コンクリートの陰鬱なセットと現代政治~ウィーン国立歌劇場『マクベス』(配信)

 ウィーン国立歌劇場マクベス』を配信で見た。2019年5月14日に上演されたもので、指揮はジェームズ・コンロン、演出はクリスティアン・レートである。

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 舞台は完全に現代で、灰色のコンクリートの大きなセットに軍服を着た人々が行き来するというものだ。スコットランドの苦しむ民が歌う場面などは枯れ木が出てきていてけっこう寒そうで、見た目は東欧の独裁国家風である。マクベス(ジョルジョ・ペテアン)は明らかに現在の独裁者といった様子だ。

 全体的にセットが灰色っぽい色調なのだが、できるだけ血の赤い色が引き立つように演出されている。ダンカン殺しの時に血に染まった布を皆で持って嘆く場面があり、最後にマルカム王子たちがスコットランドに攻め入る場面でもこの血まみれの布が打倒すべきマクベスの暴虐のシンボルとして戦旗みたいに使われている。マクベス夫人(タチアナ・セルジャン)の赤いドレスや夫妻の手が血に汚れるあたりも色調への配慮が見られる。

 

 マクベス夫妻の歌もいいし、脇役陣も良かったのだが、ただ昨日の『オテロ』同様撮り方が非常にわかりづらいところがあった。このプロダクションでは、祝宴の場面ではバンクォーが実際に現れず、後ろの壁に映る大きな影だけで表現される。この場面なのだが、マクベスにカメラが寄っている時に突然マクベスが怯えはじめて、ちょっとしてからカメラが引いてやっと影があることがわかる…という撮り方になっている。この撮り方では周りの状況が映らないので、最初なんでマクベスがびびってるのかよくわからないし、劇的な効果が薄れる。この影の演出は大変良いと思ったのだが、ここは引きで撮るべきだろうと思った。

ちょっとセットに凝りすぎで撮影により見づらいところも~ウィーン国立歌劇場『オテロ』(配信)

 ウィーン国立歌劇場の配信でヴェルディオテロ』を見た。2018年3月18日上演のもので、指揮者はグリーム・ジェンキンズ、演出がクリスティーネ・ミーリッツである。

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 セットがやたら凝っている…というか、別に豪華な家具があるとかではないのだが(最後の寝室の場面ではデズデモーナが寝るベッドも出てこない)、後ろに投影の背景があったり、下にディスコにあるみたいな光る碁盤風の台が置かれていたり、けっこうモダンである。さらにひらひらするカーテンとか、監獄の格子みたいな網の壁とか、いろんなものが場面ごとに使われている。

 で、問題はこれがどう機能しているのか、撮影ではあんまりよくわからないことだ。最初はオっと思うのだが、だんだん「これはどういう効果を狙ってるんだ?」というところが増えてくる。全体的に照明が暗いところが多かったり、網の壁で視界が遮られる箇所があるということもあり、カメラがずいぶん寄るのだが、そのせいで舞台全体の様子がイマイチわからないところが多い。終盤でオテロとデスデモーナの間の緊張が高まるところなど、カメラが寄りすぎで「あれ、これステージ回転してる…のか?」みたいに、ちょっと考えないと何がどう見えるようになっているのか想像しづらいところがある。セットがそもそもあんまり効いてないのか、撮影の問題なのかはちょっと判断しかねる(レビューではセットがあんまり褒められてないので、美術プラン自体がイマイチだったのかもしれない)。歌はけっこう良く、とくにロベルト・アラーニャオテロは堂々たるものだと思った。オテロは大変な大役だそうで、カメラが寄りまくるせいでたまに首とかにすごい汗をかいているのが見え、化粧が流れないよう厚化粧気味にしている感じだが、ブラックフェイスにはしていない。

 

非常に正統派の上演~グローブ座『夏の夜の夢』(配信)

 グローブ座の『夏の夜の夢』を配信で見た。2013年の上演で、ドミニク・ドロムグール演出のものである。

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 近世風の非常に正統派な感じの演出で、奇をてらったところもほとんどなく、手堅く笑わせるものだ。珍しい工夫としては冒頭にシーシアス(ジョン・ライト)とアマゾンの女王ヒポリタ(ミシェル・テリー)が戦い、アマゾンが敗北するという原作にないプロローグ的な場面がある。このため、冒頭では敗北の記憶が生々しく、ヒポリタがかなり苦々しい表情なのだが、心にかかっていたハーミアたちの問題が解決したせいでヒポリタも最後には多少リラックスしており、シーシアスも軟化して2人の関係が改善されて終わる。シーシアスとオベロン、ヒポリタとティターニアが1人2役なのはピーター・ブルック以降よくあるキャスティングである。オベロンはモッコリ股袋をつけてしょっちゅう怒っている男男しい妖精の王なのだが、一方でオベロンに仕えるパック(マシュー・テニスン)は中性的で子供のような若者で、オベロンがパックを持ち上げたり、キスしたりするような場面はホモエロティックな要素がある。

 また、ちょっと珍しい要素としてはボトム(ピアース・クィグリー)がものすごく棒読みだというのがあげられる。ボトムは大げさで感情豊かに作ることも多いと思うのだが、このボトムは皮肉屋でけっこうデッドパンな感じで、同じクィグリーがグローブ座で演じた『ウィンザーの陽気な女房たち』のフォルスタッフにかなり雰囲気が似ている。このボトムが演じるピラマスはとにかく棒読みでまったく台詞に感情がない大根役者で、これは劇中劇の演出としては珍しいと思う。

手堅すぎるような…シビウ国際演劇祭配信、中国国家大劇院『夏の夜の夢』(配信)

 シビウ国際演劇祭の配信で中国国家大劇院『夏の夜の夢』を見た。クリス・ホワイト演出で、2016年に上演されたものの映像である。

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 なんかものすごくいろいろ先行上演を研究してるフシのある美術で、「どっかで見たな…」的要素が多い。たぶんピーター・ブルックジュリー・テイモアなんかをヒントにしていると思われる。三日月みたいに左側前方から後ろ斜め上にせり上がった台がうまく使われているのだが、たくさん棒を立てて木に見立てるというのは『夏の夜の夢』ではけっこうありふれているというか、たぶんここ数年とてもよく見かける感じの演出だ。衣装はかなり現代風で、とくに職人たちは近所の人たちみたいな親しみやすい格好である。特徴としてはパックが2人だというのがあるのだが、こういう演出も私は見たことあるので、たぶん何かを参考にしてるのじゃないかと思う。

 プロダクションのほうも、他の上演をいろいろ参考にして生かしていると思われ、笑いのツボをおさえた演出なのだがやや手堅すぎてあまり新しさはないという印象を受けた。ただ、劇中劇の場面は大変おかしく、職人たちも芸達者ですごく笑わせてくれる。職人劇団メンバーは大半が女性で、とくにクィンスは近所の世話焼きが好きなおねえちゃんみたいな感じだ。ところが美女シスビーを演じるフルートはけっこう背が高い男性で、オッパイに詰め物をしすぎて大変バランスが悪くなっており、明らかに衣装選びに失敗したふうである(クィンス、シスビーのオッパイと化粧をちゃんと指導しろよ…と思った)。スナッグ演じる塀が体を張って必死にピラマスとシスビーを妨害するところはとても可笑しい。ボトムが死ぬところでは剣のかわりに用意した棒が長すぎて月に手伝ってもらう羽目になり、さらにシスビーが同じ剣で自殺する時にも大変な手間がかかる。このあたりは本当に滑稽で笑えた。

聖人伝か、紅はこべか~『ハリエット』(ネタバレあり)

 『ハリエット』を見てきた。奴隷解放運動家として有名なハリエット・タブマンの伝記物である。

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 ミンティと呼ばれる奴隷だったハリエット(シンシア・エリヴォ)が主人に売られそうになって単身、北部まで逃亡するところから始まる。その後、ハリエットは家族を救済すべく一人で南部に戻り、自分だけで9人の奴隷を北部まで送り届ける。ハリエットは逃亡した奴隷を北部まで送り届ける組織である地下鉄道の車掌として大活躍するようになる。

 

 非常にちゃんと作っている映画で、ハリエットを演じているエリヴォの演技もいいし、音楽の使い方などもうまい。中盤で奴隷だったハリエットと北部の自由黒人であるウィリアム(レスリー・オドムJr)やマリー(ジャネル・モネイ)の意識の違いが明確になっており、アフリカ系アメリカ人でも境遇に著しい差があることが示されているあたりは良かった。マリーは架空のキャラクターらしいのだが、ハリエットと親しくなるあたりの様子は細やかに描かれている。

 

 ただ、この映画は基本的には聖人伝というか、偉人の生涯を真面目に追った作品なのだが、たまに妙にエクスプロイテーション映画っぽくなるところがあり、ちょっとトーンの統一性としてどうなのかなと思った。というのも、ハリエット・タブマンの生涯というのはたぶん聖人伝よりはエクスプロイテーション映画とかアドベンチャーアクション映画にしやすいような題材に見える。何しろハリエットはモーゼというコードネームを持った謎のエージェントで、男装し夜の闇に紛れて南部のプランテーションに忍び込み、抑圧された人々を解放する。モーゼの登場は歌でわかり、音楽を合図に逃亡を試みる奴隷たちが集まってくる…ということで、これだけ書くとロビン・フッドか紅はこべかというような超かっこいいヒーローぶりである(そして実際にかっこいい)。基本的に地下鉄道の車掌というのは亡命支援エージェントなので『紅はこべ』っぽいところがあり、中盤はけっこう冒険スリラーだ。元の主人でハリエットに執着しているギデオン(ジョー・アルウィン)と対決するところなど、なんかアクション映画みたいで、ちょっと伝記ものにしてはわざとらしい感じもする。真面目一辺倒の映画にするか、もっと亡命支援スリラーっぽくするか(謎のエージェント、モーゼが南部の人々を救いまくっているところから始めてだんだん正体がわかるみたいな展開とか…)、どちらかにしたほうがよかったのではという気もした。奴隷制度の傷跡を真剣に描きたいという真摯な意図と、ハリエットのカッコいいところを描きたいという意図がかみあってない部分が多少あるように感じられる。

 

べにはこべ (河出文庫)

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