イタリアではまだ「名門の没落」映画が作れるんだねぇ〜『私は愛』"I am Love"(Io sono l'amore)

 とても評判がいいらしかったのだが夏休み前に見逃してしまったティルダ・スウィントン主演のイタリア映画"I am Love"をBFIサウスバンクで見てきた。

 この映画はミラノの財閥レッキ家の次期家長の妻エマ(ティルダ・スウィントン)が息子エドの親友アントニオと不倫した結果、ひょんなことからエドが死亡して家庭崩壊の危機が…というどーってことないメロドラマである。タイトルからして大上段に振りかぶりすぎだし、話の展開には強引なところもあるし(エドが死ぬところとか)、最初のほうはミラノの金持ちの生活を淡々ととってるだけで寝ちゃいそうになったのだが、エマがアントニオと不倫し始めたあたりから面白くなり、個性的な映像ととにかく上手いスウィントンの芝居で飽きさせない。

 監督はどうもかなり音楽とか映像にこだわりがあるようで、大胆な省略(アメリカ映画とかだとウェルメイドな感じでできる限り話のつながりをよくしようとするんだけど、ヨーロッパの監督ってものすごい省略をすることがあって、あれをうまくやれるとぐんと映画として面白くなるよねぇ)とか、ミラノやサンレモの風景をうまくとりこんだ映像のつなぎ方とか、個性的だなと思った。まあ時々「ちょっとやりすぎで気取った感じじゃないか?」と思うところもあったのだが
 
 …まあたまに凝りすぎてくどいと思える編集もあったのが、エマとアントニオのラブシーンはえらく華麗で、ここだけでも映像的に見る価値あるかと思った。『チャタレイ夫人の恋人』みたいな感じの野外のラブシーンなのだが、男女どっちかに偏らずバランスよく裸体をとっているので、ティルダ・スウィントンの身体の崩れた美しさ(50近いにしてはお肌とかかなり綺麗だと思うのだが、大変やせているので筋肉のないところの体型が崩れてきてる)と、若い恋人の逞しい肉体の対比とかも非常に良く出ている。それに風景がとにかくきれいで、子育てを終えた中年女性の人生にまた春がめぐってきたのだということを象徴するような咲き誇る花とか昆虫のアップとかをうまく使ってて、露骨にもならず、とはいえ陳腐にもならないようできるだけ気を遣って「想像させる」ラブシーンにしているところがいいと思った。


 …というわけで映像と芝居については大変良かったと思うのだが、話自体は結構単純なメロドラマなので、要約するとまあ「女は強し」と「名門の没落」という二つのポイントでいいかなって気がする。

 この話はまずパーティで家長のレッキおじいさんが家督を息子(エマの夫)タンクレディと孫のエドに譲るところから始まり、最後はインド系アメリカ人の企業にレッキ財閥が身売りし、跡取りだったエドが死んでしまうというところで終わる…のだが、財閥の伝統の中で動く男たちと、そこから排除されているぶん行動の自由度がある女という対比があると思う。基本的にレッキ財閥は男達だけで動いており、女達は企業運営に関わってない。エマの息子とかその他の親類の男達はみんな財閥で働くのだが、エマの娘でレズビアンのベッタはロンドンでアートを学んでいるし、エマは主婦で不倫してる。まあしかしレッキ財閥は時代の趨勢にあらがえず身売りするわけで、じいちゃんから受け継いだ伝統を誇りに思っていたエドはショックを受けるわけだが、それを聞いたベッタが「私たちもっとリッチになるんだね」というあまりエドには慰めにならなそうな感想をもらす。これはたぶん、女どもは財閥の運営とか伝統とかから完全に排除されているぶん、財閥が解体に向かってもどこ吹く風で好きに生きていけるのということを暗示している。同じことがエマにも言えて、レッキ家は解体しちゃうんだけどエマは最後に夫を捨てて恋人と逃げる。レッキ財閥が終わったとこからエマの第二の人生が始まるのだ。このへん、アメリカ映画みたいにストレートに「ガールパワー!!」な演出にはなってないのだが、やっぱりイタリアはマンマの国ってことで「女は強し」というふうに落ち着くのかぁなと思った(エマはロシア人という設定だが)。

 しかし、面白いと思ったのはイタリアではまだ「名門の没落」っていう映画がふつうに作れるってことである。日本やアメリカで貴族とかが没落する話を現代のこととして描くにはかなりの努力が必要かと思うのだが、この映画は結構サラっと描いていてふつうにリアリティもある。
 

 しかしこの映画も日本公開が未定のようなのだが、こういう地味な映画は『ホット・ファズ』なんかと違ってまず公開運動も起きないからなぁ…いい映画だと思ったので岩波ホールあたりでやるといいと思うんだけど。