8割エモ、1割シェイクスピア、1割ジェームズ・ディーン~『キング』

 『キング』を見てきた。ネットフリックスが作ったヘンリー五世ものの歴史映画である。主演が今をときめくティモシー・シャラメ、オーストラリアのスターであるジョエル・エジャトンが脚本・製作・主演ということで、ネットフリックスとしてはたぶんかなり力を入れて作った話題作だ。

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 ヘンリー五世(ティモシー・シャラメ)のアジャンクールでの勝利を描いているということで、一応中世ヨーロッパ史が主題なのだが、そんなに史実にのっとっていないところも多い。実際のヘンリーはこの映画に出てくるような、無駄な暴力が嫌いで親しい女性のアドバイスを重視するタイプではなかったし、フランス軍があまりにもアホに描かれている。さらにシェイクスピア史劇との関係がかなりビミョーで、フランスのドーファン(ロバート・パティンソン)をバカにしているところや、史実では存在しないフォルスタッフ(ジョエル・エジャトン)を出しているところはシェイクスピア準拠なのだが、シェイクスピア劇の見せ場に出てくる名台詞を取り入れるというようなことはほとんどしていないし、フォルスタッフなんかは「これ、シェイクスピア劇のフォルスタッフと関係ないよね?」と思うくらい違う人になっている。自由な二次創作といった感じの作品だ。

 

 そしてこの作品、とにかく主人公のヘンリー五世ことハルがエモである(見た瞬間にエモくしたピート・ドハティかMCRのジェラルド・ウェイみたいなハルだと思ったのだが、みんなそう思ったらしい)。ここで言うのは現代日本語で使われる「エモい」ではなく、音楽用語としての「エモ」である。音楽ジャンルとしてのエモは、十代から二十代初めくらいの若者の内省、感情的問題、家族との関係、メンタルヘルスの問題、強いこだわりなどを扱うという美的特徴があり、さらに一言で言うと男の子が感情的に泣き叫び、弱音を吐くことを許容しうる音楽ジャンルであると言える(バンドによってだいぶ違うので一般化は困難だが、「男の子は泣かないものだ」みたいな社会的抑圧から抜けようとする傾向がある)。この映画のハルは、中世史の映画に出てくる王様とは思えないほどエモである。いつも睡眠不足みたいな顔で憂鬱そうだし、家族のことや仕事のことでひどく悩んでいて、弱音を吐ける相手を探している。

 序盤のハルはとにかく親父さんのヘンリー四世と仲が悪く、最後までほとんどちゃんと和解できない。なんでこんなに親子関係がこじれたのかははっきり描かれていないのだが、このハルは親父さんがリチャード二世から王位を奪って国土を騒がせたこと、また自分が王位を継がざるを得ない立場に追い込んだことに強い不満を抱いているらしい。ヘンリー四世のほうもあまり良い父親ではないようで、人前にハルを呼び出してお前なんか王にしないなどと発言しており、まあ気遣いのできる親ならやらないだろうなということを平気でやる。しかしながらこのハル、王になりたくないくせに妙に社会的なことに意識が高く、弟が無理な戦争をしようとすると自分から出て行って事態を収拾しようとするし、父親のせいで社会が不安定化していることにはどうやら責任感を感じてしまっている。ここもまたすごくエモっぽい…というか、エモやってるようなミュージシャンは内省的なわりに社会的なことに興味があってチャリティに熱心だったり、自分が経験したメンタルヘルス系の病気などについての啓発活動をやっていたりすることも多い。

 弟も親父さんも亡くなってしまったせいで、ロンドン市内のボロ家で絶賛エモライフをしていたハルは家業を継いで王にならざるを得ないわけだが、イングランドの宮廷は伏魔殿のようなところでなかなか周りの人間が信用できず、唯一信頼できる家族である妹のフィリッパはデンマーク住まいでちょくちょく話せるわけではない(ベクデル・テストはパスしないのだが、この映画では基本的にハルは妹フィリッパや妻キャサリンの言うことは真面目に聞く)。そういうわけでハルは、ロンドンのワル仲間のリーター格だったフォルスタッフに頼る。このフォルスタッフ、シェイクスピア劇ではとにかく不真面目でいい加減で面白く、体格もデカいがスケールはさらにデカいというような並外れたおじちゃまなのだが、この作品では全然違う人になっている。この映画のフォルスタッフは、昔は優秀な軍人だったが戦争に疲れて今は金持ち相手に盗みなどを働いて暮らしているらしい根は真面目な不良中年男性で、全く頼りにできないシェイクスピア劇のフォルスタッフとは似ても似つかぬ頼りがいのありそうな人格を持っている。序盤のハルとフォルスタッフの関係には若干のエロティックな曖昧さがあるのだが(これはシェイクスピア劇にもないわけではない)、終盤はどんどん擬似的な父と息子みたいな信頼関係になっていく。

 このエモエモしいハル、作品としてはなかなか面白いアプローチだと思うのだが、シェイクスピア劇のハル王子っぽいかというと全くそうではない。むしろ『エデンの東』や『理由なき反抗』でジェームズ・ディーンが演じているような、父親との関係がうまくいっていない現代劇の悩める若者を思わせるところがある。別に『キング』は新しい作品なのでシェイクスピアらしくある必要はないのだが、まあそのうちティモシー・シャラメにはもっとガチなシェイクスピアをやってほしいなとも思う。

 なお、アジャンクールの戦争描写はけっこう史実準拠だと思われる。アジャンクールでぬかるみとロングボウ(長弓)がイングランド軍勝利の理由になったというのは本当のことだ。中世ヨーロッパの武器の飛距離は今に比べるとかなり短いのだが、長弓は真っ直ぐじゃなく斜め上に射って山型に落ちてくるような飛び方で遠くに飛ばすもので、うまく射るのにコツが必要らしい。アジャンクールのイングランド軍には訓練された長弓の射手がかなりいたそうで、これがイングランド軍を優勢にするのに役立ったのだが、この映画はそのへんの経緯をちゃんと台詞でも映像でもしっかり描いている。さらにぬかるみで足場がよろしくなかったそうで、このあたりはおそらく先行作である『オーソン・ウェルズのフォルスタッフ』などを研究して汚く悲惨な戦争描写にチャレンジしている。

 とりあえず、この映画を見てネットフリックスに期待したいこととしては、今後もっと本格的なシェイクスピア劇をやってほしいということ、またシェイクスピア劇にかぎらず中世ヨーロッパものをやってほしいということだ。ネットフリックスは既にこの作品の前にクリス・パイン主演で『アウトロー・キング~スコットランドの英雄』という、スコットランドのロバート王を主人公にした中世ものを撮っている。この作品も悪くはなかったのだが、『キング』はこの先行作に比べると全体的に出来が向上しているように思われる。『ゲーム・オブ・スローンズ』がヒットしすぎてお客が中世ファンタジーにものすごく高いクオリティを求めるようになっており、このため中世ものの映画が最近コケまくっているので、『キング』がこのトレンドの中でそこそこあたれば今後の中世コンテンツに良い影響が見込まれる。このへんちょっと期待したい。