テリー・ギリアムの新作『ゼロの未来』を見てきた。
近未来SF、と銘打ってはいるが、見た感じは非常にオーソドックスな不条理劇というか、サミュエル・ベケットの一連の不条理劇や、またまた私が同じ日に見た『ローゼンクランツとギルデンスターン』にかなり似た触感の話である。とくに、部屋にこもって1人で主人公のコーエン(クリストフ・ヴァルツ)がプログラムをしつつ、自分の心と向き合わないといけないはめになるという展開は、ベケットの『クラップ最後のテープ』に近いものを感じた(というか、もっと年をとったらヴァルツに是非クラップをやってほしい)。一方、ゼロの定理(これは一種のマクガフィンだと主運ドアが)に取り組みながら電話を待っているコーエンには、『ゴドーを待ちながら』もちょっと重なるところがある。コーエンが古い教会に住んでおり、call(ある種の「召命」)を待っているというところはきわめてキリスト教的な象徴体系が濃厚で、これもゴドー風だ。
クリストフ・ヴァルツの演技は素晴らしいのだが、娼婦と恋に落ちるとかいうのはもう私は飽き飽きしているし、トム・ストッパードの芝居と同じ日にこれを見た私としては不条理演劇でいつも扱われているような題材にそれほど目新しさはないのではないか…という気もしたのだが、とはいえこのヴィジュアルは素晴らしいし、あと音楽の使い方はすごい。ラウンジ風にアレンジしたレディオヘッドの「クリープ」が要所要所で使われているのだが、これがなんというか非常に極悪で、もう聞くだけで人生が空しくなる。そして最も素晴らしいのは突然、ラップを始めるティルダ・スウィントン様で、これだけでお金を払ってこの映画を見る価値があると思った。
追記:なお、この映画はベクデル・テストをパスしない。そもそも女性キャラがひとりしか出てこない。