大森立嗣監督の新作『湖の女たち』を試写で見た。吉田修一の小説の映画化である。
琵琶湖と覚しき大きな湖のそばにある介護施設で不審死が発生し、西湖署の刑事である圭介(福士蒼汰)と伊佐美(浅野忠信)が捜査に乗り出す。圭介は捜査の途中で出会った介護士の佳代(松本まりか)にやたらと執着するようになる。一方、ジャーナリストの池田(福地桃子)はこの事件を調査するうち、かつての薬害事件にぶち当たり、さらに731部隊まで関連しているらしいことがわかってくる。
エロティックスリラー的なものを目指しているのだと思うのだが、一貫性のないセックス観に基づいて作られている古臭い映画だな…と思った。圭介と佳代のくだりが、単に警察官が権力を使って女性にセクハラをしているようにしか見えず、佳代もなんだかそれにのせられているようなのだが、この2人の性的な関係(と言えるかよくわからないのだが)は基本的にセックスをタブーと見なす抑圧的な考え方に基づくものである。何かこの2人を通して性的な解放みたいなものを描きたいのだとしたらちゃんちゃらおかしい…というか、抑圧の中で遊んでいるだけの人たちを出してきて性的な解放ですとかいうのは実に矛盾しているだろうと思う。とくに圭介はあまりにも身勝手だし、佳代はそれに従属しているだけで、何の解放もない保守的な関係である。
さらに、もうひとつの筋である薬害事件の調査においても性的な虐待がキーとなっており、この話においては性的な強要が非常にネガティブに描かれている。そうなると、2つの話を並べた時、結局今も昔もみんな抑圧的な環境で性的な虐待や強要が発生しているだけで全然状況が良くなってないじゃないか…という話に見える。この薬害調査の話のほうが面白いので、こっちだけでいいじゃないかと思った。