布団が吹っ飛ぶ状況における翻訳の難しさ~『歓喜の歌』

 ラビア・ムルエ『歓喜の歌』を見てきた。ムルエの芝居を見るのはものすごく久しぶりである。

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 内容はミュンヘンオリンピックでのイスラエル選手人質事件を題材にしたもので、もともとはミュンヘンで上演したもうちょっと演劇的な内容のパフォーマンスを、日本用にレクチャーのように編集したバージョンだそうだ。ラビア・ムルエらしく、調査にもとづく大量の情報をどんどん入れて、それにちょっとした工夫を加えていくというものである。

 

 今回はベッドの爆発というのが全体のテーマになっている。ベッドというのは安眠を象徴するものだが、芝居の中で示されているように、パレスチナの人々は家とベッドを奪われて安眠を妨害されている。犯罪者がベッドで寝ている時に警察に踏み込まれるというのもよくあるし、ベッドで暗殺されたり、死んだりする人もいる。安眠の元であるベッドを爆破するというのは安眠妨害であるわけだが、この芝居はパレスチナ問題とテロを扱っており、見ているとだんだん疲れてきて眠くなる一方で、眠れなくなるような心に引っかかる内容を扱っているので、まさに安眠妨害的な芝居である。最後にベートーヴェンの「歓喜の歌」が流れる中、ベッド爆破の映像が流れるところはちょっとルドヴィコ療法みたいだ(次に「歓喜の歌」を聞いたらきっとベッドの爆破を思い出すと思う)。

 

 しかしながらこの芝居、ちょっと難しいなと思ったのは、日本語には「布団が吹っ飛んだ」という誰でも知っているとてもくだらないシャレがあることだ。ベッドの爆破というのは全く穏やかで無い状況なのだが、日本語の「布団が吹っ飛んだ」というシャレを知っていると、なんとなく状況が可笑しく感じてしまうので、ひょっとしたら日本語話者である我々はベッドの爆破にドイツ語話者や英語話者の観客とは違ったものを読み取ってしまっているかもしれない。この芝居を日本で上演する際、誰かラビア・ムルエにこのシャレのことを伝えたのだろうか…と思いながら見ていた。