ナショナルシアター、トマス・ミドルトン作『女よ女に心せよ』〜ジャジーでダークでプライムタイプソープな17世紀

 ナショナルシアターでトマス・ミドルトン作、マリアンヌ・エリオット演出のジャコビアン悲劇『女よ女に心せよ』を見てきた。



 これは17世紀の前半に初演された芝居で、現代ではそれほど頻繁に上演されるわけではないと思うのだが、舞台にかけてみるとなんかびっくりするほど面白くてすごく「現代的」。色欲と権力欲と物欲に突き動かされた人間どもが地位や金やセックスを求めて狂奔する様子はまるでプライムタイプソープみたいで、ルネサンス期のフィレンツェの宮廷を舞台にしているだけでほんと現代の話のように見える。



 これはあまり日本では有名な戯曲じゃないので一応あらすじを書いておくが、『女よ女に心せよ』はヴェネツィア出身の美女でフィレンツェの大公の愛人になったビアンカカペッロの実話をもとにしている(ただし大変脚色されている)。冒頭でヒロインのビアンカは恋人レアンティオと駆け落ちしてフィレンツェに逃げてくるのだが、レアンティオは仕事で長期出張に出かけることになり、留守の間新妻を絶対に人目にさらさないよう母に言いつけて出て行く。ところがお祭りの日にバルコニーに顔を出したビアンカに一目惚れしたフィレンツェの大公は、裏で手を回して有力な貴婦人リヴィアにビアンカを連れ出させ、罠にかけてビアンカを強姦する。強姦されたビアンカは精神に変調を来し(このあたりは演出によって解釈が異なると思うのだが、私の解釈ではこう)、レアンティオとの質素な暮らしを捨てて大公の愛人になることにする。出張から帰ってきて妻の不貞にショックを受けたレアンティオは、言い寄ってきたリヴィアの愛人になることにする。

 一方、リヴィアの兄弟であるヒッポリトは姪のイザベラを愛していたが、イザベラは父の命令でバカな相手と無理矢理婚約させられていた。これを見たリヴィアはイザベラにヒッポリトは本当のおじではないのだという嘘を吹き込み、騙されたイザベラはヒッポリトと結ばれてしまう。イザベラはカモフラージュのためバカな若者と結婚する。

 ビアンカを愛人にした大公は弟の枢機卿から素行の悪さをなじられ、レアンティオをヒッポリトに殺させて寡婦になったビアンかと正式に結婚しようと思い立つ。大公からリヴィアとレアンティオの愛人関係について悪い噂を吹き込まれたヒッポリトは逆上し、リヴィアの名誉を汚されたと思ってレアンティオを殺害。怒ったリヴィアはイザベラが嘘を信じてヒッポリトと関係したことをバラしてしまう。

 大公はビアンカと即結婚するのだが、結婚式場はいつのまにか全員が全員を殺し合う大惨事になる。ビアンカ枢機卿に毒を盛るのだが、それを大公が間違って飲んで死亡し、ビアンカも自殺。イザベラとリヴィアとヒッポリトも死亡して、最後に枢機卿だけが生き残って終わり。

 



 セットとか衣装、音楽などはかなり現代的で、50年代頃のイタリアの良家のお屋敷を意識しているようである。生演奏のジャズをふんだんに使った音楽がなかなか退廃的で、字幕付き上演だったのだが、ジャズがかかるたびに'sultry jazz'という字幕がつくのがちょっとおかしかった。セットは表面と裏面があって回転して入れ替わるタイプのもので、両側に階段がついており、ビアンカの強姦場面とか最後の非常にスタイリッシュでまるで踊りのような殺戮場面はこの階段の上り下りが効果的に使われている。屋敷の場面では大きなシャンデリアが降りてきたり、プロジェクタでスクリーンにイタリア風の彫像をたくさん映したり、内装のデザインもなかなか工夫に富んでいる。



 セットとかだけじゃなくとにかく役者陣が非常に良くて、ローレン・オニール演じるビアンカが強姦されてボロボロになった後いかにも自分を大事にしなくなる感じとか(いくら着飾っても心に大穴があいて満たされないとか、わざと自分を強姦した男に近づいて傷を埋めようとするとか、非常に痛々しい)、ハリエット・ウォルターのリヴィアが普段は策略家の中年女性なのに若くてものを知らないレアンティオへの恋ですっかり分別をなくすところとか、あのあたりは実にうまいなぁと思った。サミュエル・バーネット演じるレアンティオも基本、自分のことしか考えてないガキで、リヴィアとの関係もなかなかに非生産的で醜くて面白かったと思う。あと、戯曲を読んでいる時はイザベラを誘惑するおじのヒッポリトはずいぶんひどい男であるように思えたのだが、ヒッポリト役のレイモンド・クルサードが頑張ったせいなのか、ヒッポリトは登場人物の中でもかなりまともで同情できる悲劇的なキャラクターに見えたのがびっくり。




 『チープサイドの貞淑な乙女』を舞台で見た時もそう思ったのだが、ミドルトンの芝居というのはシェイクスピアとは違った意味ですごく現代人にもわかりやすいところがあると思う。以前、アメリカのテレビドラマ分析で「『ロスト』は人間の気高さに焦点をあてたドラマ、『デスパレートな妻たち』は人間の醜さや愚かさに焦点をあてたドラマ」という解説を見たことがあるのだが、ミドルトンはまさに「人間の醜さや愚かさ」を描くことを得意とする劇作家だなぁと思う。