恐るべき子供と内面化されたホモフォビア〜キーラ・ナイトレイ主演、コメディ座『子供の時間』

 二月の話題作である、キーラ・ナイトレイ主演、リリアン・ヘルマン作『子供の時間』を見てきた。

 『子供の時間』は1934年にリリアン・ヘルマンが書いた戯曲で、既に二度も映画化されている(二度目の映画化ではオードリー・ヘップバーンシャーリー・マクレーンが主演した)有名作である。あらすじは寄宿学校を経営する二人の女性、カレンとマーサが反抗的な生徒メアリ・ティルフォードに同性愛者であるという噂を流され、キャリアをダメにされてしまうという話。この二人は親友で性的関係はなく、この噂を否定するが、噂のせいで学校はつぶれてしまう。カレンは結婚する予定だった恋人ジョーが自分とマーサの仲を疑っていると考え、ジョーと別れてしまう。マーサは自分が同性愛者であることをひたすら否定していたが、最後の最後に実はカレンを愛していたと気づき、自殺する。

 前評判は賛否両論だったのでどうかと思ったのだが、私はすごく面白かった!戯曲が古くなっていると考える人もいるようなのだが、うちはちょっとどうしてそう考えるのか全くわからんね。子供の嫉妬心やいたずら心があらぬ噂を作り出し、そのせいで若者たちが破滅するというのはキーラ・ナイトレイ主演で最近ヒットした映画『つぐない』と同じテーマでむしろ今でも頻繁にとりあげられるものだと思うし、同性愛者の教員が差別を受けるというのもいまだによくある話で、これが古いと思うのはちょっと現実を見てないんじゃないかという気がしなくもない(まあ『子供の時間』とほとんど同じテーマを扱った映画『イン&アウト』がハッピーエンドのコメディだったことを考えると多少は状況が良くなったと言えるかもしれんが)。

 おそらくこの戯曲が古くなったと思う人は、マーサが最後、自分の同性愛的傾向に気付いて自殺するところを批判するのでは…と思うのだが、内面化されたホモフォビアに苦しんで病気になる同性愛者は今でもかなりいるんだから、むしろこういう描写は時代を先取りしていたといえるんじゃないか?あまりにも結末が陰惨なので見ていて気が滅入るという人もいるだろうが、少なくとも今回の演出ではマーサの決断をそこまでメロドラマティックな感じにしているわけでもないし、同性愛を否定しているわけでもないので、そこまで気にならなかった。マーサ役のエリザベス・モスがとても良く、若くて頼るものもなく、その結果ひとりでどんどんホモフォビアを内面化してしまったマーサの孤独をわりと抑制された感じでうまく表現していたと思う。

 カレン役のキーラ・ナイトレイも去年の『人間ぎらい』より舞台慣れして良くなっているように思った。カレンはマーサに比べて「魅力的な女性教師」っぽく作らないといけない一方、あまり派手になりすぎてもダメだと思うのだが、ナイトレイはもともと美しい容姿を生かしつつスター然とした感じをうまく消していて、地味だがきれいな女性教師にうまくはまっていたと思う(しかしナイトレイはすごいやせてる!)。

 しかしながらこの芝居で一番良かったのは実質的な主人公といえるメアリ・ティルフォードを演じる子役のブライオニ・ハナだろうなと思う(奇しくも『つぐない』でキーラ・ナイトレイ演じるセシリアを陥れた妹もブライオニだった)。メアリ・ティルフォードは両親を亡くしたあとお金持ちの祖母(エレン・バースティン。あいかわらずうまい)に甘やかされて育った跡取り娘で、まあ本当に見ていて腹の立つキャラクターである。お金持ちで頭もいいのをかさにきて四六時中ウソをつき、人の心を操り、後先考えず気に入らないことがあれば何をしてでもそれを逃れようとする、「子供は無垢」神話を真っ向から否定するようなロクでもないわがまま娘なのだが、ブライオニ・ハナは子供っぽい軽率さと末恐ろしい高度な人心掌握術が併存しているメアリを全くわざとらしくなく演じていてとてもよかった。私は最前列で見たのだが、「フリをする演技」がこの年でこれだけできるってすごいなと思った。何かのフリをする演技、気持ちを偽っていることを示す演技(例えば「ウソをついて周りの人間に何かを信じさせる演技」とか、「身体の具合が悪いフリをする演技」とか)というのは非常にくせ者で、舞台上にいる人々には本当のことを言っているとか本当に身体の具合が悪いように見せなければいけない一方、客には「これは策略でウソをついてるな」とわかるように見せなければいけないというのがなかなか難しい。ハナが失神したフリをしたり、ウソをつく場面はこういうところが非常によくできていたと思う。すごい子役だなぁ。


 そんなわけで『子供の時間』は、私は非常に面白かった。ただチケットは既に全部売り切れてて当日券のみなので、朝10時に並ばないと厳しい。