ちゃんとアウフヘーベンしてなくないか?〜『コクリコ坂から』

 友人数人と『コクリコ坂から』を見てきた。火の色をしたフランスの野に与謝野晶子節が炸裂したりする映画なのかと思ったら全然違った。最初はなんか臭そうな男子寮の話でどうなることかと思ったが、最後ややマシになった…ものの、うちは『借り暮らしのアリエッティ』のほうがいい意味で21世紀左翼な感じで好きだったな。まあただ『ゲド戦記』よりは500倍くらいマシであった。


 ストーリーはそこらじゅうで書かれているからまあいいとして、とりあえずうちがつまらんと思ったのは、話が『ハウルの動く城』にそっくりであるわりに話の着地がハウルよりさらに変だということである。『コクリコ坂』ではカルチェラタン=男の空間(無秩序、専門、学術、閉鎖性)、コクリコ荘=女の空間(秩序、家庭、技術、開放性)で、『コクリコ坂』は『ハウル』同様男の空間(ハウルの城)に家事という女の技術を持った女たちが入ってくることで男の空間に足りないものが満たされ、双方の文化がまじりあって調和がもたらされる…という話だと思うのだが、このアウフヘーベン方式(???)でいくなら最後の船長さんは全然いらんし、そもそも全体の話から見てもあれは全くストーリーに貢献してなくてテンポをのろくしているだけだと思う。まず、お母さんが話すだけでプロット上の「秘密の開示」としては十分だし、そもそも船長さんほとんど何も話してなくて機能が「製作陣の趣味」以外に全く見いだせない。さらにここで船長さんが出てくることによって「エントロピーを増大させるのが男、減少させるのが女」という今までの二項対立がぐちゃぐちゃになってきれいに終わらなくなる。ひょっとしたら海の上にいる船乗り=マージナルだから混乱を終わらせる力があるってことなのかもしれないがそういう描き方にはなってないように思った。



 それから、全体的にフラッシュバックとかドリームヴィジョンの使い方がおかしい。めるの父の船が沈没する場面のフラッシュバックは二度目じゃなく最初の想起の箇所にあるべきだし、あとめるが夢で父と母に会うドリームヴィジョンははっきり言っていらんと思う。このへんの編集はかなりテンポがのろく感じる。


 あと音楽の使い方は全然ダメだと思う。「上を向いて歩こう」のあざとい使い方もそうだし、最後にいきなり現代っぽいテーマ曲が流れるのも良くない。ちなみに「上を向いて歩こう」は「スーダラ節」と同時期のヒット曲らしいがうちは断然「スーダラ節」を評価したい。せっかく横浜には海があるんだから、上を向いて歩くんじゃなくすいすいすぅだららったと泳いだほうが良かろう。