マシュー・ボーン『白鳥の湖』はキャンプではない

 今日は、すっかりバラマーケットにはまってしまった母がまたバラに行ってみやげを買いたいというので、またバラに連れて行ってターキッシュ・ディライトやパウンドケーキなどを購入。その後、コヴェントガーデンを散策した。

 コヴェントガーデンにいたトナカイさん。
 


 …で、母親が是非一度ロンドンで着物を着て観劇に行きたいというので、夜は私の趣味でサドラーズ・ウェルズ劇場にマシュー・ボーンの『白鳥の湖』を見に連れて行った。うちの母は全く英語ができんのでストレートプレイはダメだから、連れて行くならバレエかオペラかミュージカルでないといけない。で、以前から母は『鷺娘』とかを見たがっていたので、鷺は無理でも男の白鳥なら楽しめるだろうと思ったのである。予約した時には既にほとんどチケットが売れちゃってて10ポンドの見づらい席しか残ってなかったのだが、二人で着物を着て出かけた。


 私は前回マシュー・ボーンの『白鳥の湖』が来日した時に父と見に行っていたのだが、イギリスで見るとまた違った感じだった。あと、二度目に見ると話がかなりよくわかっているので、何がなんだかわかんないまま圧倒されて終わっちゃった前回よりもずっと楽しめた気がする。


 とくに観客の反応が違うなと思ったのは、イギリスでは二本よりも王室ネタの時に起きる笑いが大きいとこである。ボーンの『白鳥の湖』は普通の『白鳥の湖』とは話がちょっと違ってて、マザコン王子が男の白鳥に恋したせいで悲劇が…という話になっている。やり手でセクシーで息子に冷たい女王陛下はエリザベス女王にしか見えないし(『ハムレット』のガートルード風でもあるのだが)、ダメ息子はチャールズ王太子にしか見えないので、日本で見た時よりもかなり風刺がきいてるなーという印象が強まった。


 最初のほうは王室の決まり切った暮らしぶりをパロディ化している感じでとてもコミカルなのだが、後半のほうは怒濤の悲劇になってなんかほんと見終わった時は放心するというかどっと疲れた…王子様と白鳥は結局現世では結ばれず、他の仲間の白鳥につつかれて死んでしまい、結局来世で結ばれるということになるのだが、白鳥の振り付けが極めてケモノじみていて残酷で、踊りにあまりにもいろいろな意味がこめられているので、バレエを見ているというよりは大量の台詞がある演劇を見ているみたいな疲れ方をした気がする。


 …で、思ったのだが、マシュー・ボーンの『白鳥の湖』は何度見ても面白いすごいプロダクションだし、エロティックでもあるのだが、全然キャンプではない…ような気がする。バレエはキャンプなもんだというのはソンタグもおっしゃっておられるし、ふつうは女が踊る白鳥を男が踊るからにはすごくキャンプなプロダクションになりそうなもんだが、見ていて全然そうは思わない。というのも、キャンプな芸術というものには芸術的な完成度を犠牲にしてまで美学に殉じる倒錯的なところが必要だと思うのだが、マシュー・ボーンの『白鳥の湖』はあまりにも芸術としてきちんと作られすぎていると思うのである。このプロダクションは話の筋も踊りも笑わせるところも衣装も、何から何まできちんと考え抜かれていて悲劇としてわざとらしいところや過剰なところは全然ないし、設定の不自然さ(人間と鳥が恋に落ちるんだからあまりリアリティはない)は全部神話的次元に回収されてしまっていて、古典的な悲恋ものとして素直に見ることができるようになっている(ボーンの『白鳥の湖』が何に一番近いかっていうと、たぶん『ブロークバック・マウンテン』だろう。あれはよくできたゲイムービーだが、キャンプな映画ではない)。ひょっとしたら1995年の初演の時にはいろいろまだ荒削りなとこがあって『白鳥の湖』もキャンプなプロダクションと言えたのかもしれないが、さすがに15年もやってると調整が行き届いてくるし、踊り手のほうも心構えが違ってくると思うので、2009年の時点ではキワモノっぽさが全くない「これぞ芸術」みたいなプロダクションになっている。玉三郎の『鷺娘』を見たときも結構そう思ったのだが、どんなにひとつひとつの要素がキャンプでも、あまりにも芸術としてきちんと考え抜かれているものはキャンプとは言えないところがあると思う。
 

…ただ、踊りはすごいし劇場の音響も良かったのだが、演奏はそうでもなかった。たまに管楽器がズレてたと思う。