クリストファー・モラシュ"A History of Irish Theatre 1601-2000"(『アイルランド演劇史 1601-2000』)

 クリストファー・モラシュ(Christopher Morash)のA History of Irish Theatre 1601-2000を読んだ。面白かったのだが疑問もあったので、ご紹介。

 これは17世紀以降のアイルランド演劇を概観したもので、ジェイムズ・シャーリーがダブリンにやってきた頃からケルト復興、現代のアイルランド演劇までを扱う。書き方に結構クセがあり、重要作品については初演の夜の出来事をえんえんと書く章がもうけられていたりして通史としてはあまり読みやすくはないと思うのだが(全部読むと、アイルランド人というのは初演の夜に暴動を起こすのが趣味であるというような妙な印象が残った)、この手の通史としてはいい本かと思う。アイルランド演劇とナショナリズムというとゲーリックリヴァイヴァルの頃のことが思い出されるが、もっと昔からそういう動きはあったのだ…ということがわかる。

 とくに面白いのは、ウルフ・トーン関係の演劇資料を発掘してきていること。ウルフ・トーンは18世紀末のアイルランドの革命家で1798年に反乱を起こして処刑されたのだが、今でも大変国民に人気があるらしい。この人が若い頃芝居をやっていたそうで、こちらがモラシュの本にのっていた配役表。

 ロード・ランドルフ役の"Mr. Tone"がトーン。この他、Colonel Martinは動物愛護運動家でこの頃トーンを教師として雇っていたリチャード・マーティンらしい。Captain Nugentはモラシュの本には誰だか書いてないのだが、アイルランド総督の甥でのちに反乱鎮圧側になるサー・ジョージ・ニュージェントだったら面白いんだけど…という話(ただし確証は全くないので、調べないと不明。ニュージェントの別の親戚とかかもしれない)。トレンチはクランカーティ伯爵家の親戚かもしれんらしいが、これも不明。

 あと、もちろんジョン・ミリントン・シングの『西の国のプレイボーイ』上演時の暴動についてもたくさん記述がある。ちょっと語弊があるが、しょっちゅう劇場で暴れるアイルランドの観客の話を読んで、数年前のサッカーワールドカップ予選で北朝鮮の観客が暴れて次の試合が無観客試合になったっていう話を思い出したな…お金がなく政情不安定で、スペクタクル慣れしてないっていう感じ。「観客の暴動」っていうテーマでいろいろ比較研究したら面白そうだ。

 20世紀も後半になるとアイルランドの現代演劇はどんどん盛んになって世界的な劇作家も…っていうような話が出てくるのだが、私が疑問に思ったのはこのあたりの書き方である。この本は基本的にストレートプレイしか扱っていないのだが、"theatre"と題しているってことは、1990年代半ばの『リバーダンス』大ヒットをからめないと舞台芸術全体が活気づいたことの説明がよくわからなくなるのでは?そもそも17世紀に初めて商業劇場がダブリンで稼働しはじめるより前から歌やら踊りやらの芸能はアイルランドで盛んに行われていたはずだと思うので、ストレートプレイにだけ着目してそうでない"theatre"を無視していいのかっていう気はする。あと95年にシェイマス・ヒーニーノーベル賞をとってて、アイルランドの詩っていうのも非常に人気があっておそらく詩壇と劇壇は関係あると思うのだがそのへんの関連についてももっと書いてほしかった。

 まあでも演劇史の本としては非常に役に立つと思うので、このへんに興味がある方にはおすすめ。実際に芝居やってる人たちにもおすすめできそうだと思うのだが、日本語には翻訳されないかな?