ロンドン・バーレスク・フェスティバル(配信)

 ロンドン・バーレスク・フェスティバルを配信で見た。60本くらいの短い演目の映像を期間限定アーカイヴ方式で有料提供するものである。

 ライヴストリーミングではなくアーカイヴ方式なのは良いのだが、かなりたくさん演目があってカテゴリ分けがないのはあまりよろしくないかもしれない。厳密に言うとバーレスクではないショー(歌とかメイク動画とか)もけっこうあり、カテゴリでどういう傾向のショーなのかわかるようにして欲しいと思った。演目には一部バーレスク・ホール・オブ・フェイムとかぶっているものもある。

 自宅で撮った演目が多く、新型コロナウイルス流行によるロックダウンがネタのものもある。ニューヨークのエリー・シュタイングレーバーが出している、ビリー・アイドルの"Dancing with Myself"(これ、ロックダウン中にみんなよく聴いていた曲でもちろんバーレスクでも人気らしい)にあわせて小道具を使いながらひとりパーティをする演目とか、イタリアのスパイシー・シャルマンテが出しているロックダウン中に料理をするというコンセプトのショーとか、このあたりはとても世相を反映している感じだ。一方でクラブや劇場で披露した演目を撮ったものもあるし、人が少なくなったせいなのか庭とか戸外で撮ったものもけっこうある。ライヴだとできない編集や特殊効果を駆使しているものもあり、日本の椿舞子のショーなんかはかなりいろんな効果を使っている。

 ひとつ思ったのは、iPhoneバーレスクを撮るのはやめたほうがいいということだ。バーレスクはやっぱりクラブなどでわーわー言いながら騒いで見るのが醍醐味だと思うのだが、iPhoneサイズだとなんかパフォーマーが自分のために脱いでくれているみたいでやけにプライベートで淫靡な感じになり、あんまり居心地が良くないし、盛り上がりに欠ける。あと、中にはけっこう撮影クオリティがよろしくないものもあったのと、それからクラブや劇場じゃないところで撮るならできるだけ明るいところで撮ってほしいと思った。雰囲気を出したいのだと思うのが、薄暗い家の中とかで撮ると単純に見づらい。

Virtual Burlesque Hall of Fame 2020: Bring It Home(配信)

 ラスベガスのバーレスク・ホール・オブ・フェイムウィークエンドが今年はオンラインになったのだが、時差があってストリーミングだけなのでなかなか見られなかった…ものの、最終週だけは見なければと思っていたので、早起きして"Week 5: Bring It Home"を見た。家でショーをやることがテーマの映像集である。

bhofweekend.com

 けっこう編集や特殊効果的なものを使ったショーが多い。とくに良かったのは、ヴィクセン・デヴィルのブタの母子がロックダウンで食べ物がなくなって自分を食べ始めるというえらいブラックなやつ(これはキッチンなど自宅の設備を上手に使っている)と、エデン・ベルリンの特殊効果を用いて白鳥のシルエットとやりとりするというちょっとリリ・セイント=シア風なショーである。ただ、映像を使っているせいで舞台よりも効果があがっていないものもある。火を使う演目とかはわりと火の動きが撮りづらかったりして、撮影が難しいと思った。

1607年の古いオペラだが、現代風によくまとめている~Nederlandse Reisopera『オルフェオ』(配信)

 Nederlandse Reisoperaの『オルフェオ』を見た。クラウディオ・モンテヴェルディの作品で、1607年初演である。現在も世界各地で上演されている正典的なオペラ演目としては最も古いものらしい。ヘルナン・シュヴァルツマン指揮、モニク・ワーゲマーカース演出で、今年の1月に上演されたものである。

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 お話はオルフェウス伝説にのっとったものである。相思相愛の新妻エウリディーチェ(クリステン・ウィットマー)を亡くしたオルフェオ(サミェエル・ボーデン)が冥界まで妻を探しに行き、なんとかエウリディーチェを生者の世界に帰してもらう約束をとりつけるが、条件である振り向かないという約束を破ったために再び妻を失うというものだ。最後はオルフェオを気の毒に思ったアポロ(ローレンス・キルスビー)がオルフェオを天に連れて行く。

 

 古いオペラだということでどっちかというと祝祭的なマスクに近いような内容だ。全体的に話を歌い上げて合間に踊りもたくさんあるというような感じで、けっこう現在のオペラとは違っている。ちょっと面白おかしいところもあり、オルフェオが一生懸命三途の川の渡し守カロンテを歌で説得したのにカロンテ(アレックス・ローゼン)は聞き入れず、ところがカロンテが眠ってしまったためオルフェオは冥界に突入できたというあたりはたぶん笑うとこなのではと思う。ただ、この演出はあんまりユーモアを強調してはいないと思う。

 薄い紗幕の天幕みたいな囲いを使ったシンプルなセットで、この天幕が上から落ちてきたり、形を変えたりすることで場面の変化が表現される。この紗幕は死と生、悲しみと喜びの薄い境界を象徴するような形でなかなか上手に使われている。終盤でエウリディーチェを再び失ってしまったオルフェオが天幕に阻まれ、苦しみにのたうちまわるところなどは効果的だ。衣装は森のニンフなどを連想させるもので、オルフェオやその仲間たちは肌色に近い色味のうねった布をふんだんに使った、ちょっと木の外側や葉っぱなどを連想させる服を着ている。照明は終盤で幾何的な図形を投影で出すなど、かなり現代風だ。

 全体的に形式に慣れるまではちょっと時間がかかるが、少し見慣れてくるとモダンなビジュアルや演出のおかげもあってあまり違和感なく、けっこう一周回って現代人好みなのじゃないかと思った。古典的なオペラによくある派手な歌い方の壮麗なアリアみたいなものが少なく(長い独唱はあるのだが)、オルフェオがひとりの男として愛のせいで大失敗する様子を歌いながら語る感じで、なんだか現代の不条理演劇みたいに見えるところもある。

カラオケの場面がとにかくよくできている~『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』

 オリヴィア・ワイルド監督『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』を見てきた。

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 優等生のモリー(ビーニー・フェルドスタイン)とエイミー(ケイトリン・ディーヴァー)は親友同士で、高校卒業を控えていた。ろくに遊ばず、真面目に勉強や課外活動をしていた2人だが、モリーは卒業を目前にして、他の遊びまくっていた同級生たちも好成績で名門大学に進学していることを知る。これにショックを受けたモリーは今までの分を取り戻す勢いで遊ぼうと決め、エイミーを引っ張ってパーティに行こうとするが、いろいろとハチャメチャなトラブルが起こって…

 真面目な高校生2人が卒業を目前にパーティではっちゃけようとしてさまざまなトラブルに遭遇する、という点では『スーパーバッド 童貞ウォーズ』(2007)とほぼ基本の設定が同じで、さらにキャラクター造形とかもよく似ている。『スーパーバッド』のセス役だったジョナ・ヒルの妹であるビーニー・フェルドスタインがモリー役なのだが、2人ともけっこう口が悪くてアクが強く、かなり雰囲気が似た役だ。セスの相棒エヴァン(マイケル・セラ)とエイミーも立ち位置がそっくりで、わりと下品な悪口を平気で言う相棒に対して、陰口は良くない的なことを言ってたしなめる穏やかな性格の親友というキャラ設定が共通している。相手を引っ張りまわすほうのアクの強いキャラが親友を独り占めしたくて嫉妬したり、終盤にしょうもない嘔吐ネタがあったりするあたりもよく似ているし、「それ、この2人にここで使うか?」みたいにミョーに大仰でノリのいい音楽の使い方も共通していると思う。

 ただ、明らかに『スーパーバッド』と違うのは、モリーは人気のないオタクキャラという設定だったセスと違って、友達は少ないかもしれないが生徒会長で一応人望はあるらしく、どっちかというと一目置かれてはいるが敬遠され気味な優等生だということだ。作中ではエイミーが学校でエネルギッシュなモリーのサイドキック扱いされることに抵抗感を示すところがあり、たぶんモリーは高校では頼りがいのある濃いキャラとしては認められていると思われる。そして親友エイミーはオープンリーレズビアンである。このへんは同じくジョナ・ヒル主演作である『21ジャンプストリート』あたりの感覚に似てる…というか、『21ジャンプストリート』では、昔に比べて高校における生徒の力関係というのは変化していて、ジョック至上主義からもうちょっと多様な生徒が人気を博す感じになっているということが描かれていた(『グリー』みたいなドラマがウケる時代だということが作中で言及されていた)。『Love, サイモン』なんかでも、このへんの生徒の人気とか人望の集まり方が多様化していることが描かれていたので、これは最近のアメリカのハイスクール映画のトレンドなんだろうなーと思う。

 話としては大変下品でメチャクチャなよくあるアメリカの高校コメディなのだが、こういうふうに今までのティーン映画をよく消化し、それまでだと男子文化ノリで押し通すだけになりがちだった高校生のバカ騒ぎを女性視点で描くようにしているということで、おバカな映画だがとても成熟した作品である。個人的に大変面白かったのは、オープンリーゲイのクラスメイトであるジョージがカラオケでアラニス・モリセットの"You Oughta Know"を歌うところで、ここはジョージの顔芸から見ているエイミーたちの反応まで、笑える一方でちょっとした表情とか接触を通して高校生同士の人間関係や性的な緊張感を的確に描いており、短いが実に考え抜かれた場面だと思う。ちなみに"You Oughta Know"はアラニスがまだ20歳にならないくらいの時期に『フルハウス』のデイヴ・クーリエと付き合ってた時期のことについて書いたという伝説(アラニス自身は正確なことを言っていないので真偽は定かでは無いが、ファンの間ではもっぱらそういう噂である)がある曲で、ティーンの恋愛のフラストレーションをそのまんま表現したような作品だ。

 ただ、個人的には2カ所、けっこう見ていて居心地が悪いなーと思うところがあった。ひとつめはエイミーが1年のギャップイヤーをとってボツワナにタンポンを作る仕事をしに行くとかいう展開で、なんかこのへんはちょっと「恵まれた白人ミドルクラス家庭のお遊び」っぽい感じがして、気楽なもんだな…と思って見てしまった。さらに居心地が悪かったのはファイン先生(ジェシカ・ウィリアムズ)まわりの展開である。たぶんこの映画で一番痛々しいキャラはファイン先生だろうと思うのだが(この映画に出てくる高校教員はみんな大人になりきれていないキャラなのだが)、ファイン先生が教え子であるテオ(エドゥアルド・フランコ)に誘惑されておそらく関係したことをほのめかす展開がある。ファイン先生がパーティでテオが20歳以上だということを確認する場面があり(テオは何度も留年している)、ファイン先生はたぶん20代半ばだろうし、まあほぼ卒業してるから…という正当化は一応、物語の中でなされているのだが、教員としては見ていてかなり気持ち悪いし痛々しい展開だと思った。

タイトルから想像するよりもしっかりスリラー映画~『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』

 『赤い闇 スターリンの冷たい大地で』を見てきた。アグニェシュカ・ホランド監督の新作である。

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 主人公はウェールズ人のジャーナリストでロイド・ジョージの顧問だったガレス・ジョーンズ(ジェームズ・ノートン)である。ガレスはスターリンの資金源を調べるためソ連にわたり、ウクライナで飢饉が発生していることを突き止める。ところが、スターリンの後ろ暗いところを突くこの情報は握りつぶされそうになり…というお話で、一種のジャーナリズムサスペンスである。

 たぶん日本語タイトルは悪いのだと思うのだが、このタイトルから想像するよりもだいぶ潜入スリラーみたいな話である。序盤はけっこうたるいのだが、中盤からホランド監督らしく、せっぱつまった人たちの心境や行動をわりとグロテスクに描写するところが増え、かなりスリリングになる。終盤は正しい報道の重要さをあまり説教臭くならずに強調する展開だ。

 ガレスはだいぶ脚色があるらしいが、実在の人物である。ガレスとジョージ・オーウェルが会っていたというのは事実ではなく、オーウェルが『動物農場』を書くにあたって直接ガレスに触発されたというような描写も脚色らしい。オーウェルとガレスのつながりは間接的なもので、オーウェルが『1984』などを書く時に資料にしたユージーン・ライオンズのAssignment in Utopiaという本があり、このAssignment in Utopiaがガレスの仕事を参照しているそうだ。また、オーウェルはガレスを攻撃したデュランティの仕事についてもよく知っていたらしい。このあたりの間接的な影響関係をふくらませることで、地道な調査の積み重ねが世界文学に貢献したということを示したいのだろうと思った。

 この作品は最初からガレスがウェールズ人だということを強調しているのだが、終盤になってかなりこのアイデンティティが効いてくる。ガレスが調査に向かったウクライナというのはかつてガレスの母が英語教師として働いていたところであり、ガレスにとっては自分のアイデンティティとつながりのある場所だ。ガレスは終盤、失意のうちに故郷のウェールズに戻るのだが、おそらくこの映画ではウェールズウクライナがふたつの帝国(イギリスとソ連)においてないがしろにされる場所、帝国の辺境としてつながっており、だからこそガレスがウクライナの人たちのために正しい事実を報道しようとするのだろうと思う。

『ユリイカ』の「女オタクの現在」特集に『スター・ウォーズ』の記事がのりました

 『ユリイカ』の「女オタクの現在」特集に『スター・ウォーズ』の記事がのりました。エピ9はどれほどダメな作品かとか、私の年末年始がエピ9のせいでどれほど惨めになったかとか、SFのファンにはなぜか女がいないことになってる(でも実はいる)とか、そういうことをいろいろ書いております。書誌情報は以下の通りです。

北村紗衣「私たちは帝国だったんだけど、とはいえ私はストームトルーパーにすらなれないかもしれない――『スター・ウォーズ』とファンガール」『ユリイカ』2020年9月号、52.11 (no. 763):222-229。

 

 

木に化けるところがよいが、映像クオリティは…ブラックフライアーズ劇場『十二夜』(配信)

 ブラックフライアーズ劇場がMarquee TVで有料配信している『十二夜』を見た。ダン・ハッセ演出で、客席はソーシャルディスタンシングし、有料配信もするというやり方で劇場を再開した公演である。こちらも新型コロナウイルス対策だと思うのだが、90分くらいに刈り込んで休憩もないスピーディな上演になっている。シンプルなセットで、ブラックフライアーズ劇場特有のステージ上の客席はなくなっており、これも感染症対策だと思われる。

 

americanshakespearecenter.com

 笑うところはたくさんあり、とくにマルヴォーリオ(マイケル・マノッキオ)が手紙を読むところはとても可笑しい。サー・トウビー(ジョン・ハレル)たちが、庭で植物の蔓を這わせるため円錐の上をカットしてスカートのフープみたいな形にした支柱に隠れ、バラの花なんかをかぶって木のフリをするところは視覚だけで笑える(この支柱は後でマルヴォーリオいじめのところでもマルヴォーリオの檻として使われる)。マルヴォーリオがわりと若くてハンサムなのだがとても不機嫌そうで、もともと自分のそこそこカッコいい容姿を過信している勘違い野郎みたいに作ってあるのも良い。この若々しいマルヴォーリオが欺された後、調子にのって18世紀のマカロニみたいな格好で出てくるところは本当にものすごく伊達男ぶっており、ある意味で板についているところが余計おかしい。

 ただ、こういう脇筋に比べると少し本筋は見劣りするかなーと思った。ヴァイオラとセバスチャンについてはコイントスで毎日とっかえひっかえミア・ワーガフトとゾーイ・スピアズが演じるという方式なのだが、この配信された上演はワーガフトがヴァイオラ、スピアズがセバスチャンである。ワーガフトは『イモジェン』でヒロインをつとめていた女優さんで、悪くは無いのだがちょっと喜劇にしては真面目すぎ、シザーリオになった時のふざけた生意気さが薄いような印象を受けた。去年見たスピアズのクレオパトラ役が大変素晴らしかったので、正直ヴァイオラがスピアズ役のを見てみたかった気もする。たぶんブランドン・カーターのオーシーノとお似合いだったのではと思う。

 なお、Marquee TVになっても映像のクオリティはかなり悪い。最初と途中におそらくトラブルで全く音が入らなくなるところがあるし、たまに映像が乱れたり、音と口があってなかったりするところがある。全体的に画質もあんまり良くは無く、とくに引きで撮るところがボケ気味だと思う。これは本当になんとかしてほしい。