妊娠の拒絶〜NTライヴ『ヘッダ・ガーブレル』

 ナショナル・シアター・ライヴでイヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出『ヘッダ・ガーブレル』を見てきた。

 いかにもイヴォ・ヴァン・ホーヴェっぽい白い箱のようなセットでヘッダの家を表現しており、左端には女中さんが常駐しているという変わった空間設定の演出だ。がらんとしたところにあまり家具なども置かず、床に花がばらばらと置いてあるようなセットは、おそらくヘッダの空虚で退屈な感覚を象徴している。衣装は現代風で、ヘッダはほとんどスリップみたいなワンピースを着ている。

 ルース・ウィルソン演じるヘッダは非常に素晴らしく、激情を秘めているがそれに合った生き方ができない女性だ。このプロダクションのヘッダは、とにかく人の世話をして生きていくのがイヤだと思っている一匹狼的な女性で、おばさんのようにひたすら人の身体的な面倒をみて暮らすのもイヤだし、テアのように愛する人の知的活動を手伝って暮らすのも多少はマシだがあんまりいただけないと思っている。このプロダクションではふつうは年配の父親的な男性であるブラック(レイフ・スポール)がふつうの上演より非常に若く、セクシーで危険な色男になっており、このためブラックとヘッダの駆け引きは同年代のかなり色っぽい男女の騙し合いや意地の張り合いといった感じになっている。このためブラックに出し抜かれて死を選ぶヘッダは、それまでは対等だった性的な駆け引きで劣位にたつことを拒んで死んでいくという印象になっている。

 ブラックが若いため、テスマン、レェーヴボルグ、ブラックは子どもの頃からの親しい友人という感じになっている。3人とも会った瞬間からきゃっきゃとふざけあっており、おそらくブラックの家で開かれるパーティも若い男たちがハメを外す集まりだと思われる。このプロダクションのヘッダはどちらかというとブラックに近いような性格なので、女だというだけで男たちの集まりからはじき出されるヘッダの疎外感が際立っていた。この上演のヘッダは男性と一緒にいる時のほうが落ち着くことができ、女たちの中では居場所を見つけられないタイプの女性に見える。そんなヘッダが妊娠によって「女性的」なるものに無理矢理引き戻されそうになり、それに抵抗しようとする。最後の場面でブラックにトマトジュースをかけられ、スリップの下腹部を真っ赤にした状態で自殺するヘッダの姿は、妊娠を拒絶したいというヘッダの気持ちが表れているように見える。

 全体的には大変面白くて刺激的な上演だったが、ただ個人的には昨年末の、ヘッダが軍服に身を包んで華々しく自殺する、あまり暗くならない演出のクルージュ・ナポカマジャール劇場のほうがちょっと好みだったかなという気はする。とはいえ毎年質の高い『ヘッダ・ガーブレル』を見られるのは嬉しいし、来年はシス・カンパニ−がやるらしいのでこれも楽しみだ。