おしゃれなのだが、戯曲がそもそも好みじゃないのかも…『8人の女たち』(配信)

 ロベール・トマ『8人の女たち』を配信で見た。板垣恭一演出で、サンシャイン劇場で9月3日に撮影されたものである。フランソワ・オゾンの映画版は見たことがあるのだが、舞台は初めて見た。プロダクションの特徴としては、出演者が全員、宝塚出身者の女優であるということがある。

 クリスマスに女ばかり住んでいるお屋敷で唯一の男性マルセルが突然、刺殺体で見つかったことをきっかけに、タイトルどおり8人の女たちが犯人捜しで右往左往するというお話である。構成じたいは古典的なお屋敷ミステリで、登場人物が全員女性だというのが珍しい。最後のほうはちゃんと謎解きもある。

 本棚で囲まれた知的な感じのインテリアの部屋に、赤を基調とする衣装をまとった女優陣が出てくるオシャレな舞台である。わりとみんな演技が大げさなのだが、これは設定が人工的な芝居なのでわざとやっているのだろうと思う。役者陣は皆とても頑張っていて個性的だ。

 ただ、私はこの戯曲がそもそも好みではないのかも…という気がした。舞台として見ると、なんだかけっこうミソジニー的な話に見える。映画の時もちょっとそういう要素じたいは感じたのだが、舞台で見てこれは女性同士がひとりの大きな影響力を持つ男性をめぐっていがみあうところを面白おかしく見せる、かなり女性を皮肉った作品だな…と思った。映画のほうも舞台っぽい作品ではあったのだが、なんだかんだでいろいろ撮り方で動きをつけるなど工夫していたのでそんなに強くミソジニーを感じなかったのだが、舞台でやるとひとつのセットでずっと展開するので、密室で女ばかりのキャットファイトをしているみたいな感じが強調されてしまう。その分息苦しいというか閉鎖的な印象になり、より強くミソジニーを感じたのかもしれないと思う。

 

 

文春オンラインに武田砂鉄さんとのイベントの記事が出ました

 文春オンラインに武田砂鉄さんと実施した新刊イベントの記事が出ました。また相撲のラジオ中継の話をしております。

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全体的に若々しい感じなのが良い~『ダディ・ロング・レッグズ』(配信)

 『ダディ・ロング・レッグズ』日本版の配信を見た。既に一度、英語版を配信で見たことがある。日本版は8月31日にシアタークリエで上演されたものの映像である。

 2人芝居なのになんとカメラを10台も入れて撮影したそうで、映像はかなり良い。基本的には英語版と同じような印象を受けたのだが、もう少し軽妙な感じがする。おそらく、英語版を見た時はジャーヴィスもジュディも不必要に老け作りで重厚な感じだったのだが、こちらのプロダクションは43歳のわりに年齢不詳感がある井上芳雄ジャーヴィス(この役を10年やっているそうで、若い時に演じ始めたからかもしれないがけっこう若作りだ)で、ヒゲもないし、髪型や化粧も青年紳士ふうだ。24歳の上白石萌音演じるジュディよりだいぶ実年齢が上であるわりには若くて未熟な感じなので、そのせいかもしれない。こちらのプロダクションのジャーヴィスはそれこそ若いのにチャリティ事業の責任を押しつけられてクサっている青年みたいな感じで、ジュディから手紙をもらって喜ぶ態度も子どもっぽい。たぶんジャーヴィスはこういう感じで作るのが正解なのではという気がする。

 千秋楽の挨拶で上白石萌音ジャーヴィスのハゲネタを持ってきて井上芳雄をいじったのはちょっといらないような気がしたのだが、井上芳雄が「それが悪いわけじゃないので」と拾っていたのはいいと思った。言われてみるとこの作品、ちょっと本編でもあじながおじさんがハゲているのかどうかでジョークを引っ張りすぎかもしれない。

 

スイカを持ったロレンス修道士~シアター2+1『ロミオとジュリエット』

 シアター2+1で『ロミオとジュリエット』を見てきた。なるせこお台本・演出によるものである。翻訳は河合祥一郎版に基づいているようだ。

 後ろに倒れた2本の柱がクロスしているセットで、この場所がバルコニーとしても使用されている。ロレンス修道士(本島孝美)が最初にロミオ(鳥越隆)に会うときになぜかかかごに薬草類ではなくスイカを入れているのが大変気になったのだが(スイカを使った薬膳…?)、全体的にはけっこうセリフを扱いかねている印象の芝居だった。とくに、ただでさえみんな長台詞に苦労しているのに、マキューシオ(尾﨑彰雄)の台詞には変な現代風のジョークなどが組み込まれており、余計に台詞が長たらしく聞こえた。あと、コロスみたいなのを導入してナレーション風の台詞を言わせているのだが、この演出の効果もけっこう疑問である。

妖精おじちゃま万歳~国際ギルバート・アンド・サリヴァン祭『アイオランシ』(配信)

 国際ギルバート・アンド・サリヴァン祭の配信で『アイオランシ』を見た。John Savournin演出のプロダクションで、初めて見る演目である。

 妖精アイオランシ(メリエル・カニンガム)は人間の男と結婚したかどで妖精の国を追われ、夫とは関係を断ってひとりで息子のストレフォン(マシュー・パーマー)を育てていた。25年たって妖精女王(エイミー・J・ペイン)のお許しが出、妖精の国に戻ってくるが、ストレフォンは大法官(マシュー・ケレット)の被後見人であるフィリス(エミリー・ヴァイン)との結婚を後見人に許してもらえず、悩んでいた。フィリスはストレフォンがアイオランシと一緒にいるところを見て二股をかけられたと思い(アイオランシは妖精で年を取らないので母親に見えない)、求婚者であるマウンタララット伯爵(ベン・マカティア)かトローラー伯爵(ハル・カザレット)のどっちかと結婚すると宣言する。ところがこの2人はどっちがフィリスと結婚するか全く決められない。大法官は自分がフィリスと結婚しようとするが、実は大法官はアイオランシの夫でストレフォンの父だった。これが明らかになり、アイオランシは大法官と再び結ばれようとするが、そこに妖精女王がやってきて、妖精と人間の結婚はまかりならぬと言う。ところが妖精たちは全員、貴族院議員とデキてしまっており、この法律はなし崩しで変更され、若い恋人たちは結ばれ、妖精女王も議会の衛兵ウィリス(マシュー・シヴェッター)と結婚する。

 セットや衣装はヴィクトリア朝っぽく、妖精たちはいかにもそれっぽい衣装で星のついた棒を持ち、ダンスもする。あいかわらずギルバート・アンド・サリヴァンらしいとにかくメチャクチャな話で、英国議会が辛辣に諷刺されている。貴族院は何もしないから英国が偉大なのだというような歌があったり、妖精女王がストレフォンに議会でみんなが言うことを聞く魔法の保護を与えたり、機能していない議会を皮肉るところがたくさんある。一方で妖精のお話であるせいかけっこうファンタジーっぽくなごやかなギャグもあり、ストレフォンが腰まで妖精で足だけ人間という半妖精半人だという意味不明な設定は笑える。最後に妖精女王が夫に選んだウィリスを妖精にして羽根が生えてくるところはとてもカワイイ。これからは妖精おじさんの時代だと思った(???)。

かなりダイジェストっぽい~『Richard3 i bara』(配信)

 『Richard3 i bara』を配信で見た。千賀多佳乃作・演出によるリチャード三世ものである。

 1時間40分くらいしかないのだが、前半はシェイクスピアでいうと『ヘンリー六世』のあたりも盛り込んでいて、正直、この長さだとかなりダイジェストっぽい。リチャードを女優(秋宮はるか)が演じていたりして『薔薇王の葬列』の影響をものすごく受けているように見えるのだが、3時間あった『薔薇王の葬列』でもちょっとダイジェストっぽかったのにこの尺ではけっこう無理だろう…と思うし、さらにそんなら『薔薇王の葬列』舞台版を見たほうがいいのではと思った。 

 また、音声のバランスがわりといろいろな面で問題である。配信のコピーライトストライクのせいで途中で音声がなくなるというのはともかく、全体的に録音のバランスは良くなく、役者の台詞が大きく聞こえるところとあまり聞こえないところの差が激しい。コピーライトストライクがないところでも、音楽にセリフが重なるところはわりと聞きづらい。また、やたらと叫んだりするところがあるのもいかにも日本の小さい劇場の芝居っぽくてあまり好きになれなかった。それから途中のダンスは要るのかな…と思った。

シェイクスピアと自分の人生をまじえたひとり芝居~Willy's Lil Virgin Queen(配信)

 エディンバラフリンジの配信でWilly's Lil Virgin Queenを見た。Terra Taylor Knudsonによるひとり芝居で、演者のシェイクスピアとのかかわりに自分の人生のいろいろな経験を重ねるというものである。『ウィンザーの陽気な女房たち』、『リチャード三世』、『ハムレット』などをはじめとしていろいろなシェイクスピア劇の台詞が登場し、そこに演者の人生も重なってくる。シェイクスピアの生涯や近世イングランドの歴史についての知識を面白おかしく披露するところとかもあり、なかなか楽しいモノローグだ。