リサ・T・サラソン『マーガレット・キャヴェンディシュの自然哲学』(The Natural Philosophy of Margaret Cavendish: Reason and Fancy During the Scientific Revolution)

 リサ・T・サラソン『マーガレット・キャヴェンディシュの自然哲学』(The Natural Philosophy of Margaret Cavendish: Reason and Fancy During the Scientific Revolution, Johns Hopkins University Press, 2010)を読んだので簡単な感想。

 この本の基本的な主題はキャヴェンディシュの哲学や科学の著作のみならず芝居や詩を含めてその自然哲学の大枠を読み取ろうというもので、私は普段キャヴェンディシュ関係の論文は演劇に関わるものしか読んだことなかったので割合新鮮だった…のだが、自然哲学の研究をしている人にとってどの程度新鮮なのかはわからない。とはいえキャヴェンディシュの自然哲学については最初のモノグラフだそうである。とりあえずいきなりポンプ(??)の話から始まったりして英文学畑の人にはよくわからないところも結構あると思うが全体としてはとてもすっきりキャヴェンディシュの哲学をまとめていると思う。

 とりあえず面白かったのはキャヴェンディシュがreason一辺倒の哲学の潮流に抗してreasonとfancy双方の重要性を論じていたというところである。サラソンによると"There is ... no ontological distinction between real and imaginary being. For Cavendish, every imaginary object is subjectively true when it is generated by the movement of the mind... Cavendish viewed fancy and reason as two complementary operations of the mind" (93)ということで、キャヴェンディシュは空想とか迷信とかふつうのreason論ではあまり論じられない、あるいはバカにされる人間の精神の働きを軽視せずに論じているらしい。これはイギリス・ルネサンス演劇をやっている人には非常にしっくりくる考え方だと思うので、キャヴェンディシュがイギリス王政復古期の劇作家で詩人でもあったことにかなり関係があると思うのだが…これは私の全くの思いつきで証拠はないのだが、fancyに対する排撃って西洋思想における倫理と美を両立しないものと見なす傾向、快楽を分析したがらない傾向、あるいは具体的な美についてよく知らなくても美を論じられると考える傾向(全部がそうではないがそういうものは多いと思う)に関係あると思う。