全然ファム・ファタルに見えない~新国立劇場『マノン』(配信)

 新国立劇場巣ごもりシアターでバレエの『マノン』を見た。マスネの曲にケネス・マクミランが振付をしたものである。今年2月の公演で、実は行きたいと思っていたのだが見に行けなかった。

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 原作はアベ・プレヴォの小説である。マスネは18世紀前半のフランスとアメリカが舞台で、美しいマノン(米沢唯)に一目惚れしたデ・グリュー(ワディム・ムンタギロフ)が駆け落ちするが、男たちが次々とマノンに惹かれてちょっかいを出すせいで2人の生活はなかなか安定せず、最後は流れ着いたルイジアナ州の沼地でマノンが死んでしまうという話である。マスネは同じ原作のオペラも作っているが、バレエはマクミランが20世紀になってから独自に作ったものだ。

 

 最初は18世紀のパリらしい背景と豪華な衣装が特徴なのだが、終盤のルイジアナの沼地は上からいろいろつるみたいなものがぶらさがっていたり、後ろに沼や木を思わせる背景があったりして、美術が前半と後半で非常に違っていてそこは非常にメリハリがある。沼地のところはむしろ抽象的というか、美術もダンスもなんだかマノンとデ・グリューの意識がはっきりしなくなっていっているような感じだ。これはマノンが衰弱していることを表現しているのだろうと思う。

 全体的に、マノンは全然ファム・ファタルらしくなく、あまり世間のことをよく知らない若い女性で、男たちが勝手にマノンに惹かれてどんどん不幸になっていくという話に見えた。マノンは完全にセクハラの被害者である。デ・グリューと愛し合っているのに年上のパトロンと付き合うことになるのは兄貴のレスコー(木下嘉人)がマノンにそうすすめたからで、これは家族による性的虐待の一種だと思うし、アメリカに行ってから看守がマノンにちょっかいをかけてきたのは立場を利用した悪質な性的強要だ。レスコーが死んでしまうのも別にマノンの責任ではなく、男どもがみんな嫉妬や欲で動いているせいである。まだ若くて世間知らずなマノンはそういう理不尽な要求をはねつけられずにそういうものなのかと思って応えてしまうが、実はそのトラウマは知らないうちにマノンをむしばんでいて、だんだん疲弊して最後は死んでしまう。私の解釈では、あれはまだ少女であるマノンの心に気付かず積もっていた性的虐待の心労が、愛するデ・グリューと2人だけになってどんどん表に出てきて、そのストレスのせいで病気になって死んでしまったのじゃないかと思う。