蜷川オールメール『ヴェニスの商人』〜シャイロックが歌舞伎をする意味

 彩の国さいたま芸術劇場シェイクスピア・シリーズ第28弾『ヴェニスの商人』を見てきた。オールメールシェイクスピアの第7弾で、シャイロック役は市川猿之助、アントニオ役が高橋克実、ポーシャ役は中村倫也。非常に面白い舞台だったと思う。

 セットはルネサンスのイタリアふうの建物を背景にしたもので、大道具や小道具の入れ替えなどは割合少なく、落ち着いた場面転換で役者の演技を見せるような演出になっている。着るものもルネサンスふうである。蜷川オールメールではセットも衣装もだいたいルネサンスふうだと思うのだが、これはオールメールということで(シェイクスピアの時代はオールメールだったから)「復古上演」を意識しているのだろうと思う。

 女形で定評のある市川猿之助なのでポーシャかと思ったらシャイロックということでちょっと若いかもと思ったのだが、舞台に出てきた姿は全然そういうことはなく、年の功で商いの知恵もたっぷり身に着けた商人らしい感じのシャイロックだった。面白いのは、他の役者はだいたい「ふつうのシェイクスピア」っぽい芝居をしているのに市川シャイロックだけは歌舞伎の所作を取り入れた演技をしているところで、最初はちょっと違和感があったのだが、娘ジェシカに駆け落ちされてショックを受けたシャイロックの騒ぎっぷりをヴェニスの男たちが身振り手振りで真似しながら馬鹿にする場面を見て、「そうか、シャイロックは身のこなしまで違う他者としてヴェニスでは差別されているということなんだな」と非常に納得した。そもそもシャイロック旧約聖書なんかに通じていて「悪魔とて聖書を引用する」などとアントニオに悪態をつかれるくらいで、伝統に忠実で過去のユダヤ人の事績をよく学んでいる人である。そういうシャイロックだけがこの芝居では過去の伝統を象徴する歌舞伎を引用した芝居をしていて、それをヴェニス人たちが芝居がかっていると嘲る、というのは、この上演においては昔ながらの信仰に基づくユダヤの伝統文化と新興の貿易産業をバックに栄えるヴェニスの都市文化の対立をも暗示するものになっていると思う。後半の裁判の場面なんかはもともと芝居っけがある役柄として描かれているシャイロックと男のフリをしているポーシャがそれぞれのプレゼン能力を戦わせる非常に演劇的な場面なので、シャイロックの歌舞伎の所作を用いた芝居が大変効果的に働いており、この場面自体にあるシャイロックとポーシャの「演技対決」としての全面に押し出している。アントニオを脅すようにナイフを研ぐ自信に満ちたパフォーマンスからすべてを奪われて絶望に転落しつつ尊厳を持って退場していくシャイロックの芝居は大変ドラマティックだ。

 中村ポーシャは美しく、最初女性の姿で出てきた時は声が可愛らしいのもあいまってこれなら舞台の外でも女でパスするんじゃないかというくらい愛らしかったし、法学博士に変装した場面も生意気な若造ふうで面白い。ポーシャとネリッサが非常にエネルギッシュなので、とくにシャイロックがいない場面ではこの芝居はかなり女性の力と知性が支配している喜劇だという印象を受けた。ポーシャがとても感じのいい美女に見えるのはおそらく台詞の翻訳のせいもあると思う。というのも、原作『ヴェニスの商人』では黒人であるモロッコ大公が求婚に失敗して帰った後、ポーシャが'Let all of his complexion choose me so.'「モロッコ大公みたいな顔色の方は皆ああいうふうに選んでもらいましょ」という台詞を言う場面があり、モロッコ大公の前ではかわいこぶっていたポーシャがいきなり人種差別発言を吐くので現代の観客からすると「何この裏表のあるぶりっ子ムカつく」みたいになりかねない。ところがこの上演ではモロッコ大公がやや軽薄な感じで、ポーシャの台詞は「ああいう方は皆ああいうふうに選んでほしい」とかいうような感じで顔色への言及がなくなっている。これだとポーシャの台詞は人種じゃなくチャラ男が嫌いだ、というふうに解釈できるように思ったので、かなりポーシャの好感度がアップするように思った。

 他の役者も良かった。高橋アントニオは思ったよりも断然憂鬱そうでいかにもぶすっとして「オレが死ねばいいんだよぉおお」ばかり言ってるアントニオらしいし、最初岡田正のネリッサがポーシャよりかなり年上なのに少し驚いたのだが(年が近い友達みたいな感じを想像していたので)、グラシアーノとのコミカルなカップルぶりは笑えてよかった。

 少しネタバレになるのだが、美術・衣装もそうだし最後にシャイロックが出てくる演出なんかはアル・パチーノの映画版『ヴェニスの商人』の影響がかなりあると思った。あと、モロッコ大公のおつきの人達の衣装のいかにもオリエンタリズムな感じはあまり好きじゃなかったかな…