日本語タイトルが最低だが、内容は良い~『どん底作家の人生に幸あれ!』

 アーマンド・イアヌッチ監督の『どん底作家の人生に幸あれ!』を見てきた。愕然とするレベルのダサい日本語タイトルだが、ディケンズの『デイヴィッド・コパーフィールド』の映画化である。主人公のデイヴィッド・コパーフィールド(デーヴ・パテール)の波乱の人生を描いたもので、継父に虐待される子供時代からおばのベッツィー(ティルダ・スウィントン)に引き取られてミドルクラスの青年になった後、破産してまた一難、最後は作家として成功するまでを描いている。

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 主人公のデイヴィッドを南アジア系のパテール、ガールフレンドのアグネスはナイジェリア系のロサリンド・イレアザル、アグネスのお父さんであるウィックフィールドは香港系のベネディクト・ウォンといったようにいろんな人種の役者をキャスティングしているのだが、全く違和感はない。全体がデイヴィッドの自作朗読ショーだという枠があるので、雰囲気が舞台劇っぽく、芝居でよくやっているいろんな人種の役者を使う歴史ものみたいに見えるところもある。一方で現代のロンドンというのはむしろこういう多国籍・他民族の社会なので、ヴィクトリア朝の青年であるはずのデイヴィッドがまるで現代の若者みたいに見えて、時代がかった感じがなくなるという効用もある。

 全体的に完全に現代劇タッチの演出で非常に面白おかしく、時代劇らしくない。私は原作をたしか高校生くらいの時に読んでよくわからなかった覚えがあるのだが、こんなに笑える話だったのかと思った。奇人変人ショーみたいな感じで、全員、変なクセやこだわりがあったり、挙動が不審だったりするのだが、少なくともデイヴィッドの味方になってくれるような人たちはその奇人変人ぶりが「まあ人間ってそういうものでしょ」みたいな感じで困ったところはあっても愛嬌ある感じで描かれているので、あまりイヤな感じがしない。とはいえ悪役はおり、継父のマードストーン(ダレン・ボイド)とその姉妹ジェーン(グェンドリン・クリスティー)はやたらデカくて威圧的で不愉快な人として描かれている。身長はこの作品ではとても大事な要素で、子供の頃はやたらデカく見えるこの2人に怯えていたデイヴィッドがやがてけっこう長身になって、子供時代に休暇を過ごしたヤーマスの船の家で頭をぶつけたりするようになるという描写があり、デイヴィッドの成長と人生の変化が身長を通して描かれている。一方で青年時代の悪役であるユーライア・ヒープベン・ウィショー)は対照的で、わざと身をかがめて低いところから近づいてくるみたいなタイプである。ベン・ウィショーがぱっつんヘアーでやたら対人距離が近いヒープを楽しそうに怪演している。

 この映画の良いところとして、デイヴィッドが厳しい人生を生き抜くため自分の人生をもとに創作し、それを人前で披露するというプロセスをしっかり描いているところがある。子供の時はつらい境遇から逃れるための想像として、大人になってからはそれにプラスして生活する糧を得るための手段として創造を行う。子供の頃からいろんな他の人の言葉で印象に残ったものを書き留めて蓄えておくデイヴィッドの習慣が見た目にわかりやすいように示され、デイヴィッドの作家魂が強くあらわれているので、登場するたくさんの人たちはデイヴィッドの人生に実際に出てきた人たちなのか、それともデイヴィッドの頭の中でけっこう作り変えられているのか、たまに判然としなくなってくる。とくに最後のパーティの場面はあえて幻想的な撮り方にしていて、最後にデイヴィッドの子供時代に円環みたいにつながるところも含めて、ちょっとデイヴィッドの想像世界みたいな雰囲気もある(これは『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』にちょっと似てる)。出てくる人たちがみんな積極的に書かれたがっているみたいな感じなのも面白いところだ。