子どものクィア時間と、母親の救い~『秘密の森の、その向こう』(ネタバレあり)

 セリーヌ・シアマ監督の新作『秘密の森の、その向こう』を見てきた。

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 お話は8歳のネリー(ジョゼフィーヌ・サンス)のおばあちゃんが亡くなった直後から始まる。ネリーはお母さん(ニナ・ミュリス)とお父さん(ステファン・ヴァルペンヌ)と一緒に、森にあるおばあちゃんの家の片付けに行くところになる。ところがお母さんは自分の母親を亡くした後に片付けをするのがキツすぎたのか、急にいなくなってしまう。お父さんと2人になったネリーは、森で自分と同じ年の少女マリオン(ガブリエル・サンス)に出会う。

 途中まではあまりピンと来なかったのだが、途中から『となりのトトロ』と『ザ・デッド ダブリン市民より』とチャールズ・L・ハーネスの「時の娘」を合わせたみたいな時間SFになる。シアマは『燃ゆる女の肖像』のようなジェンダーセクシュアリティに関する作品が得意な監督で、この作品は子どもを扱っていて、撮り方などはわりと前の作品でやはり子どもを扱った『トムボーイ』に似ている。ただ、『トムボーイ』と違って本作はジェンダーセクシュアリティに関するクィアな主題を直接的に扱っているわけではない。しかしながら、母親の失踪をきっかけに時間がねじれて主人公が子どもだった頃の母親に合うというのは、女性同士のつながりをテーマに逸脱を描いているという点で、時間をとてもクィアに扱った作品だと言えると思う。ネリーは喪失をきっかけに時間をはみ出し、母親と通常ではあり得ないような形で知り合うことになった。ここでネリーが与えられた3日間のねじれた時空は、子どもの無限の可能性を秘めたクィアな時間だ(子どもの時空の扱い方という点では、ちょっと『君の名は。』を思い出した)。

 この作品のヒロインはネリーだが、一方で母親であるマリオンにとっての救いの物語だとも言えると思う。マリオンが自分の母親の家を片付けられず、小さな子どもを放置して出て行ってしまったというのは、娘としては無理もないことだが、母親としては無責任なことで、たぶんマリオンはこれについて人知れず悩んでしまったかもしれないと思う。ところが、マリオンがいない間、ネリーは実は子ども時代のマリオンと出会い、別の形で母親と一緒にかけがえのない時間を過ごしていた。そう考えると、ネリーが過去のマリオンと出会ったのは、実は消えた大人のマリオンが娘を心配していた気持ち、あるいはそんなマリオンを重荷を軽減しようとした亡きマリオンの母の気持ちのあらわれなのかもしれない。