重要性と緊急性

 ちょっとこういうTogetterまとめを作成した…のだが、結局作ったせいで余計話が紛糾したようで反省している。

イスラエル・パレスチナ問題と性的少数者の人権問題に関するちょっとした資料集

 まとめに書いたように、イスラエルは中東の中でも性的少数者に対する差別が少ない国なので、性的少数者の人権支援を行っている人はイスラエルに対する批判となると非常にトーンが鈍ってダブルスタンダードになる人がいる。しかしながら全員がそうだというわけではないのでパレスチナの人権について支援を行っている人と性的少数者の人権について支援を行っている人は双方の事情をある程度理解できたほうがいいだろうと思って作った…のだが、私の土瓶口のせいで余計この後話がいろいろと混乱したようである。不徳のいたすところで…


 それでid:noharraさんがイスラエル・パレスチナ問題と性的少数者の人権問題に関してというエントリを書かれていて、大筋では理解できるのだが、どうも一つ非常にひっかかることがあってなんだろうと思っていた…ら、それはこの箇所だということに気づいた。

しかしこの文章の筆者は、Dの立場(「パレスチナの人々が被っている差別」は、「中東において性的少数者が受けている差別」より大きい)を拒否する立場に、無意識のうちに立っており、この序文は読みにくいものになった。

 これは私の意見だが、ある人権侵害が他の人権侵害よりも重大だなどということはあり得ないので、この上に文章にどういう問題があるのかがあまり理解できない。なぜなら重要性と緊急性は全く別の問題で、重要性はコミットする人の主観によって決まるが、緊急性はだいたい外的要因で決まって大きく変動するからである。


 とりあえず、うちがカレッジのマネジメントの講座で習った図を下にちょっと書いてみる。

 縦軸が緊急度、横軸が重要度。上に行くほど緊急、右に行くほど重要である。

第一象限…緊急かつ重要
第二象限…非緊急しかし重要
第三象限…緊急だが重要でない
第四象限…緊急でも重要でもない
(普通の数学の象限と違うけど、まあちょっと我慢を…)

 このうち、普段から第二象限のことにたくさん時間をさいているとものごとはたいていうまくいくし、いきなり外的要因で第一象限に何かがやって来たときもリソースに余裕があるから対処できる。しかしながら第三象限とかでうろうろしているとだいたい何にもうまくいかない、というのをマネジメントで習った。

 しかしながらもうひとつ習ったのだが、第三象限にあることというのはたいてい「他人の重要事」であるということである。何が重要かというのは完全に当事者の主観によることなので、自分が全くコミットメントを感じていないことでも他の人はコミットメントを感じており、こちらにそれに関係する仕事を頼んでくることがある。これを片っ端から断っていると、ソーシャルライフがうまくいかなくなって「緊急で重要」なことに影響を及ぼす可能性もあるので、「緊急だが重要でない」ことのコントロールはとても大事であるらしい(と習った)。


 それで、「パレスチナの人々が被っている差別は、中東において性的少数者が受けている差別より大きい」というのは、この重要性と緊急性をごっちゃにしているために受け入れられないのではないかと私は考えた。「大きい」というのは「重要だ」という含みであるように思うのだが、パレスチナの人権問題は重要というよりは緊急である。パレスチナではイスラエル政府の手によって多数の人の人命・健康・経済生活・精神に甚大な危険が及ぼされている上、数日前にイスラエルが公海上で非武装人道支援船フロティラ号を攻撃して民間人を殺傷するという明白に国際法に反する行為を行ったので、もともと高かった緊急性が極めて高くなり、多数の人の頭の中で第一象限にあることは間違いない。とりあえず大量のリソースを一気につぎこんで急速に対策をとる必要がある。

 これに比べると性的少数者の人権は、イランから性的指向を理由に亡命を申請したが却下されて処刑されそうだとかいう場合は極めて緊急度が高いと考えられるが、人命が直接関わっていない人権侵害については一触即発になったパレスチナほど緊急度は高くなく、じっくり時間をかけて少しずつリソースを投入しながら対処するのも可能である。


 しかしながら重要性については、パレスチナの人の人権と性的少数者の人権について、「客観的に見て」どちらが重大かとか議論するのはほとんど意味がないことであるように思える。どちらも人権の侵害に関する問題であり、それぞれの人権問題にコミットメントする人は自分なりの理由があってやっている。客観的に見てどの人権侵害が一番重要だとかは言えない。


 で、詳しいことはtogetterまとめとid:noharraさんのまとめを見ていただきたいのだが、今回はずっとパレスチナ難民支援をされてきた方々と性的少数者支援をしてきた方々の齟齬は、パレスチナ支援を専門にしている人にとってはパレスチナが第一象限にあってそれ以外の象限はほとんどなくなったのに、性的少数者支援が専門の人にとってはパレスチナが第一象限に浮上したものの性的少数者支援も少なくとも常に第二象限にはあるということに起因しているのではないかと思う。


 それで、ある事柄に対して人が長期にわたりコミットする根源的な理由というのは、たいていこの当人にとっては第二象限にあるものだったりして(継続した問題意識を持てるもの)、ここから関連した分野に関するいろいろなコミットメントが派生することも多い。当事者はこの第二象限のものに極めて強くコミットしているので、突然関連分野で緊急事態が起こって第一象限に何かが浮上したからと言って、第二象限にあるものを全部ひっこめて第一象限だけに専念するわけにはいかず、第二象限の関心は第一象限の関心の根源としてとらえられることもある(たぶん性的少数者支援をしてきた人にとって、おそらくパレスチナ支援のコミットメントの根源もセクシャルマイノリティ支援に対するコミットメントの根源とかなり共通したところにある)。緊急事態で関心事項の大半が第一象限に移ってしまった人にとっては周りの人の第二象限は第四象限にしか見えないだろうが、相手にそんなものは重要ではないととられるようなことを言ってしまうと(相手を傷つけるつもりがなくても)相手は当然、自分のコミットメントを矮小化されたと感じて怒る。こうして当人同士は全くの善意なのに齟齬が起こるというどうしようもない結果になる。


 そんなわけで、何が重要なのかは全く当人の主観で決まることであるので、大きな緊急時が起こった場合はとりあえず「緊急性」だけをアピールして「重要性」については触れないほうがだいたい物事はうまくすすむと思う。私がイスラエルパレスチナ問題は大変「複雑」だと思うのは、イスラエルがどうとかいうことじゃなく(人権侵害をしているイスラエル政府がどう見ても悪い)、はた目から見て支援者が「小異を捨てて大同をとる」方針で、「小異」の根源となる第二象限のものが極めて多様だと思うからである(露骨な反ユダヤ主義者もいればオーソドックスのユダヤ教徒がいたり、一方で非常に世俗的な考え方の人もいる)。しかしながら実際、コミットメントの根っこはこの第二象限にある「小異」だったりするのがややこしい。


 で、これまた話がややこしくなるのは、「重要だが緊急でない」ものは、毎回毎回しつこく言わないといつまでたっても終わらないという問題もあるからである。緊急事態はしょっちゅう起こっているので、緊急事態だけに対処していると結局「重要だが緊急でない」ものはひたすら後回しになり、ある日突然バカでかい「重要緊急事態」になってみんなの頭の第一象限に浮上してきたりする。緊急事態でも第二象限のものにいつも目を配っておくことは、次なる緊急事態を起こさないためにも役立つ可能性が高い。