力の入った作品だが、かなり暗い~『あの出来事』

 スコットランドの劇作家デイヴィッド・グレッグの『あの出来事』を新国立劇場で見てきた。この作家の作品としては『ミッドサマー』をイギリスで見たことがあったのだが、シェイクスピアの小ネタなどを盛り込みつつ、スコットランドの地方色が豊かな爆笑喜劇に仕立てていた『ミッドサマー』とはうってかわって、こちらの作品はウトヤ島テロをヒントにした大変暗くて真面目な作品である。

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 2人芝居にたまに台詞も言う合唱団がくっついているという変わった構成の芝居で、主に台詞部分を担当するのはヒロインのクレアを演じる南果歩と、銃乱射事件の犯人からクレアの恋人カトリオーナまであらゆる役を演じる小久保寿人だ。クレアは宗教者でかついろいろな民族の人からなる合唱団の指揮者だったのだが、ある日この合唱団が民族主義者テロリストの青年に狙われ、クレアは生き残るものの、メンバーの大部分が射殺されてしまう。とてつもないトラウマを背負ったクレアは、この事件の関係者(犯人の父とか、犯人が入っていた政党のトップとか)に会って心の整理をつけようとするものの、あまりにもそれに執着したせいで恋人カトリオーナとの関係が悪化していく。

 

 銃乱射事件の直接的な描写は控えめでにおわせる程度になっており、暴力描写といえるのはクレアがカトリオーナと揉み合うところくらいなのだが、それでもかなり暗い芝居である。クレアは周りの人間が殺されたのに自分だけが生き残ったという精神的なトラウマでいくぶん精神が不安定になっており、そのせいでカトリオーナなどに対して思いやりに欠ける行動をとるようになるし、まだ残っている合唱団のメンバーにも迷惑をかける。クレアの行動はあまり肯定できないところも多いのだが、一方でクレアがこうなってしまったのもよくわかるように描かれているので、全く断罪できない。こういう複雑な状況について、苦痛や憐れみなどの感情を多角的に描き出そうとした、力の入った作品だ。

 

 描き方はあまり直線的ではなく、小久保寿人が犯人の青年や女性であるカトリオーナを含めたたくさんの人々をとっかえひっかえ演じるという工夫のせいもあって(この演技の早変わりぶりは凄い)、相当に入り組んだ話になっている。そしてこれは日本でやる場合特有の問題なのだが、私はクレアが白人なのかどうかが政治家と対面して人種差別について話す場面まで判断できなかった。これ、おそらくイギリスで上演する場合はクレアに白人の女優さんをキャスティングするはずなので、多民族の合唱団でクレアが数少ない白人だということが視覚的にわかりやすく、なぜクレアではなくシンさん(南アジア系と推測される)が殺されたかも理解しやすいので、よりショッキングだしクレアのトラウマもわかりやすいのだろうと思う。これが日本で上演する時はなかなか見た目だけではわかりにくくて難しい点だな…と思った。あと、恋人であるカトリオーナはスコットランド系の白人女性だろうか?カトリオーナが非白人設定だったらちょっと意味が違ってくるのでは、と思いながら見ていた。

繊細なマーゴと精神不安定なイヴ~NTライヴ『イヴの総て』

 NTライヴで『イヴの総て』を見た。言わずと知れた1950年の名作映画の舞台化で、イヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出、マーゴ役がジリアン・アンダーソン、イヴ役がリリー・ジェームズである。ブロードウェイを舞台に、大女優マーゴに取り入った新人イヴが周囲の人々を騙して成功していく様子を描いた作品である。

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 付録のインタビューによると、ヴァン・ホーヴェはとにかくこの映画の脚本が気に入っているそうで、ジョセフ・L・マンキウィッツの映画台本をほとんどそのまんま舞台台本に使っている。普通、映画を舞台化する時は脚本を多少いじって演出家や他の劇作家などのクレジットが入ることが多いと思うのだが、たしかかなり映画に忠実な舞台化だ。『イヴの総て』のストーリーは、ヴァン・ホーヴェが前に演出した『ヘッダ・ガーブレル』と少し似たところがあるので、そのせいもあってやりやすかったのかもしれない。

 一方でヴィジュアルスタイルと役者の個性が全然違うので、ほぼ同じ展開なのに映画の『イヴの総て』とかなり違う話に見える。スクリーンをたくさん使い、舞台上では行われていないアクションを見せたり、クローズアップを使ったり、鏡をのぞきこむ場面では顔が老いていく様子を見せるなどといった凝った工夫がある。キャラクターの違いがかなり大きく、全体的に50年の映画版よりも出てくる女性たちが繊細だ。映画版のベティ・デイヴィスのマーゴはいかにも堂々として愛嬌が一切ないのにカリスマと魅力があるというキャラクターだったのだが、一方で舞台版のジリアン・アンダーソンのマーゴは以前アンダーソンが演じた『欲望という名の電車』のブランチにむしろ似ていて、脆い心を持った女性に見える。一方、イヴについても、映画版のアン・バクスターは腹黒くて冷静そうだったのだが、舞台版のリリー・ジェームズはかなり精神不安定で、少なくとも最初のほうはマーゴやカレンの愛を本気で求めているように見える(それなのに成功のためには悪いことを何でもしてしまうというあたりが深刻だ)。このへんがちょっと現代的なのだろうな…と思う。

 

8割エモ、1割シェイクスピア、1割ジェームズ・ディーン~『キング』

 『キング』を見てきた。ネットフリックスが作ったヘンリー五世ものの歴史映画である。主演が今をときめくティモシー・シャラメ、オーストラリアのスターであるジョエル・エジャトンが脚本・製作・主演ということで、ネットフリックスとしてはたぶんかなり力を入れて作った話題作だ。

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 ヘンリー五世(ティモシー・シャラメ)のアジャンクールでの勝利を描いているということで、一応中世ヨーロッパ史が主題なのだが、そんなに史実にのっとっていないところも多い。実際のヘンリーはこの映画に出てくるような、無駄な暴力が嫌いで親しい女性のアドバイスを重視するタイプではなかったし、フランス軍があまりにもアホに描かれている。さらにシェイクスピア史劇との関係がかなりビミョーで、フランスのドーファン(ロバート・パティンソン)をバカにしているところや、史実では存在しないフォルスタッフ(ジョエル・エジャトン)を出しているところはシェイクスピア準拠なのだが、シェイクスピア劇の見せ場に出てくる名台詞を取り入れるというようなことはほとんどしていないし、フォルスタッフなんかは「これ、シェイクスピア劇のフォルスタッフと関係ないよね?」と思うくらい違う人になっている。自由な二次創作といった感じの作品だ。

 

 そしてこの作品、とにかく主人公のヘンリー五世ことハルがエモである(見た瞬間にエモくしたピート・ドハティかMCRのジェラルド・ウェイみたいなハルだと思ったのだが、みんなそう思ったらしい)。ここで言うのは現代日本語で使われる「エモい」ではなく、音楽用語としての「エモ」である。音楽ジャンルとしてのエモは、十代から二十代初めくらいの若者の内省、感情的問題、家族との関係、メンタルヘルスの問題、強いこだわりなどを扱うという美的特徴があり、さらに一言で言うと男の子が感情的に泣き叫び、弱音を吐くことを許容しうる音楽ジャンルであると言える(バンドによってだいぶ違うので一般化は困難だが、「男の子は泣かないものだ」みたいな社会的抑圧から抜けようとする傾向がある)。この映画のハルは、中世史の映画に出てくる王様とは思えないほどエモである。いつも睡眠不足みたいな顔で憂鬱そうだし、家族のことや仕事のことでひどく悩んでいて、弱音を吐ける相手を探している。

 序盤のハルはとにかく親父さんのヘンリー四世と仲が悪く、最後までほとんどちゃんと和解できない。なんでこんなに親子関係がこじれたのかははっきり描かれていないのだが、このハルは親父さんがリチャード二世から王位を奪って国土を騒がせたこと、また自分が王位を継がざるを得ない立場に追い込んだことに強い不満を抱いているらしい。ヘンリー四世のほうもあまり良い父親ではないようで、人前にハルを呼び出してお前なんか王にしないなどと発言しており、まあ気遣いのできる親ならやらないだろうなということを平気でやる。しかしながらこのハル、王になりたくないくせに妙に社会的なことに意識が高く、弟が無理な戦争をしようとすると自分から出て行って事態を収拾しようとするし、父親のせいで社会が不安定化していることにはどうやら責任感を感じてしまっている。ここもまたすごくエモっぽい…というか、エモやってるようなミュージシャンは内省的なわりに社会的なことに興味があってチャリティに熱心だったり、自分が経験したメンタルヘルス系の病気などについての啓発活動をやっていたりすることも多い。

 弟も親父さんも亡くなってしまったせいで、ロンドン市内のボロ家で絶賛エモライフをしていたハルは家業を継いで王にならざるを得ないわけだが、イングランドの宮廷は伏魔殿のようなところでなかなか周りの人間が信用できず、唯一信頼できる家族である妹のフィリッパはデンマーク住まいでちょくちょく話せるわけではない(ベクデル・テストはパスしないのだが、この映画では基本的にハルは妹フィリッパや妻キャサリンの言うことは真面目に聞く)。そういうわけでハルは、ロンドンのワル仲間のリーター格だったフォルスタッフに頼る。このフォルスタッフ、シェイクスピア劇ではとにかく不真面目でいい加減で面白く、体格もデカいがスケールはさらにデカいというような並外れたおじちゃまなのだが、この作品では全然違う人になっている。この映画のフォルスタッフは、昔は優秀な軍人だったが戦争に疲れて今は金持ち相手に盗みなどを働いて暮らしているらしい根は真面目な不良中年男性で、全く頼りにできないシェイクスピア劇のフォルスタッフとは似ても似つかぬ頼りがいのありそうな人格を持っている。序盤のハルとフォルスタッフの関係には若干のエロティックな曖昧さがあるのだが(これはシェイクスピア劇にもないわけではない)、終盤はどんどん擬似的な父と息子みたいな信頼関係になっていく。

 このエモエモしいハル、作品としてはなかなか面白いアプローチだと思うのだが、シェイクスピア劇のハル王子っぽいかというと全くそうではない。むしろ『エデンの東』や『理由なき反抗』でジェームズ・ディーンが演じているような、父親との関係がうまくいっていない現代劇の悩める若者を思わせるところがある。別に『キング』は新しい作品なのでシェイクスピアらしくある必要はないのだが、まあそのうちティモシー・シャラメにはもっとガチなシェイクスピアをやってほしいなとも思う。

 なお、アジャンクールの戦争描写はけっこう史実準拠だと思われる。アジャンクールでぬかるみとロングボウ(長弓)がイングランド軍勝利の理由になったというのは本当のことだ。中世ヨーロッパの武器の飛距離は今に比べるとかなり短いのだが、長弓は真っ直ぐじゃなく斜め上に射って山型に落ちてくるような飛び方で遠くに飛ばすもので、うまく射るのにコツが必要らしい。アジャンクールのイングランド軍には訓練された長弓の射手がかなりいたそうで、これがイングランド軍を優勢にするのに役立ったのだが、この映画はそのへんの経緯をちゃんと台詞でも映像でもしっかり描いている。さらにぬかるみで足場がよろしくなかったそうで、このあたりはおそらく先行作である『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』などを研究して汚く悲惨な戦争描写にチャレンジしている。

 とりあえず、この映画を見てネットフリックスに期待したいこととしては、今後もっと本格的なシェイクスピア劇をやってほしいということ、またシェイクスピア劇にかぎらず中世ヨーロッパものをやってほしいということだ。ネットフリックスは既にこの作品の前にクリス・パイン主演で『アウトロー・キング~スコットランドの英雄』という、スコットランドのロバート王を主人公にした中世ものを撮っている。この作品も悪くはなかったのだが、『キング』はこの先行作に比べると全体的に出来が向上しているように思われる。『ゲーム・オブ・スローンズ』がヒットしすぎてお客が中世ファンタジーにものすごく高いクオリティを求めるようになっており、このため中世ものの映画が最近コケまくっているので、『キング』がこのトレンドの中でそこそこあたれば今後の中世コンテンツに良い影響が見込まれる。このへんちょっと期待したい。

ウィル・スミスの童貞受胎~『ジェミニマン』(ネタバレあり)

 アン・リー監督の『ジェミニマン』を見てきた。

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 主人公のヘンリー(ウィル・スミス)は殺し屋を引退するが、とある情報を知ったせいで政府に命を狙われるようになる。ヘンリーの監視のために派遣されたエージェントで仲間になったダニー(メアリー・エリザベス・ウィンステッド)や友人バロン(ベネディクト・ウォン)の助けで逃亡するが、ヘンリーは自分とそっくりの若い殺し屋に襲われることになる。

 予告を見た時から悪い予感がしていたのだが、まあものすごくツッコミどころ満載のアクション映画だった。ダニーがヘンリー監視のために派遣された時の名目はいったい何だったのかとか、わざわざヴァリス(クライヴ・オーウェン)がヘンリーのもとにクローンのジュニアを派遣するのは強引すぎないかとか、話をすすめるために説明不足だったり、不自然だったりする展開がしょっちゅう起こる。基本的にはアクション映画というよりもアン・リーお得意の家族劇で、養子である息子が実父と出会って養父が自分を実は虐待していたことに気付く…みたいな物語である。ヴァリスとヘンリーのクローンであるジュニア(技術的に若返らせたウィル・スミス)の会話などがやたら丁寧に撮られており、アン・リーっぽい。

 この作品で私が一番面白いと思ったのは、どう考えてもヘンリーは童貞だということだ。実はそれが作品のテーマなのでは…とすら思う。ヘンリーは最初にジュニアに襲われた時、ダニーから知らないうちに息子が生まれていたというようなことはないか、過去の女性関係について身に覚えはないかどうかけっこうしつこく聞かれるのだが(ふつうだったら嫌がらせだが、まあこの状況では当然の質問だ)、ほとんど考えもせず即座にそんなことはないと否定し、「その話はしたくない」というようなことを言ってダニーを止める。いくらなんでも、ちょっとでも女性経験があれば少し考えてから答えるのでは…と思うし、ヘンリーとダニーは別に友好的な関係を保っているので、この会話の流れは不自然だ。どうもヘンリーはダニーのことを魅力的だと思っているフシがあるので、自分が童貞であることをダニーに知られたくなくて会話を打ち切ったのではないかと思われる。

 よく考えてみると、ヘンリーが初めてダニーを誘おうとするところについても、どうもデート慣れしていないのではないかという感じがする。さらにヘンリーはジュニアと対面した際、自分たちが本当に似た者同士であることを指摘しつつ「童貞だろ?」と聞いていて、これは図星だった。これはヘンリーが20代くらいまで童貞だったということだけではなく、今でも童貞であることを意味するのではないだろうかと考えられる。ヘンリーは今まで真面目一筋で殺し屋として働いており、一度も女性とお付き合いしたり、性的関係を持ったことがないのではないかと思われる。

 そしてこの作品はそんなヘンリーから知らないうちにジュニアが産み出されていたという物語であり、言ってみればヘンリーは性交渉を経ずに受胎した聖母マリアならぬ聖父的な存在である。DNA鑑定でこの事実を突き止めてヘンリーに教えるダニーは受胎告知の天使で、対決したヘンリー(泳げない)とジュニアが一緒に水に落ちる場面がやたら綺麗に撮られているのは洗礼を意味しているのかもしれない。これはヘンリーが処女受胎ならぬ童貞受胎を経験し、聖母マリア的な強さを持ってその状況を受け容れていく物語である。

 しかしながら、最後の場面ではヘンリーは童貞じゃないかもしれないと思う。それまでは禁欲的であんまり容姿の自慢などしなかったヘンリーが、突然ジュニアに対して「50過ぎても俺みたいにカッコよくいられると思うなよ」的な発言をするのである。これはヘンリーがこの時点までに実はダニーとお付き合いして性関係を含めた幸せな恋をしており、童貞でなくなって妙に自分のかっこよさについてウキウキしていることを意味しているのかもしれない。ダニーとヘンリーの間の好意はほのめかし程度であまりはっきりしていないのだが、ダニーはこの手のアクション映画に出てくる女性エージェントとしては非常に賢明であまり平べったくなく(ベクデル・テストはパスしないが)、ヘンリーとはお似合いで強い信頼で結ばれているという描写がある。いつのまにかカップルになっていてもおかしくない。

 と、いうわけで、このように私は解釈したのだが、問題はこの童貞の聖父ヘンリー像は意図的なのか、それとも脚本が大失敗であるせいでヘンリーが童貞に見えるだけなのかがよくわからないということだ。

2019年度第14回女性史学賞をいただくことになりました

 私の単著『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち』が、2019年度第14回女性史学賞を受賞することになりました。なんと脇田晴子先生が作った賞です。学部生の時に脇田本で勉強したことを思い出すととても光栄です。女性史と演劇研究をきちんとつなごうというのがコンセプトのひとつだったので、本当にうれしいです。

 

【重要】「2019年度 第14回女性史学賞」選考結果 受賞作:北村紗衣 『シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち―近世の観劇と読書―』2018、白水社nwugender.wordpress.com

シェイクスピア劇を楽しんだ女性たち:近世の観劇と読書

ベン・ジョンソンの『エピシーン』にちょっと似た爆笑オペラ~『ドン・パスクワーレ』

 新国立劇場ドニゼッティの『ドン・パスクワーレ』を見てきた。あまり予備知識なしで行ったのだが、大変面白かった。

 ご老人のドン・パスクワーレは相続人である甥のエルネストが自分の言うとおりに結婚せず、貧しいが機転の利く美しい寡婦ノリーナと結婚するつもりなのを見て、自分が結婚すると言い始める。これを見た医師マラテスタは、ノリーナを自分の妹に仕立ててドン・パスクワーレと結婚させ、一泡ふかせてやるという計略を思いつくが…

 話はかなりムチャクチャで筋は通っていない。奥ゆかしいノリーナが結婚後はとんでもない悪妻に変身してドン・パスクワーレが離婚を求め、最後に騙されたと知ってエルネストとノリーナの結婚を認めるというオチになるのだが、おそらくノリーナとドン・パスクワーレの間には性交渉はないと思われるものの、一度結婚してしまったのを解消するのはかなりの手間だし、そもそもマラテスタがあまり周りの人に計画をちゃんと伝えず暗躍しはじめたせいで大混乱になるし、ずいぶんと緩い台本だ。オペラでドタバタ喜劇でなければ最後まで見られないくらいめちゃめちゃな展開だと思う…のだが、回転するなかなか可愛らしいセットと楽しい音楽で笑って愉快に見られる。とくにヒロインのノリーナはとても賢くてなかなか強烈なキャラクターで、この役を歌っているハスミック・トロシャンも伸びやかな声で生き生きと演じている。ただ、エルネスト役の人はちょっと素人でもわかるくらい不調だった。

 イタリアの作品だが、近世イングランドベン・ジョンソンの喜劇『エピシーン』に似ている。これは偏屈な男が相続人の甥をさしおいて結婚しようとしたところ、策略にひっかかって無口な女を装った少年と結婚させられ、この「妻」が結婚後急にうるさい悪妻に変身するという話だ。どうも影響関係があるらしい。

12/7立教大学ウィキペディアイベントのお知らせ

 例年武蔵大学でやっていた教職員向けウィキペディア講習会について、今年は12/7に立教大学図書館で開催することになりました。主に研究・教育関係者向けですが、それ以外の方も申し込めます。興味がある方は図書館までお申し出ください。

library.rikkyo.ac.jp