子どもは大人と対等なひとりの人間だが、それでも子どもだ~『カモン カモン』(ネタバレ)

 マイク・ミルズ監督の新作『カモン カモン』を見た。

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 主人公のジョニー(ホアキン・フェニックス)はラジオの仕事をしており、アメリカ各地の子どもたちに会って未来についての質問をするというプロジェクトを行っている。ジョニーの妹ヴィヴ(ギャビー・ホフマン)は元夫ポール(スクート・マクネイリー)が心の病気になってその世話に行かねばならなくなり、ジョニーは妹の息子ジェシー(ウディ・ノーマン)を預かることになる。ポールの具合が悪く、ジョニーがジェシーの面倒をみる期間が長くなるうち、2人の関係はいろいろ問題も生じつつ深まっていく。

 ひとり暮らしの男が子どもの世話をすることになって…みたいな映画はけっこうあるが、この映画はわざとらしい感動を排して、子どもは大人と対等なひとりの人間であるが、それでも子どもなのだ、というけっこう難しい内容をかなり多層的なやり方でちゃんと描こうとしている。全体としては子どもに対してはきちんと話を聞いて、相手の人格を尊重して扱わなければならない、ということをジェシーの振るまいとそれに対するジョニーやヴィヴの行動を通して描いているのだが、一方でジェシーはまだ小さな子どもであるために保護とか助け、ガイダンスが必要なのだということも示している。ここで大事になってくるのがジェシーの父ポールの話で、ヴィヴがポールの面倒をみにいくのは、ポールが子どものジェシー以上に保護を必要としているからだ。つまりポールもジェシーもひとりの人間として扱われるべきなのだが、一方で支援も必要としている(そして実はヴィヴもジョニーも支援は必要だ)。子どもである、とか病気になった、というようなフェーズはどんな人間の人生にも発生しうるもので、そのフェーズでは誰でも相当な支援が必要なのだが、一方で病気だからだとか子どもだからとかいうことで対等な扱いを受けられなくなったり、不必要に保護者ぶった態度を他人からとられたりするようなこともあってはならない。こういうことは観念的にはわかるのだがなかなか人生ではうまくやれないことが多く、それをこの映画はジョニーの葛藤を通してきちんと描こうとしている。

 そこで大事なのが、最後にジョニーが、ジェシーはポールより先を行っていると指摘するところだ。ポールは感情を吐き出すのが苦手だったらしく、そのせいで結婚が破綻したり、病気になったりした。ジェシーもまだ子どもでなかなか自分の感情を吐き出したり、弱さを認めて素直になったりすることが苦手なのだが、ジョニーは別にそういうことをしても良いのだし、むしろそうすることが大人への第一歩なのだということを伝えようとしている。よく、「悪しき男子文化」のひとつの現れとして、男性は強そうに見せることが社会的に重視されるので自分の不安に向き合うのが苦手で、それがさまざまな健康問題の引き金になるとかいう話があるが、そういう意味ではこの最後はジョニーがジェシーに対して悪しき男子文化に染まりすぎて人生のトラブルを抱えないよう、大人としてアドバイスをしているという場面である。これも頭ではわかっていてもなかなか映画できちんと描こうとすると難しいところだと思うのだが、この映画はそれをきちんとした脚本と綺麗なモノクロ映像、さらにフェニックスとノーマンの演技でしっかり見せている。

 なお、大変細かいことだが、この映画で唯一ちょっと気になったのは、ジョニーが最後のほうで、土曜の朝からジェシーがオペラを大音量でかけていた、というようなことを話す場面だ。これは最初のほうの場面に呼応しているのだが、ここでジェシーがかけているのはオペラではなくレクイエムである。ジェシーとジョニーはかなり音楽の趣味が違いそうなのだが、だんだん2人が近づいていったという設定なんだから、ここでジョニーには間違わないで欲しかった。

ティーンエイジャーの恋~東京文化会館『ロミオとジュリエット』

 東京文化会館東京バレエ団ロミオとジュリエット』を見てきた。東京バレエ団としてはジョン・クランコが振り付けたものの初演だそうである。このバージョンはたぶん初めて見た。

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 二層になった豪華なステージが特徴で、とくにパーティの場面やジュリエット(秋山瑛)の寝室の場面では後ろのアーチが効果的に使われている。ロミオ(池本祥真)とジュリエットが目覚めるところでは、追放が気になって眠りが浅いのか、先に目覚めてしまったロミオがアーチにかかっているカーテンを開けて外の光を入れようとする描写があり、このあたりはとてもうまい使い方だ。衣装も全体的に豪華である。

 振付の特徴なのか、ダンサーの解釈なのかはちょっとよくわからなかったのだが(たぶん前者かも)、このプロダクションではロミオもジュリエットもかなり幼いティーンエイジャーだと感じた。ロミオは恋に浮かれてキャハキャハ飛び回ったりちょこまか動いたり、落ち着きの無い青年だ。ジュリエットも不安そうにしていたかと思ったらくるりと恋に浮かれた表情や動きに変わったりする。2人とも無垢で気分の安定しない十代の若者で、ロミオがジュリエットをバルコニーから下ろしてあげて一緒に踊るところはとても微笑ましく、可愛らしい。マキューシオ(生方隆之介)もひょうきんだがわりと子どもっぽい若者だという印象を受けた。

 一方で第二幕の殺陣がけっこう激しく、無垢で子どもっぽいぶん、激高して感情が抑えられなくなっている若者たちの心情がよく出ていると思った。ティボルト(鳥海創)とマキューシオが戦うところでは周りの若者たちがけっこうこの2人に近づいており、非常に危険なケンカをしているという印象を受ける。平気そうなフリをしていたかと思うといきなり亡くなってしまうマキューシオといい、無垢なものが突然断ち切られる様子をさまざまな動きで示している。ここが物語上は若者たちが無理矢理、無垢さを奪われ、決断力を持って行動することを強いられることになるターニングポイントで、それをダンスではっきり表現していると思った。

正統派のプロダクション~新国立劇場『シンデレラ』

 新国立劇場で『シンデレラ』を見た。フレデリック・アシュトン振付のもので、ウェンディ・エリス・サムスとマリン・ソワーズが監修・演出、マーティン・イェーツ指揮によるものである。

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 全体的には非常に正統派の演出で、安心して見られるが、私の好みからするとちょっとオーソドックスすぎるような気もした。衣装やセットが大変綺麗で、仙女(木村優里)がかぼちゃを投げるとキラキラしたかぼちゃの馬車に乗ったシンデレラ(小野絢子)が出てくるところは目の覚めるような華やかさである。全体的にわりと人間味のある演出で、義理のお姉さんたち(奥村康祐、小野寺雄)はコミカルでそこまで底意地の悪い感じではなく、この2人は母親にスポイルされた単なるわがままで何も考えていないアホの子ちゃんたちなのでは…という感じがした。王子(福岡雄大)とシンデレラの意気もよくあっており、舞踏会の終盤では恋心が盛り上がってくる様子が踊りからよくわかったし、一瞬でシンデレラがもとの粗末な服に戻るところもダイナミックで良かった。

 なお、私がこのバージョンの『シンデレラ』を見ていて一番よくわからないのは、途中で現れるハイパーみかんタイム(と私が呼んでいるだけなのだが)みたいなやつである。王子とシンデレラがお姉さんたちに柑橘類を分けて、お姉さんたちが取り合いをする。前にKバレエで見た時はここがちょっとオリエンタリストな感じであまり面白いと思わず、それに比べるとこのプロダクションはお間抜けでわりと食い意地も張っているのかもしれないお姉さんたちが取り合いをするのを強調していて見やすかった。ただ、ここで出てくる柑橘類がどういう意味なのか、私はまだあんまり理解していない…

熟練の芸と若手のギャップが…カクシンハン・プロデュース実験公演・若手育成公演『ハムレット』

 シアター風姿花伝でカクシンハン・プロデュース実験公演・若手育成公演『ハムレット』を見てきた。キャストが複数バージョンあるのだが、私が見たのは4月29日の昼の公演である。これは通常の半分くらいの稽古日程で若手中心にシェイクスピア劇を作るというシリーズのひとつである。

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 相変わらずパイプ椅子が活躍するシンプルな舞台である。何もないところの三方にパイプ椅子が置かれ、台詞のないキャストもずっとそこに座っている。劇中劇が義太夫なのだが、その時は台や座布団などが運び込まれて使われる。

 女優が演じるハムレット(有田あん)は良いし、若手も頑張ってはいて、最後まで楽しめるエネルギッシュな舞台ではある。2時間15分に刈り込んでいるが、だいたいカットに問題もなく、スピーディだ。しかしながら能の装束を着けて入ってくる先王の亡霊(山井綱雄)や、劇中劇を義太夫で演じる旅役者たち(竹本越京・鶴澤寛也)の落ち着きに満ちた円熟した芸に比べると、やはり未熟なところがある若手の演技はちょっと分が悪く、場をさらわれてしまっているように見えた。また、オフィーリア(大野明香音)は元新体操選手の方がやっているそうなのだが、オフィーリアだけ体の動きが違いすぎて、むしろ他とあっていないように見える。こういう芝居がかかっていてかつなめらかな動きをオフィーリアがするなら、お父さんのポローニアス(岩崎MARK雄大)が芝居好きでそういう父娘だということを強調したほうがいいのではと思うのだが、そのへんの台詞はけっこうカットされてしまっているので、ちょっとオフィーリアが浮いているように見えた。

笑えるところの多い上演~キエフ・バレエ『シンデレラ』

 キエフ・バレエ『シンデレラ』を配信で見た。2018年12月27日の上演の映像である。

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 わりとスピーディでコミカルで、笑うところも多い演出である。衣装はけっこう綺麗で、シンデレラ(アンナ・ムロムツェワ)は家政婦扱いされている時から地味とはいえけっこう可愛い服を着ている。アクの強いお姉さんたちマルガリータ・アリヤナフ、エリザベータ・ゴギーゼ)は意地悪な継母(オクサーナ・グリャーエワ)と一緒になって、派手な服でいろいろ笑わせてくれる。ただ、王子(デニス・ニェダク)がかぶっているちっちゃい冠はちょっと変だと思った。第3幕の冒頭で王子がいろいろな国の女性にガラスの靴を試してみるというところは見たことのない演出だったが、正直こういうオリエンタリズムっぽい脱線は要るのかな…と思った。

王道をアップデートしたロマコメ、ただし不足はあり~『マリー・ミー』(ネタバレあり)

 『マリー・ミー』を見てきた。

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 大スターのキャット(ジェニファー・ロペス)は婚約者バスティアン(マルーマ)とコンサート中に結婚することになっており、"Marry Me"という歌もリリースしていたが、ステージで結婚する直前にバスティアンの浮気動画がネットに流れる。ショックを受けたキャットは突然、観客席にいたチャーリー(オーウェン・ウィルソン)を選んで求婚する。チャーリーはたまたま友人のパーカー(サラ・シルヴァーマン)に誘われて娘のルー(クロエ・コールマン)とコンサートに来ており、パーカーの"Marry Me"というサインを持っていたのでキャットの目についたのだった。衝動で行った結婚式ごっこだったはずが、キャットの意向でしばらく2人は一緒に過ごしてみることにする。だんだん親しくなっていく2人だったが…

 最近ではほとんど作られなくなってしまった華やかなロマンティックコメディで、『或る夜の出来事』(ワイルドなヒロインがふさわしくない相手と結婚しそうになるが、ひょんなことからお似合いの相手に出会う)とか、『ノッティングヒルの恋人』(一般庶民の男性が女性スターに出会う)を彷彿とさせる正統派だが、いろいろなところにアップデートがあり、白人中心的、結婚中心的、性差別的と言われるロマコメの型をあの手この手で新しくしようとしている。キャットを演じるロペスとチャーリーを演じるウィルソンは年齢もだいたい同じで離婚経験のある中年男女という役柄であり、息もぴったりだ。ヒロインであるスターのキャットはラティンクスで、婚約者のバスティアンとはスペイン語でしゃべることもあるし、キャットがチャーリーと一緒にいるとバスティアンは白人と結婚するのかと詰め寄ってくる。結婚式が失敗して衝動的に別の相手と結婚…というところから始まり、最後はまた結婚をやり直すということで、典型的な「再婚喜劇」である一方、伝統的な形の結婚をとらえなおそうとしているところもある。キャットとチャーリーが行う最初の記者会見で、チャーリーはもともと結婚というのは取引であって全然ロマンティックなもんじゃなかったのだと言い、一方でキャットは女性から求婚し、女性が名前を変えないというような結びつきだってありじゃないかというようなことを言っており、離婚経験者である2人の結婚観が似ていることが示される一方、"Marry Me"の歌詞にはおそらくバスティアンが書いたっぽい妻を自分の苗字にしたいという歌詞があり、バスティアンの結婚観はキャットとだいぶ違っていてヒロインにふさわしくない相手であるのがわかるようになっている。最後が結婚で終わるというのはまあ伝統的ではあるのだが、これまで離婚のせいで臆病になっていたチャーリーと、婚約者の浮気でショックを受けていたキャットの両方が立ち直って結ばれるまでが細やかかつ楽しく描かれている。可愛い犬も出てくるし、キャットの服はオシャレだし、ロマコメとしては大満足の作品だ。

 一方で気になったのはサラ・シルヴァーマン演じるパーカーの役柄である。パーカーはレズビアンでチャーリーの職場仲間・親友であり、キャットの大ファンで、チャーリーとキャットの恋路を全力で応援してくれる。ロマコメには昔から「ヒロインのゲイ友」というステレオタイプなキャラがいるのだが、これはたぶん私が初めて見る「ヒーローのビアン友」キャラクターである(前例があったら知りたいので教えてほしい)。「ヒロインのゲイ友」をひっくり返そうとしたのかなと思うのだが、これが完全にただ設定を逆転しただけになっており、あんまりアップデートとして効いていない。パーカーがキャットのスタッフの誰かとイイ仲になってチャーリーそっちのけで先にくっついたとかいうような展開があれば多少マシになると思うのだが、そういう展開もないので、パーカーはただただ親友チャーリーを助けてくれるだけのキャラに見える。そもそもパーカーがかなりシルヴァーマンがやりたい邦題のキャラっぽく見え、少々浮き気味な気もするので、このへんはもうちょっとキャラ設定をきちんとやってほしかった。

或る夜の出来事(字幕版)

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