ビルダーズ・アソシエーション'Continuous City'、サウスバンクセンター〜これは演劇の擁護、なのか?

 今日は日中は「シェイクスピアと中世」学会に出て、夜はLiftというロンドンの演劇祭みたいなやつの一環でアメリカからイギリスに来ているビルダーズ・アソシエーションというグループの芝居'Continuous City'を見てきた。


 これはid:queequegさんおすすめだというので、よく知らなかったんだけどなんかサイト見て面白そうだなと思ってふらりと行ってきたのだが、久しぶりにいわゆる「こんてんぽらりぃ」な感じの舞台で「やっぱたまには古典ばっかりじゃなくてこういうの見たいよなー」と思った。


 'Continuous City'は舞台上にスカイプ電話の画面みたいなやつをいっぱい出してそれを使って話を前に進めるということで、一見新しいように見える…んだけど、なんか作りは極めてまっとうな「演劇」である感じがした。


 とりあえずこの作品の登場人物はXubuっていうビデオチャットサービスみたいな企業をたてたJ.V.とマイク、そしてマイクのちっちゃい娘サム、サムの面倒を見ているデブ(私、デブはサムの親戚なんだと思ってたんだけど解説見たら「ナニー」らしい)の四人である。ただし、マイクはxubuの仕事で世界中を飛び回っているので実際に舞台には出てこない。舞台に出てくるのはJ.V.、サム、デブ、あとxubuの技術者という設定で舞台上の画面操作も実際に担当している男性二人。
 マイクは基本、娘思いなので世界のどこにいるときも娘にビデオ電話をかけるのだが、父親がなかなか帰ってこなくてふくれているサムはネットや携帯ばかりしていてどんどん扱いにくくなる。デブはそれに手を焼いて自分のvlogで文句を書いたりするようになる。J.V.は南アジア系の若くて野心的なIT起業家で、利益を追い求める一方、xubuでいろんな女とチャットしまくって調子のいいことばかり言っている。


 舞台装置については、舞台右手にデブとサムが住んでいるロンドンの家があり、左手にJ.V.のオフィスがあるということになっている(ただし仕切りとかはない)。舞台の上には冊子の形をしていて本みたいに閉じたり開いたりできる大小のスクリーンがたくさんつけてあって、そこにそれぞれの人物がかけたビデオ電話の映像が映るようになっている。YouTubeに同じ演目の画像がのっかってるのだが、舞台装置はこれとだいたい同じ感じ。


 とりあえず映像の扱い方に関してはすごく華麗でさすがだなーと思った。スクリーンを閉じたりあけたりするタイミングとかがいちいち効果的で飽きさせないし、いくつものスクリーンをまたいでひとつの大きい画像を映したりとか、非常に工夫してある。手持ちカメラの映像が多くてちょっと酔うのだけがあまりよくないが、まあビデオ電話という設定だからそのへんはしょうがないか…
 
 ただ、これは2007年初演だそうでその頃はネットを使ったビデオ電話サービスがあまり普及してなかったので新しかったらしいのだが、今見ると「ただのスカイプじゃん」っていう気がするところもある。このへんは上演の後のポストトークでも「テクノロジーはすごく移り変わりが早くて…」と言ってた。

 
 …ただ、正直言って話のほうはどうなのかなーと思うところも結構あった。ポストトークではお客さんが「ずいぶんペシミスティックな話ですが」という質問をしてて演出家のマリアンヌさんが「別にペシミスティックな話を作ったつもりはないんだけど」と答えるとこがあったのだが、私が思うにこれってペシミスティックというよりは保守的な話なんじゃないかって気がした。

 とりあえず、調子ばかり良くて野心ギラギラの起業家J.V.が南アジア系ってとこになんとなく引っかかった。J.V.役のリズワン(こういう読み方でいいのかイマイチ自信ないんだけど)がなかなか頑張ってていかにもセクシーで小癪な若造起業家っぽくて良かったと思うのだが、とりあえず今だとIT=インドというのがみんなの頭の中にあるわけで、登場人物唯一の有色人種がムカつく若いIT起業家っていうのはどうなのかね…という気が結構した(…ただ、これは私が日本人でなんとなくホリエモンつぶしとかが頭にあるからそう思うのかもしれない)
 で、最後のほうになると、この若いJ.V.に対して白人でおっさんであるマイクが上海から「xubuでほんとに人がコミュニケーションする文化とか作れんの?みんなで出かけたり話したりするので十分楽しそうな中国にxubuはいらないんじゃない?」とかいうような疑問をぶちまける…ものの、結局はマイクが折れて「xubuはすごく文化的に可能性があって中国でも成功するよ」というプレゼンをすることになる。これは非常に「ペシミスティック」な後味があると思うのだが、今たぶん検閲のないネットが最も必要とされてる国は中国であって、そこに白人のおっさんが行って、老人が公園で太極拳とかしてるのを見て「xubuなんかいらないんじゃないの」とノスタルジックに話すのは何となく私は受け入れられなかったなぁ…このへんも私がアジア人だからそう思うのかもしれんけど。
 あと、かなり陳腐だと思ったのは、同じ家にいるデブともメールで会話するサムの描写。ローティーンの女の子でしかも親と引き離されて暮らしてないとなれば少々扱いにくくなるのは当たり前だと思うのだが、なんかその扱いにくさを全部ネットのコミュニケーションのせいにしているような感じがしてずいぶん陳腐だなと思った。


 …そんなわけで、視覚的にはいっぱい見所があるし役者も頑張ってる(とくに子役すごい。ポストトークではシャイな普通の女の子って感じだっだけと舞台では堂々たるもの)と思うのだが、話はなんかちょっとどうかねぇと思うところもたくさんあった。

 しかしながら、実は私、舞台芸術ではこういう「保守的」な話の展開はある程度しょうがないんじゃと思うところもある。舞台はナマモノの芸術、アウラの芸術であって、ネットとか映像みたいな、肉体が実際にその場に出現しなくてもすむタイプのメディアとは決定的に相性が悪いところがあると思う。ここのところこういう遠隔操作によるメディアの精度がどんどん良くなっているせいで、アウラのスペクタクルである舞台芸術はこいつらをうまく取り込んで対抗しなくちゃと頑張ってるのでは…と思うのだが、'Continuous City'はこういうメディアをしっかり取り込んでいるわりには後味がペシミスティックで「生身のコミュニケーションがとにかく大事!」という演劇擁護メッセージを出しているように思えてならない。私はそういうのは別に好きじゃないのだが、そういう「うまくメディアを取り込みつつ自分の地盤を守り続けようとする」アプローチは別にあってもいいと思う。