におさらまないみたいなところがあるのである。ポルーニンといえばバレエ界屈指のバッドボーイで、たぶん私のようにあまりバレエを知らない人でも、ヌレエフはどっちかというとイヴェンコよりポルーニンに近い感じだったのでは…と想像してしまうのではないかと思う(ピーター・ブラッドショーもやっぱりそう思ったらしい)。

 

 そしてものすごく興味深いのは、最近性差別・同性愛嫌悪発言で厳しく批判されているポルーニン演じるユーリとヌレエフが一緒に出てくる場面が、この映画の中でヌレエフのバイセクシュアルらしさを一番醸し出しているということだ。この当時ソ連では同性愛者であることは認められておらず、おそらく自身もかなり注意して隠していたと思われるので、バイセクシュアルであることはそれとなくにおわせる程度しか描かれていない(女性と関係する場面はあるが、明確に男性と付き合う展開はない)。ユーリに対してヌレエフが性的な親密感を抱いているらしいことがわかる場面がいくつかあり、そこだけがヌレエフのだんだん目覚めつつあるらしい同性愛を暗示する形になっている。ファインズが意識してこういう演出をしているのかはわからないのだが、最近のポルーニン周りのゴシップからすると、これは皮肉というかなんというか、映画からはみ出して面白かった。

 

 なお、たぶんこの映画はベクデル・テストはパスしないと思う。

6月9日「NTLive語る会4弾『英国万歳!』」に行きます

 6月9日に東大駒場で開催されるNTLiveを語る会4弾『英国万歳!』に出ます。これまで3回は別の用事で行けなかったので初参加になりますが、楽しみにしています。

 

 

やわらかい布~KAAT『恐るべき子供たち』

 KAATで『恐るべき子供たち』を見てきた。ジャン・コクトーの小説の舞台化で、白井晃演出である。

 あらすじはだいたい原作どおりで、2人だけの世界を持っているエリザベート(南沢奈央)とポール(柾木玲弥)の姉弟と、その友人で同居することになるジェラール(松岡広大)とアガート(馬場ふみか)の関係の変化を描くものである。ただ、おそらくはヴィジュアルのせいだと思うのだが、小説を読んだ時とはだいぶ印象が違う。

 舞台の上(中空)にも表面にもやわらかい布がふんだんに使われたセットは、形が変わりやすく気まぐれな子供時代を象徴しているのかもしれない。この布のセットは、エリザベートの新婚の夫がイサドラ・ダンカンみたいな車の事故で死んでしまうところで非常に上手に使われており、首が吹っ飛ぶ演出が面白い。

 しかしながら、セットの子供らしさとはうらはらに、この芝居に出てくる恐るべき子供たちはあまり子供っぽくないというか、わりと血肉をそなえた若い男女である。コクトーの小説に出てくるエリザベートとポールの姉弟は大人としての生々しい肉体を備えていないみたいに感じられるところがあるのだが、この作品ではとくにエリザベートがけっこう肉々しい大人の女性で、ちょっとイメージが違うというか、「子供」らしさに欠けるような気がした。それはそれで予定調和に陥らないための工夫として生きているのかもしれないが、この作品でエリザベートがあまりにも現実の大人の女性に近いと、彼女の最後のたくらみがちょっとミソジニー的に見えかねない気がするのである。もう少し全体を子供のゲームみたいに提示してもいいのではないかと思った。

宣伝に騙されてはいけない、ヒーローが戦う娯楽映画~『RBG 最強の85才』

 『RBG 最強の85才』を見てきた。アメリ最高裁判事で性差別をはじめとするさまざまな不平等、不公正と戦ってきたルース・ベイダー・ギンズバーグ(通称RBG)に関するドキュメンタリーである。RBGは劇映画『ビリーブ 未来への大逆転』のヒロインでもある。

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 RBGはユダヤ系移民の家庭の娘で、50年代にコーネル大学に入学した。さまざまな性差別を受けつつ優秀な成績で大学と大学院を卒業し、弁護士になるが、ユダヤ人女性を雇ってくれる事務所はどこにもなく、ラトガース大学の教員になる。そこでジェンダーと法律に関する研究・教育を行い、アメリカ自由人権協会の活動などに参加するようになる。性差別的な法は合衆国憲法に定められた法の下の平等の規定に反するとして裁判を起こし、法を変えさせる活動に従事したのち、判事となり、さらにクリントン政権下で最高裁判事に任命される。最高裁では妥協的だがリベラルな立場の判事として活躍し、時として強烈な反対意見を書くことで有名になった。

 この映画の面白いところは、違憲審査にかかわる裁判をけっこう詳しく追っており、判決とか口頭弁論などの音声史料を使いつつ、ちょっと間違えばわかりにくくなりそうな法的手続きをかなりわかりやすく紹介していることだ。RBGの弁論とか反対意見は非常に明晰で、この映画の解説によると、アメリカではRBGが反対意見を出すたびにSNSでバズるそうである。RBGはふだんは物静かで大人しい人だそうだが、法廷ではとても明快な文章を書いて読み上げており、それをうまくエンタテイメントになるよう編集して見せている。

 さらに、この小柄なご老人がアメリカではスーパーヒーロー、大スターみたいな扱いだということも詳しく紹介していて、ここがまた面白い。同じブルックリン出身のラッパーであるノトーリアス・B.I.G.にひっかけてノートリアスRBGなどと言われており、法律を志す若い女性を中心にファンが多く、RBGについてのが出たり、タンブラーでファン活動する人がいたり、グッズまで作られていて、RBGが大学などに講演に来ると聴講者がものすごくたくさん来るそうだ。若者のアイコンみたいになっているらしい。

 たまに箸休め的に私生活の話も出てくる。夫で税法専門の弁護士であるマーティンとの夫婦愛はもちろん、極めて保守的だったアントニン・スカリア最高裁判事との友情の話はとても興味深い。この2人は法学的な見解については正反対だったが、どちらもオペラ愛好家で、そこでうまが合ったらしい。これだけでバディコメディ映画になりそうな話だ。

 全体的に、不正と戦う法律家を描いたドキュメンタリーにしてはいろいろな角度から見た話をうまくまとめており、基本的には業績を称える作品だが失言など本人の失敗についても比較的バランス良く触れていて、かなりエンタテイメントとして楽しめる作品になっている。この映画でRBGが不平等に戦いを挑む様子はMTV賞で最優秀ファイト賞にノミネートされているのだが、たしかに娯楽作として見ていて面白い作品だ。しかしながらこの不正と戦うヒーローの娯楽映画は、日本では「妻として、母として、そして働く女性として」などというジェンダーバイアスたっぷりのお涙頂戴ふうなコピーで宣伝されており、マーケティング担当者は本当に映画を見たのか疑いたくなる。

 

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シネマカリテで見かけた宣伝パネル


なんで学校に行きたいのか個人的に理解しづらい~『リアム16歳、はじめての学校』(ネタバレあり)

 『リアム16歳、はじめての学校』を見てきた。

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 主人公はホームスクールで教育を受けた非常に優秀な少年リアム(ダニエル・ドエニー)である。シングルマザーのクレア(ジュディ・グリア)は公立高校嫌いで過保護な母親で、リアムの教育に全てを捧げている。ところが高卒認定試験を受けに高校に行ったリアムは義足の美少女アナスタシア(シオバーン・ウィリアムズ)に一目惚れし、高卒認定試験でわざと失敗して高校に行くことを決意する。

 

 全体的には、自立しはじめた少年の高校生活を描くさわやかな青春コメディなのだが、設定としてけっこうゆるいところがある。クレアは働いていないみたいなのにリアムはどうしてあんなミドルクラスの家に住めるのかよくわからなかったのだが、まあこれはカナダだから何かそういうこともあるのかもしれない。もっとゆるいのは、リアムがアナスタシアの携帯を勝手に使い、登録されていた彼氏の番号を自分の番号に変えてしまってからのくだりだ。アナスタシアのほうは、誰かが番号を変えて彼氏のフリをしていたことは1日ほどで気付いたのだが、いたずらした犯人が誰だったのかがよくわからない。しばらくしてからリアムが「リアム」として自分の電話からアナスタシアにメッセージを送るのだが、ふつうそんなことをしたら電話番号を変えたのが自分であるのがバレるから、もうちょっと考えるんじゃないのか…と思って見ていた(案の定、リアムはアナスタシアの彼氏に殴られる)。さらにアナスタシアはその後リアムに会いにきて許してくれるのだが、あんなに怒っていたのにすぐ許すのはおかしいし、だいたい番号を変えるとか気持ち悪いからふつうは許さないんじゃないか…と思った。ケンブリッジ大学でとある人物と再会するオチもかなり御都合主義的だ。なお、ベクデル・テストはオータムが織物の話をするところでパスすると思う。

 

 また、これは完全に個人的な好みなのだが、クレアの過保護がちょっと必要以上にウザく、気持ち悪く描かれているのでは…という気がした。あと、最大のポイントは、中学校の時不登校だった私としては、いくら美人がいるからって公立高校に行きたがるリアムの気持ちが全然理解できないということである。これは経験に基づく好みの問題なのでいかんともしがたい。

リアリズムは要らない~ドン・キホーテプロジェクト『リア王』

 綾瀬のKISYURYURI THEATERでドン・キホーテプロジェクト『リア王』を見てきた。珍しく招待で見た。

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 工場の建物を再利用した劇場で、ほとんど何もない部屋でやる『リア王』である。窓から自然光をとっているのだが、終盤は窓まで血まみれになったり、シンプルながらけっこう演出は工夫されている。綾瀬だからなのか何なのか、全体的にちょっと庶民的でガラの悪い感じの『リア王』だ。

 

 ただ、肝心のリア王にかなり問題がある。まず、リア王にしてはちょっと役者が若いように思った。それだけならまあいいのだが、台詞回しがものすごくボソボソしていて、部屋の奥に向かって話すところなどはかなり聞き取りづらくなる。なんかテレビみたいなリアリズムふうの演技なのだが、リアリズムにのっとらない形で作られた舞台の戯曲なんだから、リア王はもっと長い台詞をはっきりろうろうと言うようにしないとダメだろうと思う。この芝居にはもっとわざとらしさが必要だ。リアリズムっぽくするとかえってしみったれた感じになる。

 

 あと、これは内容とは全く関係ないのだが、舞台裏のことで、トイレの向かいにある台所は片付けたほうがいいと思った。トイレが非常にわかりづらいところにある上、手を洗う場所がなく、私はうっかり手を洗うところと間違えて向かいのキッチンに入ってしまったのだが、そこがものすごく汚くて、食事をした後の皿とかがたくさん積んである上、排水溝にたばこの吸い殻がつまっていた。さらにそこにおそらく芝居で使う?と思われる泥のようなものが無造作に置かれていたのだが、これは後でエドガーがトムに変装する時につけるやつだとわかった。お客に見えるところに食べ物と芝居で使う道具をごっちゃにして置いておくのはちょっとどうかと…