『マンマ・ミーア!』〜母娘神話を吹き飛ばす!

 ノヴェロ座で『マンマ・ミーア!』を見てきた。映画はもう既にかなり前に見ているのだが生舞台は初めて。

 まあそれでこれ、ジュークボックスミュージカルとしてはかなりよくできているほうだと思う。アバの音楽がそもそもものすごく器用にどんなシチュエーションにもフィットするわりにはすごく芝居がかっており(どっちかというと自分の状況を劇的に表現することに長けてるって意味の「芝居がかってる」、self-dramatisingっていう言葉がピッタリ)、台本もかなり単純なあらすじを基本に歌の必然性を引き出せるように作っているので、無理のある「歌を繰り出すための展開」が少ない。ドナの前にいきなり三人のex彼氏が現れるところとか、驚愕したドナの周りでいきなり他の人の動きが止まって「今からのこの舞台はドナの脳内になります」という演出シグナルとともにタイトルソングの「マンマ・ミーア!」が始まったり、ミュージカル独特の超不自然演出を生かして、歌が自然に繰り出せるようにしていると思う。こういう演出は映画よりもよく効いていて、舞台独特の空間の醍醐味が生かされている。

 あと、やっぱりこれはストーリーが単純だけどいいなと思う。とりあえず、シングルマザーに育てられた娘ソフィが母ドナの若い頃の日記をもとに母親が昔セックスしたと覚しき三人の父親候補を自分の結婚式に招待する…とか、所謂母と娘には女として敵愾心とか支配関係あるんだ、みたいなロクでもない神話を吹き飛ばし、かつ女性の性欲を肯定するおおらかな始まり方が面白い。結婚式でソフィがドナに「ママが何百人もの男とやってたってアタシは全然気にしないよ!だってママは私を育ててくれたんだもん!」とか大声で言うところもとてもいいと思う(少し前にソフィはドナに父親がわからないことについて文句を言ってケンカしてしまうのでこれはその解決ということになる)。それに結局最後までソフィの父親が誰かよくわからず、ドナの元カレで父親候補のハリーがゲイだとわかったりするというのも「父系とか片親とか親の性的指向とか子育てには無関係だし!」というメッセージになっていると思う。

 あと、この手の話で面白いのは「若い頃に結婚するなんてちっともロマンティックじゃない、年食って結ばれるほうがロマンティック」という価値観があるところである。最初のほうから「利発な娘が20歳で結婚する必要なんてあるのか」みたいな話が出てくるのだが、最後結局ソフィとスカイは正式に結婚するのをやめて2人で結婚しないまま世界を見てこよう、みたいなことになり、結局ドナとex彼氏(1)であるサムが長年の愛を回復させて結婚する。ちなみに2004年の『プリティ・プリンセンス2 ロイヤル・ウエディング』も全くそういう話で、若いお姫様のアン・ハサウェイは結局結婚をやめて女王としての仕事に追われてずっと独り身(寡婦)だったジュリー・アンドリュースが長年のボディガードであり彼氏であるヘクター・エリゾンド電撃結婚するという結末になっていて、なんというかこういう女子映画ではもう若くて可愛い女の子が結婚するっていうのはちっともロマンティックじゃないんだなーと思った。たぶんこの手の芝居や映画がターゲットとしている今の若い女性は若くして結婚する→仕事や勉強ができなくて貧しくなる、っていうイメージを持っているんだろうと思うし、その若い女性たちの母親である年齢層は余計そうだろう(アバのファンとか、モロにそういう年齢層でしょうね)。しかしながら結婚制度を否定するところまではいかず、長年の愛が復活し…っていうほうに持っていくのがやっぱりアバ的ロマンティシズムなんだろうか。アバは離婚したけどね。