芝居の出来とは別に、個人的にあまり…『テラヤマキャバレー』

 日生劇場で『テラヤマキャバレー』を見てきた。池田亮台本、デイヴィッド・ルヴォー演出で、死の直前の寺山修司の意識をめぐるお話である。

 寺山修司香取慎吾)が死亡する直前の意識の中で、いろいろな役者たちが登場して寺山に名前をつけてもらうところから始まる。寺山の芝居『手紙』をやろうとしたところ、死(凪七瑠海)が迎えにくる。死は感動する芝居を作るという約束で少し余裕の時間を寺山にくれることになる。

 役者陣の演技もいいし、ヴィジュアルとか内容はよくできているように思ったのだが(序盤はちょっとこれ大丈夫なのかと思うようなところもあったが、最後まで見ればまあまとまってる)、どうも個人的にあんまり面白いと思えないところがあった。香取慎吾がめちゃくちゃかわいいのだが、どうも寺山修司というのは2024年にかわいく飼い慣らせるような劇作家ではないような気がするのである。寺山修司というのは前衛的なのに売れ筋という、たまに出てくる大きな才能(今だとビョークとかはそう言えると思う)だと思うのだが、非常に60年代の時代背景に根ざした「前衛」演劇なので、今見るとむしろ時代に根ざしすぎていてよく分からないとか、知的にマッチョで気取った感じに見えるとか、そういうところも多いと思う。さらに売れ筋でもあるので、たぶんけっこう時代の流行りに迎合しているようなところも見受けられる気がする。この演目ではそういう、今見るとコンテクストも時代の雰囲気もよくわからなくて「???」みたいなところもある寺山修司がすごくかわいくなって登場し、本人作詞による昭和歌謡を盛り込んで昭和ノスタルジアに接続されている。このため、昔のいろいろ突っ込みどころも時代の制約も多いアングラ演劇が商業的な文脈で「古き良き昭和」の一部として回顧の対象になっているような印象を受けて、どうも個人的にしっくりこなかった。私が昭和歌謡などに全く思い入れが無い上、最近寺山修司に関する論文を書いたばかりで正直寺山修司が全然好きになれなかったので(巨大な才能は感じる)、それが影響してそう思うのかもしれないが…