大人になりきれない人々~シャウビューネ『ヘッダ・ガーブレル』(配信)

 シャウビューネの『ヘッダ・ガーブレル』を配信で見た。トーマス・オスターマイアー演出で、2005年の上演である。テレビ用に撮影した映像だと思われる。

www.schaubuehne.de

 

 完全に現代風の演出で、全面ガラスの大きな壁がある部屋に緑色の大きなソファがあるというセットだ。序盤は雨が降っており、ガラスに水が流れている。撮影だとちょっと見づらいのだが、上に大きな鏡があって、このセットで人が動くところが写るようになっている。全員現代の衣装を着ているし、ヘッダ(カタリナ・シュトラー)が写真を見せるところではラップトップを使っており、エイレルト(カイ・バルトロマウス・シュルツェ)も原稿を忘れたんじゃなくラップトップを忘れた設定だ(エイレルトはバックアップをとってなかったようだ)。

 

 全体的に、あまりしっかり大人になりきれていないまま、大人になったフリをしている人々の芝居だという印象を受けた。男たちのひとりよがりで衝動的なところが強調されている。ヘッダに言われてエイレルトが酒を飲み始めるところは、まるで宴会でのせられて一気飲みをしてしまう学生みたいに見える。テスマン(ラース・アイディンガー)はかなり感情の振れ幅が大きく突発的に行動する男で、ヘッダがテスマンにエイレルトの原稿を見せてと言うところでは、テスマンがそれを拒もうとしてヘッダを力尽くでソファに押しつけるという暴力的な演出がある。パーティの翌朝、ブラック(ヨルグ・ハルトマン)がテスマン家を訪ねてきた時にヘッダにキスして無理に身体を触り、ヘッダに拒否されてショックでくずおれるという場面があるのだが、この場面のブラックはまるで相手の気持ちを理解できずに好きな女の子にセクハラをして、断られるとなぜかわからず戸惑う十代の少年みたいだ。ヘッダを脅迫するところのブラックも、陰湿とか狡猾というよりはあまり事態の重要性を考えずにやりたいからやっているだけみたいな雰囲気がある。一方でこんな身勝手な男たちばかりの環境で生きているヘッダもそれに適応して策略を練り、何でも自分の思い通りにしようとわがままに振る舞う女性になっている。エイレルトに酒を飲ませようとするところの持って行き方はいじめっ子みたいだ。

 この大人になりきれていない人々の世界のお姫様であるヘッダは、自分たちの大人性をつきつけられる瞬間、つまり自分の世界に子供が入ってくることに怯えているように見える。冒頭のテスマン家には全くヘッダの趣味にはあわない花がたくさん飾ってあり、その中にはたぶんユリアーネおばさんの趣味なんじゃないかと思われる白百合もある。白百合は聖母マリアの受胎告知の絵によく描かれるものだ。ヘッダは途中で銃でこの花を全部撃つのだが、最後に白百合を撃つところは妊娠への恐怖を象徴する。ヘッダがエイレルトのラップトップをハンマーで打ち壊すところでは、思い詰めた顔でこれがエイレルトとテアの子供だと言ってからハンマーを振り下ろす。正直、このへんの演出がいいのかどうかはわからない…というのは、別に子供を持つことが大人になることというわけではないので、コンセプトとして面白いのかどうかにはちょっと疑問がある。とはいえ、一貫した内容ではある。

 ただ、ひとつ気になったのは撮影だ。テスマンがラップトップの残骸を隠す細かい動きなどにフォーカスして、小さい表情や動作をきちんと撮っているところは大変いいのだが、ガラスを使った舞台で何かが何かに写っているというようなことが特徴の美術で、これはかなりカメラでとらえにくく、撮影に苦労しているように見える。また、場面と場面の間の映像が映るところは実際の舞台がどうなっているのが全然わからない感じで、テレビ放映用にかなり編集してあるからだろうと思った。