歴史の再生~『彼らは生きていた』

 ピーター・ジャクソン監督『彼らは生きていた』を見てきた。第一次世界大戦に関するドキュメンタリー映画である。

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 イギリスの帝国戦争博物館所蔵のものを中心に、大量の第一次世界大戦の映像及び後に収録された退役兵士のオーラルヒストリーを用いて当時の様子を再構成したものである。最初はモノクロなのだが、途中から現代の技術による彩色と画質向上処理、音声の追加などが行われている。

 

 この、それまでモノクロだった画面が突然カラーになるところの効果がすさまじく、まるで魔法にでもかかったみたいである。カラーにする技術も大変自然で、まるで最近取り直したみたいに生き生きして見える。これだけで技術的にびっくりするような作品だ。

 

 さらに、編集やインタビューの選定が大変巧みである。従軍した兵士の悲惨な経験や、つかの間休憩した時の安心した気持ち、帰国時の苦労など、第一次世界大戦のイギリス軍兵士の経験のいろいろな側面がよくわかるよう、彩色した映像と談話をわかりやすく整理して配置している。カラー化された映像というのはけっこうショッキングで、それに兵士による激戦の回想をかぶせているところなどは大変陰惨な内容になっており、モノクロ映像というのはけっこう残酷さを薄める効果があるのだな…と思った。だんだんと兵士たちの間に厭戦気分が蔓延し、終盤になるともう勝ち負けとかどうでもよくなって早く戦争が終わればいい、さっさと生きて帰りたいという気持ちだけが高まっていく様子がリアルに描写されている。

 

 最後のクレジットで、インタビューをとったオーラルヒストリアンに対する感謝があるところも良かった。やり方はだいぶ違うが、コンセプトとしては昔PJが撮ったモキュメンタリーである『光と闇の伝説 コリン・マッケンジー』に似ていると思う。『光と闇の伝説 コリン・マッケンジー』は架空の初期映画作家の伝記という形の作品なのだが、映画史の中からエッセンスを抜き出してきてデフォルメするみたいな感じの話だった。『彼らは生きていた』は実際の映像とインタビューを使っているものの、歴史のエッセンスを抜き出してきてデフォルメによって再生させる、というような基本コンセプトは同じだと思う。モキュメンタリーとドキュメンタリーという違いはありつつ、どちらも歴史に対して敬意を払っている作品だ。

ウィキペディアに『栄養と料理』の記事を作りました

 ウィキペディアに『栄養と料理』の記事を作りました。久しぶりに翻訳ではなく、ゼロから記事を立てました。1935年からやってる老舗料理雑誌です。前回『ふらんす』を書いた時はわりと『ふらんす』から引用したのですが、今回は『栄養と料理』の雑誌本体から一切引用せず、一応二次文献とみなせるもの(ちょっと関係者の書いたものは使ったけど)だけ使うというのを試みました。

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今月のアルクのミニコラムは「マラプロピズム」についてです

 今月のアルクのミニコラムは「「マラプロピズム」とは?18世紀の戯曲『恋がたき』に由来する英単語」です。シェリダン『恋がたき』に登場する「マラプロピズム」(気の利いたこととか難しことを言おうとして言い間違えること)についてです。

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マシュー・ボーン IN CINEMA『ロミオとジュリエット』

 マシュー・ボーン IN CINEMA『ロミオとジュリエット』を試写会で見てきた。

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 生の舞台をロンドンで見ていて、内容に関してはそんなに大きな違いは感じなかったのだが、一つ思ったのはなんかちょっと短くなっているような気がしたことだ。ただ、家に帰って確認してみると上演にかかっている時間じたいは変わっていないので、インターバルがないのと、あとけっこうカメラが早く動くせいでわりと「映ってない」ところがあるせいだと思う。舞台をいくつかに分割して右と左で違うことが起こるみたいな演出が多いのだが、この撮影はけっこう引きが少なくてクロースアップにしたりする撮り方が多い。私の記憶ではマキューシオが亡くなった後のバルサザーの嘆きとかがもうちょっと生の舞台の時は強調されていたような気がするのだが、あのへんもカメラワークで印象が変わったのかなという気がする。

いや、まあ、完成してるから~『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』(ネタバレあり)

 『テリー・ギリアムのドン・キホーテ』を見てきた。

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 主人公はスランプ気味の監督トビー(アダム・ドライヴァー)である。スペインでドン・キホーテの話を撮影しているのだが、実は撮影現場はトビーが学生時代に撮った短編のドン・キホーテ映画のロケ地の村の近くだった。トビーは昔のロケ地に向かうが、そこでかつてドン・キホーテ役を演じた村人ハビエル(ジョナサン・プライス)が本当に自分をドン・キホーテだと信じて行動しているのを目撃する。サンチョ扱いされたトビーはハビエル/ドン・キホーテに付き合っていろいろな冒険をするが、最後はハビエルの死のきっかけを作ってしまう。トビーは結局、自分がドン・キホーテとして振る舞うようになる。

 『テリー・ギリアムドン・キホーテ』といえば、ガンズ・アンド・ローゼズの『チャイニーズ・デモクラシー』と並んでもう出ないだろうと言われていた作品で、そもそもこの映画が一応完成した形で見られると思っていなかった…ので、見られただけでビックリである。しかしながら、映画史上有名なディヴェロップメント・ヘル(開発地獄)に陥った作品だけあって、そんなにまとまりのいい内容ではない。そもそもテリー・ギリアムの映画はまとまりがよいというわけではないので、いつも通りにまとまりがない、とも言えるわけだが、そうは言っても制作過程のごたごたがそのまんま映像になったような作品である。主人公がスランプに陥った監督で最後は自分がドン・キホーテだと思い込むようになってしまうという時点で、このトビーはテリー・ギリアムの分身としか思えない。ギリアムのドン・キホーテへの執着がそのまんま生々しく表出したような映画である。

 

 そういうわけで、このこだわりはすごく生き生きと出てきているのだが、一方で脚本などはわりとメチャクチャである。トビーが拾った金貨は二度くらい吹っ飛んでいるはずなのになんで最後までけっこう残っている設定なのかとか、正直オルガ・キュリレンコをここに使う必要があるのかわからんとか、いろいろと疑問の残る作品だ。一番ひどいのはアンヘリカ(ジョアナ・リベイロ)の役どころだ。アンヘリカはトビーの映画に出た後、村に幻滅にして都会に出て行き、結局うまくいかなくてロシアのウォッカ長者の愛人になったという設定なのだが、虐待を受けまくっているのに全く出て行く気がなく、明らかにバタードウーマン症候群に陥っている女性である。ところがアンヘリカは自分の人生をメチャクチャにしたはずのトビーとよりを戻してしまい、最後はトビーと出て行ってドン・キホーテごっこに付き合ってやる。ひどい目にあいっぱなしであまりよいところがなく、大変男性に都合のいいキャラクターになっているし、あまり心理の描き方にも一貫性がないあたり、いかにも開発地獄の結果という感じのキャラだ。ちなみにこのジョアナ・リベイロは当初出演予定だったらしいヴァネッサ・パラディにすごく雰囲気が似ていて可愛らしいのだが、あまりぱっとしないキャラクターなのは残念である。

 

 しかしながら、アダム・ドライヴァージョナサン・プライスの演技はさすがに面白く、この2人の芝居を見ているだけでお金を払う価値はあると思う。なんだか完成しているのだろうか、まあしているんだよね…みたいな映画ではあるが、とにかく映画館にかかるところまで出来たということでよかった。

実ははじめてではないのでは?~『イーディ、83歳 はじめての山登り』(ネタバレあり)

 『イーディ、83歳 はじめての山登り』を見てきた。

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 イーディ(シーラ・ハンコック)は全くうまくいっていない夫の介護を30年もやった後に寡婦となっていたが、娘とはうまくいかず、鬱屈した日々を送っていた。ある日、アウトドア派だった亡き父のはがきを見つけた83歳のイーディは、父と行きたいと思っていて果たせなかったスコットランドのスイルベン山に登ることを決意する。現地で登山の達人だという若者ジョニー(ケヴィン・ガスリー)に出会い、登山訓練を受けるが…

 

 「はじめての山登り」というタイトルだが、結婚前のイーディはどうもお父さんといろいろキャンプやハイキングや川下りなどをしていたらしいので、「はじめての」というのはちょっと言い過ぎかもと思った。イーディの亡夫は相当に横暴な人だったようで、イーディはそのため全くもともとの冒険好きな性格を封印して耐えて暮らしてきた。このお話はそんなイーディが自分を取り戻そうとする物語である。

 

 イーディの人生はハイランドで出会ったジョニーの人生とかなり呼応している…というか、ジョニーはあまりうまくいっているとは言えない恋人と一緒になろうとしており、かつてのイーディのように自分を抑えて生きる人生に入る瀬戸際にある。そういうわけで、最初はお互いうさんくさいと思っていたイーディとジョニーは親友になる。イーディを演じるハンコックはもちろん、このジョニーを演じるガスリーもナチュラルなスコットランド訛りになかなか味わいのある演技でいいキャラクターになっており、地味な映画だがこの2人の掛け合いを見ているだけで面白い。

役者は詐欺師の一種~『グッドライアー 偽りのゲーム』(ネタバレあり)

 『グッドライアー 偽りのゲーム』を見てきた。

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 舞台は2009年のロンドンである。詐欺師のロイ(イアン・マッケラン)は出会い系サイトで出会ったお金持ちの寡婦ベティ(ヘレン・ミレン)から財産をだまし取ろうと画策する。祖母を守ろうと警戒心を強める孫のスティーヴン(ラッセル・トーヴィ)が邪魔者だが、ロイは着々とベティの信頼を得ることに成功したかのように見えたが…

 

 詐欺を扱ったスリラーなのだが、プロットは終盤、急展開でちょっと無理があるところもある。とにかく見所はイアン・マッケランヘレン・ミレンの演技合戦だ。ロイはベティといる時は非常におとなしく温和で足の悪い老人にしか見えないし、ベティもロイといる時は保守的で人を信じやすい優しい老人にしか見えない…のだが、ひとたび詐欺師仲間の前に出るとロイは眼光鋭く年のわりには身軽に動き回る犯罪者になるし、ベティも最後に孫たちと過ごしている時はハキハキしたオシャレなおばあちゃんになる。これだけ上手な役者が2人出てきて、裏表のある人間を完璧に演じているせいで、役者というのは実は詐欺師の一種であり、詐欺の才能を大変よい方向(人を楽しませ、芸術に奉仕する)に使っているんだ、ということを痛感させるような作品になっていると思う。