ある種のハグスプロイテーション映画~『ボーはおそれている』(試写)

 アリ・アスター監督の新作『ボーはおそれている』を試写で見た。

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 ボー(ホアキン・フェニックス)は母モナ(パティ・ルポーン)のところに帰省するつもりだったが、寝坊した上に自宅の鍵を盗まれて飛行機に乗れなくなる。その後受け取った母が異常死したという知らせに動転したボーは、いろいろあって事故にあってしまう。大けがをしたボーは医者一家の家で目覚めるが…

 全体的にこれまでのアリ・アスター映画とは大きく異なり、ジャンル映画ではない…というか、精神分析みたいないかにもアートハウスっぽい映画である。何に似ているかというと、どっちかというとホラー映画よりはフェリーニの『8 1/2』みたいな、個人的体験をシュールに再構成して換骨奪胎した作品に似ている。笑えるところはけっこうあるし、ホアキン・フェニックスの演技は良いのだが、とにかく長いし、要らないところがけっこうある映画だと思った。とくに中盤の森の芝居のくだりは別に舞台する必然性がなく、映画でいいのでは…と思ってしまったし、そもそもこのくだりは要るのかな…と思った。

 また、かなり感じの悪い映画でもある。この映画はシングルマザーと子どもの家庭についてものすごくネガティブな捉え方をしている作品で、母親描写は女性嫌悪的でもある。アリ・アスターの映画については、少なくとも前2作については、「男性は遺伝子の乗り物にすぎない」という考えへの執着があり、女性に乗り物として使用されることに対する恐怖と、ある意味で性倒錯的とも言える魅了…というか、女性に使用・虐待されなければいけないという強迫観念みたいなものが存在したと思うのだが、この映画はそれの恐怖の側面がものすごく前面に出ている。

 恐怖が前面に出ている理由は、メインになる女性がスーパーウーマンみたいな強力な母親であるためである。この母親は仕事も子育ても完璧を目指す母親で、大企業を経営しており、その会社の製品は日常生活のあらゆるところに入り込んでいる。これは母親の子どもに対する強い影響力を象徴しており、ボーは息子に対して巨大な愛を返すことを要求する母親の影響から逃れられたいと思っていても全く逃れられない。この母親が要求しているものがちょっと風変わり…というか、一生懸命勉強して大学に行けとか、いい仕事についていっぱい稼げとか、あたたかい家庭を築いて孫の顔を見せろとか、そういう具体的な要求をしてくるならまあとても困った人だが一応、何をして欲しいのか理解しやすいものの、そういうものではなく、単純に大きな愛と感謝を要求しているだけなので、何をすれば母親が満足するのか正直あまりよくわからない。そのへんがホラー的といえばホラー的なのだが、いわゆるサイコビディ/ハグスプロイテーション映画(怖いばあちゃんが暴れるエクスプロイテーション映画)の域を出ていないようにも思う。