男性がエロティックキャピタルを使うとどうなるか?〜バンクサイドローズ座『エドワード二世』

 バンクサイドローズでクリストファー・マーロウの『エドワード二世』を見てきた。いくつか疑問はあるが、マーロウの舞台を見たのは初めてだし、大変良かった。

 『エドワード二世』は1590年代に初演された史劇で、イギリスではとても有名な劇作家クリストファー・マーロウの代表作のひとつである。この芝居が有名なのはおそらくイギリス・ルネサンスの芝居で最も同性愛をはっきり描いているからである(イギリス・ルネサンスの芝居はホモエロティックな要素のあるものが多いが、これくらい同性愛がプロット上重要でかつ明白に描かれている作品は少ない)。主人公のエドワード二世は中世イングランドの王で、生前から何人かの寵臣と同性愛の噂があったらしく、マーロウの戯曲はそうした噂をふくませて書かれている(ただし、そもそも昔の人の婚外の性交渉については、子供が生まれたり本人が公言しないかぎり異性愛だろうが同性愛だろうがあまりよくわからないところが多いので、エドワード二世の私生活についてもわかっていないことは多いようである)。

 舞台は中世イングランドエドワード二世はフランスの身分の低い騎士ガヴェストンを愛し引き立て、息子(エドワード王子、のちのエドワード三世)までもうけた王妃イサベラとの仲は疎遠になっている。イザベラの一派の者たちはガヴェストンを嫌って何度もその追放をたくらみ、最後はガヴェストンを殺してしまう。ショックを受けたエドワードは亡きガヴェストンの一派で新しい愛人であるスペンサーと兵を起こし、エドワード王子をかつぎあげたイザベラとその愛人モーティマーに対抗するが、最後は敗北して幽閉され、エドワード王子に譲位せざるを得なくなる。モーティマーは秘密裏にエドワードのもとに刺客を送り込み、エドワードは肛門に焼け火箸をつっこまれるという残虐な方法で暗殺される。しかしながら父王が暗殺されたことを知ったエドワード三世はモーティマーを断罪し、処刑することにする。

 役者はおおむね大変良い。胸筋むき出しのランニング姿でエドワードを誘惑するガヴェストン(ジョゼフ・ベイダー)、弱さと誇りの両方を兼ね備えたエドワード二世(マット・バーバー)、政情不安でやつれてはいるが狡猾なイザベラ王妃(ゾーイ・テヴァーソン)、三者三様の個性がよく出ている。モーティマーやスペンサーも良かったと思うが、ちょっと主役の三人に比べると台詞の滑らかさが足りなかったかな(スペンサーはダブルキャストで後半違う役で出てきたので、演じ分けが大変だったせいだと思うが)。

 同性愛はもちろん明白に描かれており、ガヴェストンとエドワード二世の絡みはかなり直接的で、最初の再会場面なんかでは立派な大人(しかもどちらも要職にある政治家)が二人してまるで十代の色気づいたばっかりのカップルみたいにいきなり激しくいちゃいちゃしはじめて場内大笑い(『アントニークレオパトラ』とかもそうだが、舞台ではこういう「真面目そうな大人たちがいきなりいちゃいちゃし始める」という場面はどんな悲劇でも必ず笑いがとれるポイントである)。あとエドワード二世殺しの場面も明白にセックスを連想させる演出だったな…すんごい怖かったが。

 この演出では同性愛と階級差別が密接に結びついたものとして描かれており、このおかげでぐんと面白くなったなと思う。このプロダクションのガヴェストンは、低い身分から肉体的魅力と政治的才幹だけでのしあがった野心的な若者で、それゆえ既得権益を守りたいイングランドの貴族たちに嫌われる。男性が肉体的魅力を使って出世するなどというのは保守的な価値観を信奉する貴族たちにとっては脅威的なことなのだが、財産も後ろ盾も何もないガヴェストンは自分のエロティックキャピタル(性的魅力に起因する影響力)を使って出世することに何の抵抗も感じていない。観客にとってはそこまでして頑張って出世を望むガヴェストンに「賤しい身分だ」とか罵言を浴びせる貴族出身の政敵たちは嫌な感じに見えるし、最後の最後に「王に会いたい…」と言って野心の裏にある恋心をのぞかせるガヴェストンはひどく悲劇的に見える。このあたり、演出の工夫がとてもうまくいってるなと思った。

 ところがこの芝居のさらに面白いところは、そんなガヴェストンの政敵のリーダーであるモーティマー自身がエロティックキャピタルを使わないと出世できないというところである。モーティマーは自分の男性的魅力を利用してイザベラを誘惑し、イザベラを操ることで権力を得ようとするが、最後はそのせいでイザベラの息子エドワード三世に嫌われ、失墜する。いつのまにか政敵と同じことになってしまっていたというモーティマーの運命は実に皮肉である。

 全体として、この芝居はシェイクスピアの『アントニークレオパトラ』にテーマがすごく近いんじゃないかなって気がしたな…どっちもバカにされている人(ガヴェストンとクレオパトラ)が自分の性的魅力と頭だけを資本に権力者に近づくという話なのだが、ガヴェストンもクレオパトラも単に心を偽って権力者を愛しているフリをする嫌な奴というのではなく、権力のある者を愛さずにはいられない、野心が愛を形作っている人物であるというのが似ているように思う(どっちもないまぜになった愛と野心を最後は悲劇に昇華するという複雑な運命を生きている)。エドワード二世とアントニーも、スケールは大きいがひどく弱いところがあり、愛に溺れて権力を失ってしまうというところが似てる気がする。


 そんなわけで演出や演技はいいし、あともともとの戯曲にすごく力があるから非常に面白かったのだが、何点か予算不足に起因する欠点が…とにかく小道具も衣装も予算がないのが丸わかりなのはあまりよろしくない。予算がないならはんぱに紋章を書いたTシャツとかフェイクのケープとかで誤魔化さないで全員スーツとか完全に現代風にしたほうがいいのでは…と思った。
 あと、ダブルキャストの使い方がよくない。人数が足りないので前半で死んだガヴェストンやスペンサーを後半別のちょい役で出してるのだが、前半悲劇的な死をとげたヤツが後半別の役で生き返って出てくると見ているほうは??だし、役者も非常にやりにくそうだ。あれはやめたほうがいいと思う。