わりとオーソドックスなテネシー・ウィリアムズ~『ガラスの動物園』

 新国立劇場でイヴォ・ヴァン・ホーヴェ演出『ガラスの動物園』を見た。イザベル・ユペールがアマンダ役という豪華なプロダクションである。劇場もほぼ満席だった。

 セットは全体にけばのあるふわっとした茶色い生地で覆われた長方形の部屋である。後ろの壁には出て行ったお父さんの肖像のかわりに、けばで作った父親の顔が描いてある。衣服やセットはモダンで、オリジナルの設定である1930年代よりだいぶ新しい感じがする。

 長方形の部屋で展開する家庭劇という点では『ヘッダ・ガーブレル』などと共通性があり、空間の使い方はかなりイヴォ・ヴァン・ホーヴェらしいのだが、一方で思ったよりもだいぶ正統派なテネシー・ウィリアムズである。役者の演技をじっくり見せる比較的オーソドックスな演出だ。やはりイザベル・ユペール演じるアマンダは絶品で、私が今までに見た『ガラスの動物園』に比べるとわりと地に足のついた女性に見える…というか、単に南部の思い出だけに浸っている生活力のない女性という感じではなく、けっこうやる気を持って生きているし、その気になれば再婚できるくらいの甲斐性はあるのだが、出て行った夫への未練たらしい愛情がまだあるせいでそういうこともできずに行き詰まってしまっている中年女性という印象を受けた。気を遣っているわりに時々とんでもないダメなことをする母親で、子どもたちに対する態度もそうだし、黒人男性である颯爽としたジム(シリル・ゲイユ)の前で南部のプランテーションを懐かしむ話をするところとか、無神経すぎて見ていて大変にきまりが悪かった(これはキャスティングの妙だと思う)。目に見える身体的な障害のほうはあまりないのだが、おそらくメンタルな障害(私と同じで発達障害なのかな?)があると思われるローラ(ジュスティーヌ・バシュレ)も、繊細そうなトム(アントワーヌ・レナール)も演技は良く、ユペールは凄いがユペールだけに偏らない、バランスのとれたアンサンブルである。

 途中でジムとローラが踊りまくる場面は、わりと正統派なこのプロダクションの中ではかなりイヴォイヴォしい場面だったと思う。正直、こんな激しいダンスをすると思っていなかったので、新鮮だった。2人の抑圧された性的エネルギーが解放されるようなこのダンスの場面でユニコーンの角が折れてしまうというのは、実はかなりエロティック…というか、これまで障害のある大人しい女性として暮らしていたローラの押さえつけていた性欲が全開になっていることを示唆しているんだろうと思う。