プロジェクションを多用した舞台~メトロポリタンオペラ『ルル』(配信)

 メトロポリタンオペラでの配信で『ルル』を見た。ウィリアム・ケントリッジ演出で、2015年に上演されたものである。

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  以前に配信で見たケントリッジの『魔笛』同様、とにかくプロジェクションを多用した美術がすごい。いろんな活字とかスローガン、ロールシャッハテストやらなんやらが背景にコラージュみたいに飛び交っており、舞台となっている時代の不安定さを印象づける美術だ。たぶんこれはヒロインであるルル(マルリス・ペーターゼン)が移り変わる時代や人々の心に翻弄される存在であることを示唆している。全体的にかなりルルが可哀想な女性に見えるというか、時代の犠牲者のように描かれていると思った。

 ただ、これは完全に好みの問題なのだが、私はどうもアルバン・ベルクの音楽がかなり苦手らしい。全体的に、とてもかっちりしているのに不穏な感じがして非常に疲れる。とくに、わざとものが割れるみたいな音色で挿入されるピアノの音がどうも居心地が悪い。正直、これならストレートプレイのほうが好きだなと思った。

早すぎる「中年の危機」…『マティアス&マキシム』(試写、ネタバレ注意)

 グザヴィエ・ドランの新作『マティアス&マキシム』をオンライン試写で見た。

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 数日中にオーストラリアに旅立つことになっているマキシム(グザヴィエ・ドラン)は長年の友人であるマティアス(ガブリエル・ダルメイダ・フレイタス)を含めた数人で田舎の別荘に行く。そこでひょんなことから別荘を持っているリヴェット(ピア=リュック・フランク)の妹であるエリカ(カミーユ・フェルトン)の自主映画に出演することになるが、そこで2人がキスする場面があり、そのせいで2人の関係に変化が生じる。一方、マキシムは病気の母親との関係が最悪で…

 全体的に、母親との関係とかややこしい恋愛、ある種の解放とトラブルをもたらすものとしての山荘での休暇、人間関係が露わになる場所としてのパーティなど、ドラン的なモチーフをたくさん含んでいる。作風としては前の前の作品である『たかが世界の終わり』や前作『ジョン・F・ドノヴァンの死と生』にかなり似ており、いろんなものを曖昧にしたままゆっくり話が進むのだが、描写の積み重ね方は以前の作品に比べてけっこうこなれていると思う。そもそもテーマが子どもの頃から友人だった2人の関係の変化で、ある意味ではまだ自分たちは中年だと思っていなかった男たちが早すぎる中年の危機に直面する作品であり、成熟がテーマだと言ってよいかもしれない。また、ドランの作品としては労働とか生活基盤の構築が大きなテーマになっており、マキシムは推薦状が必要で困っているし、マティアスが仕事で接待をする様子がけっこう長い時間を使って描かれている。介護やら仕事やら移住やらで恋愛どころではないはずなのに、さらに恋愛絡みの人間関係にも直面せねばならなくなるというシビアな大人の映画である。

 そういうわけで大人の生活を多角的に描いた成熟した映画だとは思うのだが、面白いかというとちょっとわからない…というか、マキシムの移住というタイムリミットがあるのにわりと進み方がゆっくりで、テンポ感があまりなく、ちょっとエピソードごとの時間配分に難があるような気がする。終盤はだいぶよくなるのだが、とくに中盤あたり、もうちょっとスピーディな編集と展開で見せたほうがよいような気がする。ドランがパーティとか家族の集まりを撮るのが得意なのはわかるのだが、ちょっと手癖で得意分野にこだわりすぎじゃないかと思うところもあった。

 あと、全体的に内面化されたホモフォビアや男らしさへのこだわりに対する批判を含んだ作品ではあるのだが、こういう作品にしては女性であるエリカの描き方があまりにも薄っぺらいように思った。女性陣については、困った母親というのはドランの作品に必ず出てくるテーマなのでそれはいいし、マキシムのおばさんとかはわりといいキャラだと思うのだが、エリカが絵に描いたようなダメなアーティスト志望の若い女性で、ロクに説明もせず刺激的な内容の自主映画にマティアスとマキシムを出そうとしたり、意味のよくわからないコンセプト説明で2人を煙に巻いたりするあたり、あまりにも才能がなさそうで型にはまりすぎていると思った。

 

映画における音の重要性をわかりやすく説明したドキュメンタリー~『ようこそ映画音響の世界へ』

 『ようこそ映画音響の世界へ』を見た。映画における音響の重要性に関するドキュメンタリー映画である。

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 トーキーになったばかりの時期から最近まで、映画の音響技術の発達を大変わかりやすく描いたもので、音響がどんなに映画に大切かということがよく理解できるようになっている。映画の音はだいたい何カテゴリに分けてどういう順番で作るとかいうような実践的なことも解説している。『スター誕生』を撮った時にバーブラ・ストライサンドがドルビーステレオにこだわっていたこととか(『スター・ウォーズ』より前に『スター誕生』がやっていたらしい)、後で足音などを別のアーティストが入れるフォーリーサウンド(Foley)という方式はジャック・ドノヴァン・フォーリーという人の名前から来ているとか、いろいろ面白い話がたくさん出てくる。女性の音響技術者が監督していることもあってジェンダーの観点もあり、大変行き届いた作品だ。

感情をため込んでしまう男たちへの救い~『幸せへのまわり道』

 マリエル・ヘラー監督『幸せへのまわり道』を見てきた。ひどくセンスのない日本語タイトルだが、原題はA Beautiful Day in the Neighborhoodで、アメリカの有名な教育番組司会者フレッド・ロジャースの事績に取材した作品である。

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 主人公はフレッド・ロジャース(トム・ハンクス)ではなく、フレッドを取材することになったジャーナリストのロイド(マシュー・リス)である。『エスクァイア』で働くロイドは優秀な記者だが人間関係に問題を抱えており、とくに病気の母親を置いて出て行った父親ジェリー(クリス・クーパー)との関係は最悪だし、出産したばかりの妻アンドレア(スーザン・ケレチ・ワトソン)ともイマイチすれ違っているところがある。調査報道専門のロイドはボスに言われて渋々フレッドのところに取材に行くが、そこで穏やかで独特の雰囲気を持っているフレッドに興味を抱くようになる。

 とにかくフレッドの雰囲気が超独特で、ふつうなら他人に嫌がられそうなことをなぜかあまり失礼にならない感じで聞いてきて、話の過程で相手の心を癒やしたり、人生のヒントを提供したりしてくれる不思議な人物として描かれている。もともとは牧師だったらしいのだが、カウンセリングの才能があり、自分の感情を露わにしたがらないロイドにいろんなことを聞いて、最初はひどく抵抗したロイドがだんだんフレッドと話したいと思うようになる。新約聖書に出てくるイエスを穏やかにしたような人柄なのだが(新約聖書のイエスは会った人に対してやたらと奇跡を起こして精神的に解放してあげるのが得意なのだが、一方でたまにキレて神殿を破壊したりするのであまり丸い人柄ではない)、一方で最後にピアノを弾くくだりなどではフレッドも人間だということがわかるようになっている。

 この作品でポイントになるのは、ロイドが自分の感情と向き合いたがらない、いわゆる「男は黙って」タイプであるということだ。この映画は男性ジェンダー問題を描いたものであり、ロイドはおそらく男性というのはあまり感情を露わにして泣いたり、トラブルを人に打ち明けたりしないものだという禁欲的な男子文化を内面化している。そのせいでロイドはかえって感情を全く制御しきれなくなり、姉の結婚式で父親をぶん殴るとかいうとんでもない暴力行為をすることになる。女たちのほうはこの点、だいぶマシだ。ロイドの妻アンドレアは最後でわかるように実は積極的にフレッドに相談をしていたらしいし、夫と父との和解にも協力的だ。ロイドの姉ロレイン(タミー・ブランチャード)も父と和解しようと努力しているし、ジェリーの現在のガールフレンドであるドロシー(ウェンディ・マッケナ)も開けた人である。ところが男であるロイドはさっぱり自分の感情に対処できていないし、父のジェリーもロイドよりは多少自分に向き合っているがそれでも秘密主義的で、ドロシーにごく最近まで疎遠になった息子と娘がいることを打ち明けていなかったらしい。この映画では、秘密とか感情への対処について男女でかなりの違いがあり、男子文化的な感情対処法が人生の問題を余計悪化させることとして描かれている。ドロシーが「ジェリーには子どものことをもっと早く話してほしかった」とロイドに語っているのはとても重要で、本来であればロイドやジェリーはもっと早くからいろんな人に抱えていることがらを打ち明けて、フラストレーションをため込まないようにすべきだったである。

 こう考えると、初対面の人にでもけっこう突っ込んだことを聞いてしまい、一方でなぜかそれがそこまで不愉快に感じられないフレッドのカウンセリング技術というのは必要な救いであり、とても優れているということがわかる。ロイドのような人にはなんとかして感情を打ち明けさせることが必要なのだが、たいていの人は相手をそちらに誘導する技術がないので突っ込んだ質問なんかできないし、もしそういうことを聞いたら失礼だと思われて絶交されるだけだ。ところがフレッドは長年の経験のおかげで(またおそらくは自分にもそういうところが昔あったのを自覚しているせいで)、こういうため込みやすい男たちの心に切り込む技術に非常に長けている。今まではイラついてばかりだったロイドがフレッドとごはんを食べながら涙を流してしまう場面は、ロイドがフレッドに導かれて自分の感情と向き合えるようになったことを示す重要な描写だ。この映画は男性も自分の感情を露わにしていいし、それが必要なんだということを巧みに描いている。

 こういう非常にストレートに感情の問題に切り込んでいく作品である一方、構成はけっこう凝っているというか、やや実験的なところがある。フレッドがやっている番組のセットとなるミニチュアの街と現実が交錯し、ロイドの解放までの過程がまるでフレッドの番組みたいな構成で描かれているのである。これはおそらく、フレッドがやっている番組というのは、フレッドがふだんから出会った人々に対してやっている相手の心を解放するプロセスの一部なのだということを示していると思う。番組が音楽を組み込んだ教育番組であるため、映画全体もちょっとセミミュージカル風な作りになっており、フレッドだけではなくジェリーも歌う。クリス・クーパーがけっこう歌がうまくて、ジェリーが歌うところはなかなか良かった。

大変良い上演だが、相変わらず映像が…ブラックフライアーズ劇場『オセロー』(配信)

 ブラックフライアーズ劇場、イーサン・マクスウィーニー演出『オセロー』を見た。有料配信で、数日前に上演されたものである。

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 ルネサンス風の衣装にシンプルなセットを使った正攻法のビジュアルだが、この上演の特徴はキャスティングである。オセロー役は女優のジェシカ・D・ウィリアムズで、このオセローはものすごくカッコいいのだが、女優が演じているということで男らしさをめぐる芝居であるこの作品の特質がよく出ている。女優が男らしさの鑑であるオセローを実に「男らしく」演じることで、男らしさというものが文化的に作られたものであり、ある意味では現実から乖離した理想にこの芝居の登場人物が振り回されているということが見えてくるようになっている。

 さらにこのプロダクションは非白人のキャストが非常に多く、オセローどころかキャシオーも黒人男性のブランドン・カーターが演じているし、エミリア(コンスタンス・スウェイン)もビアンカ(サラ・スズキ)も非白人である。キャシオーが黒人男性だというのはこの芝居の中では大きく、イアーゴーの人種差別的な怖れが際立つ一方、オセローがキャシオーに寄せる嫉妬心は内面化された人種差別の直接の表出というよりは、同じく白人社会で成功しているキャシオーに対する対抗心や、なんともいえない自分の中の不安に起因するものとして描かれるようになっている。劇評でも、オセローの嫉妬心は肌の色よりも心に起因するものだと書かれているが、ジェームズ・マカヴォイ主演の『シラノ・ド・ベルジュラック』といい、最近はそういうふうに男性の不安を焦点化するような演出が流行りなのかもしれない。

 役者陣は全員素晴らしく、オセローはもちろん、颯爽としたキャシオー、若くて友達みたいなエミリア、面白くてカリスマのあるイアーゴー(ジョン・ハレル)、真面目なデズデモーナ(ミア・ワーグラフト)、とにかく笑えるロドリーゴ(ゾーイ・スピアズ)など、アンサンブルがとてもよく効いている。

 ただ、相変わらず映像のクオリティは大変よろしくない。引きで撮った時の画質が悪いし、音もイマイチである。これは本当になんとかしてほしいものだ。

ロンドン・バーレスク・フェスティバル(配信)

 ロンドン・バーレスク・フェスティバルを配信で見た。60本くらいの短い演目の映像を期間限定アーカイヴ方式で有料提供するものである。

 ライヴストリーミングではなくアーカイヴ方式なのは良いのだが、かなりたくさん演目があってカテゴリ分けがないのはあまりよろしくないかもしれない。厳密に言うとバーレスクではないショー(歌とかメイク動画とか)もけっこうあり、カテゴリでどういう傾向のショーなのかわかるようにして欲しいと思った。演目には一部バーレスク・ホール・オブ・フェイムとかぶっているものもある。

 自宅で撮った演目が多く、新型コロナウイルス流行によるロックダウンがネタのものもある。ニューヨークのエリー・シュタイングレーバーが出している、ビリー・アイドルの"Dancing with Myself"(これ、ロックダウン中にみんなよく聴いていた曲でもちろんバーレスクでも人気らしい)にあわせて小道具を使いながらひとりパーティをする演目とか、イタリアのスパイシー・シャルマンテが出しているロックダウン中に料理をするというコンセプトのショーとか、このあたりはとても世相を反映している感じだ。一方でクラブや劇場で披露した演目を撮ったものもあるし、人が少なくなったせいなのか庭とか戸外で撮ったものもけっこうある。ライヴだとできない編集や特殊効果を駆使しているものもあり、日本の椿舞子のショーなんかはかなりいろんな効果を使っている。

 ひとつ思ったのは、iPhoneバーレスクを撮るのはやめたほうがいいということだ。バーレスクはやっぱりクラブなどでわーわー言いながら騒いで見るのが醍醐味だと思うのだが、iPhoneサイズだとなんかパフォーマーが自分のために脱いでくれているみたいでやけにプライベートで淫靡な感じになり、あんまり居心地が良くないし、盛り上がりに欠ける。あと、中にはけっこう撮影クオリティがよろしくないものもあったのと、それからクラブや劇場じゃないところで撮るならできるだけ明るいところで撮ってほしいと思った。雰囲気を出したいのだと思うのが、薄暗い家の中とかで撮ると単純に見づらい。

Virtual Burlesque Hall of Fame 2020: Bring It Home(配信)

 ラスベガスのバーレスク・ホール・オブ・フェイムウィークエンドが今年はオンラインになったのだが、時差があってストリーミングだけなのでなかなか見られなかった…ものの、最終週だけは見なければと思っていたので、早起きして"Week 5: Bring It Home"を見た。家でショーをやることがテーマの映像集である。

bhofweekend.com

 けっこう編集や特殊効果的なものを使ったショーが多い。とくに良かったのは、ヴィクセン・デヴィルのブタの母子がロックダウンで食べ物がなくなって自分を食べ始めるというえらいブラックなやつ(これはキッチンなど自宅の設備を上手に使っている)と、エデン・ベルリンの特殊効果を用いて白鳥のシルエットとやりとりするというちょっとリリ・セイント=シア風なショーである。ただ、映像を使っているせいで舞台よりも効果があがっていないものもある。火を使う演目とかはわりと火の動きが撮りづらかったりして、撮影が難しいと思った。